記念日ではない、戦争を考える、国々の戦いを戒める、
戦争体験者の立場で反省・戒める・・・つまりは悲惨な出来事を思い起こし、
世界平和を訴える日であると思う。
自主・独立、世界唯一の原爆被災国として不戦国でありたい。
米国の庇護を廃して、無防備国家・日本になれたら、
と夢想した一日であった。
そんなことを思っていた時、知人を案内して江ノ島を訪れた。
普段、気にも止めない風景に、思ったことがある。
画像の景観、江ノ島から見た七里ガ浜方面である。
手前の海岸道路に面しているのが七里ガ浜高校の校舎、
後ろに位置する建物は、高名なPホテル。その右下もPホテルの一部である。
この建物の所には、かつて海水プールがあった。
目前の海、数百メートル沖合いから海水を引き込み安全な海水浴??ができた。
珍しいこともあって最初は結構、賑わっていたが、
当時、この海岸線の道路は、有料であったことが原因か?
いつしか閉鎖してしまった。
七里が浜の右手は、
「新田勢」の鎌倉攻めで有名な稲村ガ崎。
この合戦で「鎌倉時代」は、終焉した。
800年後の鎌倉攻めは、環境破壊であった。
鎌倉時代以後、
仏法の聖地、特に臨済宗の建長寺・円覚寺を中心に仏門の修行地として、
また、古都としての観光地として静かな佇まいであった。
昭和の時代、とりわけ第二次大戦後は、
首都圏の通勤エリアとして生活地として開発が盛んになる。
それが、緑豊かな鎌倉の環境破壊の始まりだった。
画像の左奥は、「七里ヶ浜団地」??
と我々は呼び蔑まして、開発に猛反対をしていたが、
前述のプールと共に一大高級分譲地になった。
今でこそ落ち着いた生活地になったが、
それでも後ろの鎌倉山から見る七里ガ浜分譲地は、
マッチ箱のようで、しっくりしない。航空写真を見ると緑豊かな周りの中に砂漠があるように見える。
人間の目線でものを見てはいけない。
自然環境と共存・共栄、つまりは動植物をも含めての環境開発であって欲しいものだ。
江ノ島から眺めていると、
40年経てば少しはよくなってくるものだ、
と感慨あって眺めていた。
だが、稲村ガ崎から七里ガ浜・腰越に至る海岸道路後ろの緑地は、
ことごとく宅地化された。
止む終えないことだろうが、景観の視点に立つと、
場所によっては、個々の建物外壁であっても
「色」を検討すべき時、などと思ってみた。
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