私の大先輩のライターのTさんは
「外国文学は読まない!」んだそうです。
その理由は「どうもあの違和感ある日本語がダメ。物語に入れない」。
何となく分かる気がします。
翻訳に携わる者なら誰でも持つジレンマですが、
英語原文へのリスペクトか、それとも自然な日本語に意訳するか。
しかし単語をちょいちょいと変えるだけでは自然な日本語文にはなりません。
なぜなら英語と日本語では文の構造自体が違っているからです。
もっと言えば、構造が違っているのはその背景にある文化が違っているからです。
例えば英語を翻訳しているとよく出てくるのが、形容部分がやたらに長い文章です。
英語は文の構成上、何を主題としているかが最初に出てきます。だから形容部分が長くても日本語よりかは分かやすい。一方で日本語は「重要なことは最後に」という構成です(日本的な文化)。なので英語原文そのままに長い長い形容の日本語文を作ると、読み手はけむに巻かれてしまいます
例:昨日、朝子は、高校時代の友人の、高校時代は朝子と陸上部でライバルだった夕子にもらった能登半島産の黄金色に輝く、香りの良いタマネギを買った。
解決策:2文か3文に分ける。
英語の文法が好む文体もあります。
例えば倒置法です。
「ジョンは先に弁当を食べた。なぜなら午後はかなり忙しくなるからだ」のようなものです。
日本語でも使いますが、英語の方が断然多く使われます。「重要なことは先に」というのが英語が好む構造です。一方で、日本語でそれを使うとドラマチックになります。弁当を先に食べたぐらいなら、普通の文体でどうぞ。
また、アメリカ人と話していたら、やたらに見ず知らずの人の名前を会話に入れてくることに気付いている方もいるかもしれません。「マキコがね」って、マキコって誰? それと同じように英語の文章でもやたらに固有名詞を差し込んでくる傾向がみられます。「○○会社の広報によると」で済むところを「○○会社の広報のジョン・スミスさんによると」となるので、日本語文になると「あ、この人、後で重要な役割を担ってくるのかな」と思ってしまいますが、「はい、そうです」と言ったっきり、後で二度と登場しないこともあります。
こういうのが全体の中で一つか二つだったら、大丈夫です。でも全体的に散りばめられていると、日本語とは違う「翻訳日本語」の文章が出来上がります。もちろんそれが好きな人もいるでしょう。
会社によってポリシーは違うと思いますが、RuコミュニケーションズLLCが翻訳をする際には完全なる「トランスクリエーション」を目指します。これは英語の翻訳文を完全な美しい日本語、かつ理解しやすいものに意訳する翻訳手法です。英語原文リスペクト法よりも断然難しい上、何しろ一つの原稿を4人がかり(訳者→編集者A→バイリンガルチェック→編集者B)で仕上げるので手間がかかります。
Tさんが感じたような、「何だか分かりにくい」「もう読みたくない」なんて思わせる文には絶対にしたくない!というのが私たちのポリシーです。それどころか読んでいる間は別世界に連れて行きたい。寝転んで適当に流し読みしていたのに、いつの間にか座って夢中になって読んでいる、そんな翻訳文に仕上げたいのです。さらにクリエーターとしての欲を言えば、私たちが作った作品によって人生に何か良い影響があってほしい。
せっかくクリエーターになったのだから、読者の幸せのために仕事がしたい…私たちがトランスクリエーションにこだわるのは、そういう思いも背景にあります。
ロサンゼルスの広告代理店、編集・翻訳プロダクション
「Ruコミュニケーションズ」にもぜひお立ち寄りくださいね。
http://www.rucommunications.com/
これがKarina's Cake House Bakeryの外観
これがインスタに載っていた写真。#karinascakehouse
先月のブログで、美し過ぎるロシアのケーキについて書きました。
http://jp.bloguru.com/RuCommunications/299889/2017-06-02
日々、インスタグラムで眺めているうちに、
その美し過ぎるロシアのケーキをどうしても食べてみたくなったとも書きました。
それで根性でロサンゼルスにあるロシアのケーキ店を検索しまくり、あの素敵なケーキがありそうな店を見つけたとも書きました。
http://jp.bloguru.com/RuCommunications/300549/2017-06-12
そして、やっと!
先週、行ってきたのです。
グレンデールにあるロシアンケーキ店「Karina's Cake House Bakery」へ!
http://karinascakehousebakery.com/
まるで十年来のイケメン文通相手と初めて対面するような、
そんなドキドキ感があります。
思っていたのと違っていたらどうしよう。
会ってしまったことで、彼(ケーキ)を嫌いになったらどうしよう。
いや、結果がどうであれ、私の気持ちを伝えたいの!
車から降りる瞬間、大きく深呼吸しました。
期待と不安が入り混じって、緊張すら感じる瞬間です。
一番上の写真がそのお店!
大丈夫!予想通りのダサさです!
中に入ると、2つの大きなショーケースの中に色とりどりのケーキがたくさん並んでいました。まず左のケースから見ます…ありませんでした。
右のケース…目を皿のようにして見ましたが…
あの艶やかなケーキはありませんでした…。
しかもモデルのように美しいロシア人の店員女性がコワイのなんのって(><)。
あのケーキが見つからなかったショックに浸る暇もないほどに
「何が欲しいの!ムキー」と鬼の形相で迫りくるので、
「これは何味ですか」なんて聞いてさらに「WHAT!ムキー」など叱られモードになりつつ、
キツツキにつつかれるようにとりあえず2つ注文しました。
お金を払いながら、せっかくここまで1時間かけて運転してきたのだから、ちょっと粘ってみました。このお店のインスタの写真を見せながら、このケーキはありますか(こわごわ)と、聞いてみたのです(上から2つ目の写真がその写真がインスタの写真)。
そうしたら、また怒り顔で「それは注文販売なのっ!!ムキー」。
「何個欲しいの!ムキー」と聞くから、「2つ」と怯えながら答えたら、
「2つじゃ作れるわけないでしょ!ムキー」。
それはもう「あんた、頭おかしいんじゃない!?」っていう剣幕で…(涙)。
それでも更にがんばって「では何個からですか!」。
「最低でも12個!ムキー」。
「では、一ついくらですか?」
「一つ6ドル!ムキー」。
ううう、、、未知なる味に、72ドル払う勇気はなく…。
怒りんぼのロシアン美女に別れを告げたのでした。
ケーキが見つからなかったショックに加え、
恐怖のロシアン美女に叱られ続けたのもWショック!
でも負けません。
もう一軒、立ち寄りたい店があるのです。
長くなったので、また今度お知らせしますね。
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~「働く女性のLife Designマガジン アヴァンティ」に連載中のコラムより~ http://www.e-avanti.com/46066
ユーチューブでニュースを見ていたら、出資法違反の疑いで逮捕された山辺節子容疑者(62)が映っていた。テレビでは詐欺事件そのものよりも、むしろ24歳もサバを読んでいたことや、その「若作りファッション」が話題を集めているようだ。
私自身は、詐欺行為は許せないことだが、若作りについては他人がくちばしを入れることではないと思っている(サバを読むのも結構大変だから、自己責任でやればいいんじゃない?)。人の目など気にせずに、自分が幸せと感じる服装をすることが大切なのだ。そういう点ではアメリカはとても自由だ。よくアメリカに訪れたことのある人が、アメリカのお婆ちゃんは真っ赤な口紅をしてカラフルな服を着て素敵…などの感想を述べているが、実際にアメリカに住んでみると、そのレベル(?)は想像以上に高いことに気付かされる。
お尻まで見えそうなマイクロミニのボディコン女性や、フーターズガール風のファッションの後姿が何かおぼつかないと思っていたら、80歳ぐらいのおばあちゃんだったことは数知れず(主にサルサクラブにて)。そんな彼女たちを見たとき、私の高尚気取りのくちばしはポキンと折れる。「自分が幸せと感じる服装をすることが大切」と日頃言っているくせに、思わず「あれはヤバイんじゃないか」「もっと年相応のファッションをした方が好感を持てるのではないか」などの余計なコメントが頭を駆け巡る。
しかし、冷静になった脳内コンピューターがはじき出すのは、やはりいつも同じ答えだ。「人がやりたくてやっている服装に、他人がどうのこうの言うものではナイ!」。実際、「年齢は単なる数であり、私は着たいものを着る」という堂々たる先輩方の功績は大きい。なぜなら、彼らが切り開いた道により、私のような臆病者にも、「着てもいい、でも着ない」と自ら選択できる環境が開かれているからだ。それはまるで檻のない世界のようで、檻の外に出て行くつもりがなくても、妙に心が軽いものだ。
蛇足だが、アメリカではさまざまなダンスクラブでよくお年寄りの姿を見かける。先日、行きつけのサルサクラブのダンスフロアで高齢男性が倒れて亡くなった。その話をしていたら、社交ダンスクラブに通っている私の友人二人が、「私たちのクラブでも何人の男の人が亡くなっているか…」と口をそろえた。高齢者の多い社交ダンスクラブでは、サルサクラブとは比べ物にならないほどの頻度で高齢男性が亡くなるのだという(場所は主に男子トイレ。女性は死なず…)。しかし亡くなる直前まで踊りまくっているとは、ある意味、夢のような大往生である。「檻のない」アメリカだから、そんな死に方もできるわけだ。
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「人間の体は自然の一部、だから自然のもので癒したい」。そう願う一心で体と心、環境に優しい商品を作り続けているAmen to Homemadeさん。オーナーのラズさんは毎週末教会に通う、信心深いキリスト教信者です。
ウェブサイト制作のお申し込みがあったとき、何より、大切にしたのはラズさんの思いでした。どんな思いで商品を作られているのか、どのように社会に貢献したいと考えておいでなのか。お話をうかがえばうかがうほど、ラズさんの優しさが伝わってきました。
まず最初のステップはデザイン案のご提案でした。一つ目はアースカラーで統一した柔らかい感じのもの。もう一つは手書きの植物イラストを前面に出したお洒落な感じのもの、そして最後はモダンなものでした。
ラズさんが選ばれたのは一番最初のアースカラーのもの。一番優しい感じのものを選ばれたのも、ラズさんらしい気がします。
それから4カ月間ほどかけ、共に作り上げたサイトが、こちらwww.amen2homemade.comになります。
自然素材だけで作った「塗る痛み止め(筋肉痛などに良い)」や、「ストレス・リリーフ・ローション(ストレスを感じるときに塗る)」など珍しいものもあります。私が早速購入したのは、「バニラ・ラベンダー・ソイキャンドル」です(なんと5ドルです!安い!)。これは毒素を発さないキャンドルで、香りもエッセンシャルオイルの自然のものなので、寝室に置きたいと思っています。
残念ながらAmen to Homemadeの商品はまだアメリカ国内からのみ注文可なのですが、もしアメリカ国内にいらっしゃったら、どうぞお試しください。きっとラズさんの優しい気持ちも一緒に送られてくるはずですよ。
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Transcreation is a contemporary process to translate with creativity. Translating from one language to another is often awkward and difficult because of the cultural and traditional norms between languages. The meaning and message is often lost in the translation, in intention and emotion. The message is often rigidly structured and devoid of its meaning that the reader’s attention, mind and heart does not get captured (watch the movie ‘Lost in Translation’ with Bill Murray and Scarlett Johansson).
Transcreation, on the other hand, combines the technical skill of a translator and the creativity and imagination of a writer. It bonds the accurate and precise with the heart and creativity of a writer in a more fluid, cool and sophisticated style with popular expressions to grab the reader’s mind and heart while staying true to the message of the original source language.
Ru CommunicationsLLC’ mission is at the forefront of transcreation. The founder and team of Japanese translators and writers who are experts in their field are ardent supporters and practitioners. Contact us for more information if you need translation done from English to Japanese.
Read more at : https://www.rucommunications.com/copy-of
弊社のコントラクターさんは約半数が海外に住んでいらっしゃいます。
なので弊社では銀行の海外送金システムをよく利用します。
先日、いつものように海外へ向けてお支払いをしようとしたときのこと、銀行から、「待った」がかかりました。
「コントラクターさんの振込先情報を、今一度、“電話などで口頭で”ご本人に再度ご確認ください。それがなければ送金は致しかねます」とおっしゃるのです。
電話で?国際電話で?「はい」。
今、世の中で何が起こっているかというと、銀行の担当者さんいわく、「メールは覗かれていると思ってください」。そして近頃、請求書の振込先をハッカーのものに書き換えるという手口が増加してきているそうなのです。
「メールで届いたものをメールで確認してはダメです!」――そのメールも書き換えられている可能性があると…!
世界的にも流行しているハッキングに対応するため、社内では白熱した議論が起こりました。暗号で開けるクラウド上の共有ファイルにすべきだ――いや、そんなの面倒だ。メールを暗号化して送付するようにすべきだ――いや、それだと弊社からの書類は暗号化されるが、相手から送られるものは暗号化されない、などなど。
結局、将来的には、暗号で開けるクラウド上の共有ファイルを利用することになりました。
しかしアナログというのも時には楽しいものですね。今回、日本に住むコントラクターさんとお電話で初めてお話しましたが、メールではクール系のイメージの方だったのが、お話してみるととても温かい感じで、すっかり親近感を覚えました。
これに味をしめて、他の皆さんのお声も聞いてみたいなあと思った私でした。
そして皆さん、メールのセキュリティー強化をお忘れなく。
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がんばってくださる皆さんに「Thank you」
たくさんのクリエーターの方々が一生懸命持ち場を守ってくださっていることで、小さなRUコミュニケーションズ有限会社は成り立っています。
だから弊社内で回す担当ページ表を作るときも、外注の皆さんのお名前の後に、私は「san」、もしくは「sama」を付けています。
「Yamada Hanako san P10-12」。
「san」を取ると何だか落ち着きません…。
そんな中、先週、社内の全ての書類がプログラム化されました。私が主に見ていた書類も、すっかり様変わりし、オペレーションなど他の担当者と共有できるようになりました。
そこでアメリカ人スタッフに指摘されたのが「sama」とか「san」とか全部に付いてるけど、何だ?って話です。「それは名前には必ず付けるものなの」などと、丸め込もうとしましたが、「Hanako Yamada」と姓名の順序もアメリカ式に変えられ、「sanはどこに付ける?もう取ってもいい?処理しにくいから!(断固!)」。
共有化されたものからは、sanやsamaが取り除かれていました…ううう…英語だからしょうがないのか…。
でもまあ、一つ良かったのは、アメリカ人スタッフが自分も外注の方々に丁寧でありたいから、皆さんに送るメールに「sama」を付けたいと言いだしたことです。「Hi xx」ではなく、「Hi, xx sama」としたいんだそうです。「Yamada sama」とアメリカ人が書くのも、まあ、良いかもしれませんね。
しかし、後でCCされたメールを見たら、「Hanako sama」と、下のお名前に様を付けてメールを出していました。日本だとビジネスメールは苗字ですけどね…まあ、それでも皆さまに思いは伝わったでしょうか。
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~「働く女性のLife Designマガジン アヴァンティ」に執筆の連載コラムより~http://www.e-avanti.com/44860
今回は私自身のことを書いてみよう。アメリカに来て10年になるが、今でも思いもよらない考え方に戸惑ったり開眼したりを繰り返している。例えば私の義姉一家のこと。彼らがまあ、オソロシイほど気軽にちょくちょく「そちらに泊りに行くよ!」という連絡をしてくる。しかも「明後日」とか、かなり急な場合も多く、連日締め切りに追われている私は、遅くに仕事を終えた後、夜中まで掃除にバタ狂う。
義姉一家が来る日、私は部屋の掃除を完璧にするのはもちろん、トイレや浴槽は特に念入りに磨き上げる。夫は「僕の家族はただ僕たちに会いたくて来るのに」と言うが、有無を言わせぬ怒り顔で夜中まで働かせる。
彼らの「襲撃」を快く思えないまま、7年ほど過ぎたある日、私は中華料理店で、幼少期に折れた腕に付けたギブスの話をしている義姉の横顔を見ていた。なんと1年近くも家族にその存在を忘れられていたギブスのせいで、彼女の腕は50歳を越えた今も曲がったままなのだ。それを大笑いしながら話している義姉は、本当に大らかな人なのだった。
そして今年1月、私は初めて義姉の家に泊まることになった。義姉は大喜びしていたが、私は忙しい彼女に申し訳ない気持ちもあった。しかし到着して驚いた。「息子の部屋に泊まって」と案内された部屋はゴミだらけで、ぐちゃぐちゃのままのベッドも枕も、ティーンエージャーの息子さんが今朝まで使っていたままだった。お風呂も相当掃除していない感じだ! 私はこれから休む場所の「くつろげなさ感」に絶句したが、同時に笑いもこぼれた。なんだ―これで良かったんだ。
彼女と私を比べてみたとき、私はきれいな部屋やピカピカのお風呂を準備したが、内心、怒っていた。しかし彼女はどうだろう。きれいな部屋もピカピカのお風呂もないが、心からうれしそうに私を迎えている。自分が客側だったらどちらがいいだろう。人にもよるかもしれないが、私は本心から喜んでくれる人の家の方がくつろげる。ベッドのシーツや枕、掃除道具は持参すればいい。
日本では心地よいスペースに人を迎えるのもおもてなしの一つだ。それには日本人らしい優しさが込められている。しかし内心怒っているなら本末転倒。私には日本式のおもてなしをする資格がなかったのだ。思えばアメリカ人の家ではかなり気楽に家の中まで通され、散らかっていても家中を案内されることが多い。
郷に入れば郷に従え―私はちょっと汚れた部屋でみんなを迎えることにした(義姉のレベルには到達できず!)。少し手を抜くことができるようになった今、私には新しい扉が開いた。それはあの大らかな義姉一家の来訪が待ち遠しくてたまらないという、楽しい日々に続く扉だった。
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