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- イエス様体験 Experiencing Jesus
土曜日は、ヒスパニックチャーチのマービン牧師と奥さんのベティさんの結婚25周年のお祝いに招かれました。この写真は、結婚した時の近いを確認して、今までそうしてきたことの感謝と、これからも守ることを誓いました。
真ん中の白いドレスがベティさん。マービンはその右。レセプションも結婚式バリのすばらしさ。音楽がメキシコ系で明るく、食事もメキシカンレストランからで、美味しかったです!
テーブルもこんなに素敵に、飾られました。素敵です!
日曜日は、子どもたちがみんな病気で、誰もいなく寂しかったです。。。今週は、まきさんのお誕生日を祝いました。マイカ君のお手製ケーキを楽しみました。まきさん、おめでとうごさいます!
2016年4月10日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/RM6vK9sBEm4
ヨハネ21:1-14
この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。2シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。 5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」 6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。7そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。8しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。9こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。12イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。《弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。《とあえて尋ねる者はいなかった。13イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。14イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。
先週のイエス様の復活の後のお話しに続いて、場面は、ガリラヤに移ります。よみがえったイエス様にあって弟子たちは喜びましたが、少し、複雑な気持ちがあったようです。彼らは、以前にガリラヤであおうと言われていたとおりに、ガリラヤにやってきました。今まで三年間一緒にすごした師であるイエス様がいない。。。お腹もすいた。みんなを食べさせなくては。。。なんともいえない、不安な気持ちともどかしさ、そして、あの十字架の一件からの敗北感がまだあったのでしょう。世間が自分たちに背を向けている、負けた感覚があった。
昔は、漁師で、腕をならしていたペテロが、またあの達成感を味わって、自分の自信をとりもどそうとした。「昔は、ここで、良く漁をしたものだ。自分の腕にかかったら、大漁だ」と、仲間と漁にでたのです。しかし、夜通し水の上にいましたが、何もとれませんでした。またも、ここで、敗北感を味わいました。「なんだ、一匹も獲れないじゃないか。。。」と。がっかりしたに違いありません。
そんなとき、復活のイエス様が再び岸に現れます。
私たちが、落胆し、自信がなく、自分の得意な分野でさえうまく行かないとき、その時、イエス様体験をする時です。行き詰まりを感じているなら、喜びましょう。今こそ、イエス様が現れてくださいます。
キリスト者の成熟と言うものは、イエス様を個人的にどれだけ体験したかによります。頭の知識がどれだけあるかには、よりません。弟子たちは、復活のイエス様を体験し、成熟の歩みを一歩踏み出していったのです。
★ イエス様体験の始まり
イエス様は、岸から話しかけられました。5「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」 “Friends, haven’t you any fish?”と。
すなわち、魚がとれませんでしたね? と言っています。弟子たちのイエス様体験は、この時から始まっています。まだ、岸にいるのが、イエス様かどうか遠くて分からなかった時です。しかし、イエス様の方では、それを良くご存知で、見守っていてくださっているのです。私たち状況を知っていてくださっているのです。後で、出てきますが、すでにイエス様は魚とパンで食事の用意をしてくれていたのです。「神様に知られている」という感覚は、私たちに安心を与え、そして、次のステップに私たちを導いてくれます。
私たちもそのようなことがあります。日常のふとした時に、あれ、前に祈ったことが今実現してる。とか、神様が出会わせてくださったと思える出会いがあった時など、神様の導きを感じます。そして、「ああ、私は、神様に知られてる」という確信が来るのです。
あなたが、主の導きを感じる時、イエス様体験がもう始まっているのです。
★ 右側に網をおろしなさい
次ぎに、岸にいる人が言うのです。6「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」“Throw your net on the right side of the boat and you will find some.”
弟子たちは、思ったことでしょう。「おかしなことを言う人だな」と。普通は、舟の左側に網を下ろして、漁をするものだったそうです。漁師なら、それが常識。それが、手順だったのです。一晩何も獲れなかったものが、右におろしたからといって何か変化があるとは思えません。
イエス様を体験する時には、「人間の常識」を忘れなければなりません。人間の常識と神様の業とは、無関係なのです。
弟子たちは、言われたとおりに網を下ろしました。するとたくさんの魚がかかりました。そこで、弟子たちは、それがイエス様だと気がつくのです。
神の一声に従う時、弟子たちは、奇跡を体験したのです。
成熟の鍵は、「言われたとおりにすること」です。
私は、若い時には、これがなかなか出来なかったのです。イエス様と深い交わりがない若いクリスチャンの時には、神の言葉に練られ、そして、群れ全体を見ているリーダーにどう従うかで成熟が表れます。私は、なかなかリーダーの言葉通りに従うのが難しかったことを覚えています。どうして、このやり方ではだめなのだろう。どうして、今、これをやらないといけないのだろう。主に仕えたい、教会を助けたい思いは、強かったのですが、この一言に従ってみるということが分かるまでに時間がかかりました。
これが、分からないと、クリスチャンとして成熟できないのです。私たちは、自分の国を確立するものではなく、神の国を建てるものだからです。時には、断片的にしか物事が見えていなく、どうして、今、これをするのか分からない時もたくさんあります。しかし、神の一声にしたがって見なければ、結果がでないのです。
★ 魚を持ってきなさい
9こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」9 When they landed, they saw a fire of burning coals there with fish on it, and some bread.10 Jesus said to them, “Bring some of the fish you have just caught.”
イエス様はすでに一緒に食べるための魚も焼いて用意してくださっていた。
その上で、自分たちでとった魚も持ってきなさいと声をかけた。「自分たちで」とは言え、それは、イエス様の助けで獲ったものだった。
共に働き、共に報酬を分かちあう喜びを体験した。そして、ああ、そうだった、イエス様と過ごした三年間を思い起こしたことでしょう。
イエス様は、なぜ、弟子たちの取った獲物を持ってきなさいと言われたのでしょうか。聖書の中にイエス様のおっしゃった次のような言葉があります。
ヨハネ16:23-24
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。24あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。“And in that day you will ask Me nothing. Most assuredly, I say to you, whatever you ask the Father in My name He will give you. 24 Until now you have asked nothing in My name. Ask, and you will receive, that your joy may be full.
イエス様の言葉によって、その言葉が実現した。そこで、神の働きと、自分の働きが交わり一体化した。それを、確認するために、弟子たちの魚を持ってこさせたのです。それは、双方の喜びが増し加わるためでした。
良く私は、言いますが、天の国のお金は、喜びです。報酬は、喜びです。喜びの度合いが、私たちの報酬の大きさとなります。私たちが、祈り、神の言葉に従い、神のみ心がなることを体験する時に、喜びは、神の側と私の側で満ち満ちたものとなります。イエス様体験は、この喜びを私たちにもたらすものであります。必ず、天の報酬の伴うものであるのです。
★ 共に食事をした
13イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。13 Jesus came, took the bread and gave it to them, and did the same with the fish.
共に食事をするということは、とても親密な関係を作ります。食べ物を一緒に食べると心も開くそうです。ですから、ビジネスでも、取引先と一緒に食事をすると、商談がうまくまとまるのだそうです。
イエス様は、大酒の飲みの大食らいだと言われました。いつも、取税人や罪人、病人を訪ねてともに食事をしました。イエス様は、いつも私たちとの所に来て、私たちと親しくしたいと願っておられるのです。
「見よ。わたしは、戸の外にたってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする (ヨハネの黙示録3章20節)。」Behold, I stand at the door and knock. If anyone hears My voice and opens the door, I will come in to him and dine with him, and he with Me.
これは、クリスチャン教会にイエス様が語られた言葉です。イエス様は、私たちと親密さを保ちたい、いつも私たちのうちに来て、ともに食事をしたいと願っているのです。いつも、心のドアをノックしておられます。イエス様体験は、イエス様に心を開き、イエス様を心の中に入れなければ体験できません。
癒しや、解放も、イエス様をお招きしなければ、経験できないのです。
イエス様体験は、継続的なイエス様との個人的な交わりから来るのです。たくさん勉強して頭を鍛えても、私たちの霊は大きくなりません。私たち教会は、今まで頭を成長させることと霊を成長させることと勘違いしてきたと思います。
霊を養い育てるには、神の声が必要です。イエス様との親しい交わりが必要です。
今日、しばらく心をしずかにしてイエス様を心にお招きしましょう。。。。
ぼ
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