2016年6月26日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/h2JJwYGQJ70 先週は、いかに私たちのマインドセットが罪の呪いに縛られていたかと言うことを話しました。私たちの文化は、その罪の呪いからくるマインドセットがもとになっていることが良くわかります。各国の文化の中に、色濃く残っているものです。 さて、ユダヤの文化の中では、女性はどのように見られていたのでしょうか。イエス様の生きられた時代に関して言うと、 当時女性は、奴隷と同列のセカンドシチズンとみなされ、権利も尊敬も、意見も持つこともできず、もちろん選挙権もありませんでした。また、裁判で証人となることもできませんでした。教育もなく、公の場で男性に話しかけることは禁じられていました。顔はベールで覆い、ベールを公の場でとるならば、離婚されました。男性の客が食事をするときは、別の部屋で食事をとらなければなりませんでした。日本にもそのような風習がありました。ユダヤ教の会堂でも、隅においやられていました。女性は、み言葉の巻物を読むことも許されず、み言葉を引用したり、朝の祈りや食事の祈りをすることもできませんでした。 罪の呪いがベースになっているとは言え、さらに女性の立場が低くなっているくらいですね。 そんな世界にイエス様が来られて、どのようなことをされたのでしょうか。 私たちは、イエス様が真の教理だと信じています。分からないことがあれば、イエス様のなさったこと言われたことから学ぶべきです。 ① 一心同体の神秘 マルコ10:2- 12 すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。3 イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。 6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。7 それゆえ、人はその父と母を離れ、8 ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」10 家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。11 そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。12 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」 パリサイ人がイエス様を試して離婚について見解を求めてきました。 女性が男性の所有物とみなされ、また女性は結婚して夫について生きる以外になんの社会的保証も生活の糧も得ることができなかった背景を覚えていてください。 イエス様の答えは、モーゼが離婚を許したのはあなた方の心がかたくなだからです。離婚というものは本来はありえないものだと。 そして、人間創造の創世記の記事に戻って語られました。 人間というものは、女性と男性で初めて成り立つものである。と、人間の存在の目的にまでさかのぼって語られました。イエス様は、女性の尊厳を男性と同等であると引き上げたのです。男性の所有物ではないのだと。ですから、軽々しく離婚のオプションに関して話すのではないと。。 二人は一心同体である。とイエス様は、言われました。これは、三位一体の神を表す言葉で表現されています。複数であるが、一人であるという単語です。 すなわち、神の似姿である、神聖なものであることを教えられました。 離婚したものが再婚することについて、姦淫しているという表現を使っていますが、それは、結婚というものは、性的関係によって一心同体になることであって、手続き上だけのことではない。このユニットに霊的な意味を持つのは、性的関係によってである。ですから、気軽に相手が気に入らないからと言って理由を見つけて離婚するならば、姦淫していると同じことであると、言っているのです。 とにかく、イエス様は、離婚・分裂に関して興味があるパリサイ人たちに対して、男女が一つである神秘。神の御心を強調されたのでした。そして、女性の地位を引き上げたのでした。 福音書には、これだけではなく、女性が出てくる記事、女性に関する記事が112回も出てきます。これは、イエス様以前のユダヤの宗教上にはなかったことでした。いかに、イエス様が女性の地位を解放されるために働かれたか見ることができます。 ② アブラハムの娘 女性を一人の信仰者として認められた ルカ13:10-17 イエス様は、安息日に悪霊によって腰が曲がっている女性を癒されました。そして、彼女のことを「アブラハムの娘」と呼びました。 これは、何を意味しているでしょうか。今までは、「アブラハムの息子」といういい方は、ユダヤの世界ではあったようです。信仰の父アブラハムの息子ということで、宗教的に今でいうと神の子供のような意味で使われたのでしょう。 しかし、イエス様は、安息日に癒すべきではないという人たちに責められます。しかし、この人も「アブラハムの娘」信者ですから、癒しを受け取る権利があると主張されました。 ③ 女性をも教えられた ユダヤのシナゴーグでは、女性は隅に追いやられていました。男性と一緒に座ることも許されませんでした。 イエス様は、会堂で教えるのをやめられました。彼は、人々の家や、湖の上、野原を選び大勢の人たちに語りました。そこには、女性たちもいて、イエス様の教えに聞き入りました。 思い出してください。マリヤは、イエス様の足元に座ってお話しを聞いていたと聖書に書かれているではありませんか。 イエス様は、女性を会衆に交えることを拒まれませんでした。いや、女性に直接教えることをはばかりませんでした。 サマリヤの女に礼拝の真理を語り、マルタによみがえりを教えました。 また、女性の弟子たちリーダーたちも育てました。 ④ 女性を証人に選ばれた イエス様が復活されて、一番に姿を見せたのは女性に対してでした。そして、あろうことか、さて、ガリラヤに行って弟子たちに復活の素晴らしいニュースを知らせなさいと言われました。当時、裁判の証人として立てなかった女性を、復活の第一証人として証言するようにされたのです。ハレルヤ! みなさん、イエス様は、女性を等しく見られているのです。それどころか、女性の神にあるアイデンティティを回復されているのです。 もちろん、弟子たちは、信じられませんでしたが。。。。それもそのはず、女性の証言はとるにたらないという文化があったからでしょう。。。 ⑤ 割礼からバプテスマへ イエス様が来られ、新約になり、律法がイエス様によって成就された時代に入りました。神様に従っていく信仰の公の宣言は、割礼からバプテスマに変わりました。 何を意味しているでしょうか。割礼とは、男子しかすることができません。女性は、あくまでも、男性の傘のもとで信仰を持つしかなかったのです。 しかし、今や男性も女性もみな、イエス様に個々に来て救われ、洗礼を受けて、信仰を公言することが出来ようになったのです! ハレルヤ。 このように、イエス様は、人類が罪によって引き起こしたすべての呪いを無効にするために来てくださったのです。それは、死だけではなく、女性の地位の回復、男性、女性の真の一体化、一致を回復させてくださることになったのです。 次週は、難しい解釈の聖書個所を学んで行きましょう ぼ