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ぼくしのめがね

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今を生きる Live present

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今月のお誕生日ケーキーーーなぜ... 今月のお誕生日ケーキーーーなぜか、エリックが一番大きいやつを取ってました。ちっ 今月は、さくらちゃんと、まきさ... 今月は、さくらちゃんと、まきさんのお誕生日でした。
おめでとうございます!
2018年4月22日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


今週末は、学校で神経生物学の専門の先生のお話しを聞きました。恥についての本を書かれた先生で、私がとても霊感を受けている先生です。このセミナーで恵まれたことを交えながら今日はお話ししたいと思います
わたしの、日本の神学校恩師がよく言われたことに、「今を生きる」という言葉があります。人というのは、いつも将来のことを考えて心配しているか、過去のことを思いめぐらして縛られているかのどちらかであると。今現在、目の前にあることに従事している人がどれほどいるでしょうか

★イエス様にとどまる Abiding in Him – Connection

「今を生きる」ということのコンセプトを次のみ言葉がよく表しています。

ヨハネ15:4-5
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

また、イエス様ご自身も、ご自分の働きについて次のように言われています。

ヨハネ5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

私たちは、イエス様と繋がって位ならば多くの実を結ぶとあり、イエス様も天の父にとどまりながら、この地上を生きられたことがかかれています。

★私たちの本当の姿 Our Biblical Reality

私たちは、神の言葉を信じて生きているのか、過去に縛られて生きているのか、それとも将来の心配で生きているのでしょうか。イエス様は、私たちの存在について次のように言われています。

マタイ5: 13-14
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

私たちは、塩であり、光である。私たちが、この世の中に味付けをされるのではなく、すなわちこの世によって私の味が決まるのではなく、私がいることによって私の住んでる世の中の味が変わる。私の家族の味が変わる、職場の味が変わる、と。

私は、光であり、私が部屋に入ると、全てのものが光に照らされるのです。私が何かの日陰になるのではなく、私が部屋の中の影を消しているのだという現実が神のみ言葉なのです。

★私たちと支配する過去と未来 Abiding in Past and Future?

しかし、私たちは、過去の経験を信じていたり先のことを心配して、目の前の自分の現実をまげて見ています。もし、私たちが今としっかり直面して生きているなら、すごいインパクトがあるのです。

例) 私たちに感情を自分で制する能力というのは小さい時に決まる。もしも、毎日、どなり合いの多い、暴力の多い環境にいたなら、他人から感じる少しのいら立ちや怒りにも敏感になるでしょう。そして、その他人の怒りに触れると、小さい時の持ってた感情に戻り、そこに縛られて出てこれなくなる。大人の自由人としてふるまえなくなる。

こんなことは、事が変わっても誰もにあるのではないでしようか。人に気にいられるために、いろいろと操作しながら生きてきた。親に怒られないように、いろいろとごまかした。等々。。人は、小さい時に着いた、自分を守るためのシステム、それに縛られて生きている。すなわち過去に縛られています。
将来の心配については説明がいりませんね。私たちは、衣、食、住、人間関係など心配しながら生きています。

★神様と適合する Attunement with God

私たちには、その気持ちを調整していくれる方が必要です。子供の例。子供は、前にも言いましたが、赤ちゃんの時、泣いたら、母親が来てあやしてくれる、母親のにっこり笑顔を見てにっこりする。赤ちゃんには、まだ自分の感情を自分でおさめることができないので、お母さんと一緒に感情をおさめることを一緒にこうやって習得していきます。適合
神様と適合していくことについて、聖書は、次のように言っています。

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

★礼拝について Worship

—Pick me up – Toddler 二歳児の抱っこしてのポーズ。子供は教えられなくても、自分をケアして感情をなだめてくれる人を求めている。心のケア。私たちは礼拝する時も、同じポーズをします。手を上げて自分たちよりも大きな存在を求めるポーズをとることでドーパミンが出るそうです。人というのは何歳になっても、その存在を求めている。90才になっても、まだ、助けて下さい。と大きな存在を求めてるのが人間である。人は、神を礼拝するように造られている。そして、礼拝の中に、神との直面があり、感情がレギュレイト調整、消化される。これが癒しと成長を私たちにもたらすんです。

★この世と調子を合わせる Conformed with what?

心の一新が無ければ—私たちのマインド、心は流動的なもの。いつも流れている。Our mind is plastic, and it is flow of energy. いつも何かに形作られて存在する。もし、私たちが、今、神様と繋がっていないなら、この世の方にはまってしまうのです。

英語ではマインドを新しくするとある。マインドを新しくするには、古い考えを捨てて、新しい考えに帰るということであり。考えが変わると行動も変わります

神の御心を知るには、神様と顔と顔とを合わせることから始まる。
今、目の前にいる神様に助けを求めながら生きる。神様に繋がりながら生きるには、乗り越えないといけないことがある。

★Vulnerability 脆弱性(ぜいじゃくせい)

Vulnerability  裏表なく裸になること。が、今を生き、今、主にとどまるに必要なこと。自分の必要、心のニードを表すこと、それを隠さないことは、vulnerable. ですね。

これは、神の前にももちろんそうですが、人に対しても同じことです。Renewing your mind のYOUR は複数形であり、コミュニティ全体をさしています。

わたしたは、神様とも適合し、また、教会の兄弟姉妹ととも適合します。そのようにして、私たちの心を一新し、共に、今を生き、神の働きをしていくのです・




#イエスキリスト #新約 #礼拝

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主は私の羊飼い。The Lord is my shephard

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今週は、たくさんのホライズンフ... 今週は、たくさんのホライズンファミリーがシアトルに里帰りしました。不思議です。まるでみどりさんのメモリアルに合わせるかのようにしてみなさんシアトル入り。礼拝では、ちえちゃんと、みわちゃんが証しをしてくれました。神様の愛に感動。感動。とてもパワフルな祈りの時にもなりました。こうしてシアトルの教会に帰ってきてくれること、私たちにとって大きな祝福です!!
2016年8月14日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/5J4-1lZ-V5Q

昨日は、私たちの愛するみどりさんのメモリアルサービスでした。昨日のメッセージを準備している中で思い浮かんだ言葉は、なんと、三年前のみどりさんの快気祝い証し会の時のみ言葉と全く同じでした。神様に、とらえられて、持ち運ばれたみどりさんの人生がみ言葉を指ししめしていたことを改めて覚えました。今日は、そのみ言葉の一つ詩篇23篇をご一緒にメディテイトしていきたいと思います。

詩篇23篇

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters. 
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

この詩篇は、イエスキリストの十字架を示す詩篇22篇と、再び来られるイエス様を指し示す、詩篇24篇に挟まれています。詩篇23篇は実に、今ある私たちのためのイエス様と私たちの生き方を指示しています。

羊について;

羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近いくしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が門となって眠ります。

V1  主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

羊の説明からも、羊には、羊飼いがいなければ、えらいことになるということがわかりましたね。詩篇23のはじめに、「主は、私の羊飼い。」とあります。「私の」羊飼いとあるとおりに、羊飼いとの個人的な出会いが私たちには、必要です。私たちは、迷いやすく、また弱いので、守ってくれる羊飼いが必要なのです。でも、誰が私の羊飼いか、知らなければ、さらに迷ってしまいます。
あなたの羊飼いは、誰でしょうか? あなたは、私の羊飼いと言える方にもう出会いましたか?

V2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters.

人にはみな名前があります。そして、私は、個人的にそれらの名前は、神様から来ていると信じています。みどりさんの名前は、いつも、この場所から取られたのだと思っています。神様は、目が見えず、方向音痴で、どこに私たちを生かす食べ物かわからない私たちをちゃーーんと、導いて、そして、豊かなみどりの牧場で十分食べさせてくださるかたなのです。肉体的にも、霊的にも養ってくださいます。

V3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 

病は、気からという言葉がありますが、私たちの心に元気がないと、体まで病気になってしまいます。また、いくら体が元気でも、心が元気でないなら、私たちは、何をしてもうまく行きません。みどりさんは、最後の三か月、大変解放されました。癒しを経験し、解放を経験しました。それも、神様の御名のために、イエス様がそう導かれたのです。義の道というのは、神にあって正しい道。イエス様の道です。神との和解、人との和解、自分自身との和解の道です。その道は、赦しの道であり、赦された喜びの道であり、心の問題の清算の道です。私には、負いきれない心の問題だ。しこりだと思うことがあるかもしれません。しかし、御名のために、それがなされます。あなたにかかっているのではなく、神の上にその責任がかかっているのです。神はまた、あなたをそうして義の道に導き自由にしたいと思っておられるのです。

4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.

みどりさんは文字通り死の陰の谷を肉体的にも精神的にも通られた方でした。しかし、そんな中で、ともにいて下さるイエス様を見つけられました。がんの治療をしている時から、私はもうすべて神様にお任せしているの。。。とおっしゃっていました。

あなたのむちとあなたの杖。。。。羊は、物覚えも悪いので、あらぬ方向に行ったりしてしまいます。そんなとき、目の見えない羊に、羊飼いは、ピシッとむちをやります。そっちじゃないよ、こっちですよ。と。また、アンルーリーな羊には、ぐいっと杖で首根っこを引っ張り引き寄せます。どうしょうもないおてんば、暴れん坊には、仕方なく、足を折って、肩に担いで旅を続けたりします。崖から落っこちたり、群れから外れてオオカミに食べられるよりは、けがをさせても、羊飼いの肩に担がれて運ばれている方が安全だからです。

近視眼の私たちは、痛みを嫌がったりしますが、ダビデは、主の矯正は、慰めである。とさえ言っています。

5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.

自分に敵がいる時ほど、心が落ち着くことはありません。食欲だってありません。戦いの時は、いつも腰を落ち着かすこともできません。しかし、この個所は、当時のミドルイーストの客のもてなし方だそうです。私たちの羊飼いイエス様は、戦いの最中にあっても、私たちのために、食事を用意し、仕え、そして、私たちを歓迎いて、客人のもてなしの一つである、頭に油を注いでくださるのです。そして、私たちの人生は、私たち主導の、いつも戦いの中で、切るか切られるかの、striving なものではなく、主にあっては、主がすべてを握っておられて、また祝いのパーティの席の様だというのです。

あなたは、何に対して、がんばって戦っていますか? これは、主の戦いであって、主がすべてをカバーしてくださってることを知りましょう。

6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

羊飼いは、先頭をきって普段は羊を導いているようですが、私たちの羊飼いは、後ろからも追いかけてくる羊飼いです。私たちは、神様の声を無視して、神様から離れて忙しくしてしまうことがありますが、神様は、いつもいつくしみと恵みをもって私たちの後ろを追いかけてまでくれる方です。どこまでも、神様主導の祝福の道なのです。

みどりさんも、天の永遠の家に帰りました。永遠にいつまでも、主の家に入られました。私たちもこの恵みの家に住まいましょう。

もう一度いいます。誰があなたの羊飼いでしょうか?

主はわたしの羊飼い。私は乏しいことがありません。 主との個人的な出会いをまず求めましょう。また、日々求めていきましょう。


#イエスキリスト #キリスト教 #教会 #礼拝 #聖書

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