我が居住区は、埼玉県上尾市上尾村。市の行政区の中に「村」と言う名称はカッコが悪いそうで、町名変更されるそうです。当事者でないと門外漢ですが、私は「上尾村」をこよなく愛し続けたいと思っています。
JR高崎線上尾駅から徒歩10分でそこから3分、我が居住区の側に梨園・葡萄園・地元で採れた野菜等の農家の直売所があります。
「上尾村」いいじゃないですか。我が村も住宅が密集してきました。新しく移住してきた人口が古い我々居住者の人口を上回ってきました。「上尾村」の地名は、その人たちにてかっこ悪いそうです。
写真はそんな上尾村の我が居住区から徒歩2分の葡萄園の一枚です。
平成20年7月9日(水)
私の営業ビジネスは月に二回、私の居住区は埼玉県上尾市上尾村、ビジネスには神奈川県海老名市に出かけます。交通機関はJR湘南高崎線と小田急線、帰路は、小田急線の特急列車にて缶ビール一缶で新宿まで、新宿からはJR湘南高崎線グリーン車で上尾駅まで缶ビール一缶、と言うささやかな贅沢ビジネスです。
いつも通り新宿発5時23分発のグリーン車両に乗車、座席はほぼ満席状態、唯一の空席を見つけて席に座った隣に、若い赤ちゃん連れのお母さんがいました。
ビールを片手にお母さんを無視して赤ちゃんに話しかけました。話かけると言っても生後6ケ月の赤ちゃんです。その赤ちゃんの笑顔が天使のようでした。赤ちゃんを介してお母さんとの会話が始まりました。その赤ちゃんを連れたお母さんの下車駅は、新宿から約30分の距離です。話のきっかけでインターネットのブログの話になりました。私のHome Page「岩魚とヤマメが釣れるHome Page」の紹介したところ、お母さんも楽天のブログを始めたとの話、コメントが毎回ゼロでがっかりしていましたが、一般のブログへ投稿する人はコメントの期待よりも、子育ての記録と思って投稿すべき、この赤ちゃんにお母さんもお父さんも教えられることがいっぱいあるはずです。
ブログのコメントなんか気にしないで、この可愛い赤ちゃんのためにも、育児記録をブログに残してください。とかっこつけて言いました。
可愛い赤ちゃんと若いお母さんとの30分間の会話でした。出合
夫と妻・お父さんと子供・お母さんと子供・おじいちゃんと孫・おばあちゃんと孫・みんな家族です。特に中学以上のお子様を持つ家族で、悲しい時もうれしい時も、肌のぬくもりを感じる行為をしたことがおありですか?
夫と妻、夜の寝室をともにする以外に、肌のぬくもりを感じる行為をしたことがおありですか?
両親に打ち明けることをはばかる子供の悩み、言葉だけで「元気出しなさい」と言うよりも、両手を握って「元気だして・・・」
肌のぬくもりは愛を伝えます。その大切な「肌のぬくもり」を、私は忘れかけています。
愛する心と愛される心・・・それは両手を握りしめることからはじまります。
そんな簡単なことを、自戒も含め忘れていませんか?
今日平成20年7月1日(火)午後2時、私の目撃した衝撃の事実!
私の趣味の一つにパチンコがある。一週間に一回ぐらい予算五千程度で楽しんでいる。日常的にささやかのたのしみである。そのささやか趣味のパチンコの出来事である
同店出口付近の台の側で、中年の男性が床に倒れ、店長らしき男性が「救急車はまだか」の声がしたとき、サイレンの音がして救急車が止まり隊員が応急処置の作業に取りかかった。その状況の中で、左右と後ろのお客数人は、床に倒れている人を「俺にはそんなこと関係ない」と言わんばかりに、パチンコの玉をはじいる光景を目した。
床に倒れている人の側に、店員数人が心配でのぞき込んでいる状況下で、台にむかって玉をはじく神経が、私には到底理解出来ない。
床に倒れている人の側で、よく遊技が出来るものである。他人には何も出来ないは当然であるが、少なくとも遊技をやめその場所を離れ、心配はしながら見守ってあげるべきである。言語道断、無神経ここにいたれりと言う所行であった。
公衆の面前で迷惑行為を受けて困っている人を、このような人たちが見て見ぬふりをして「そんなの関係ない」と言う精神の持ち主ではないかと初めて思った。
・傍観
かかわり合わずにそばで見ていること。物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず、何もしないで見ていること。
・無関心
気にかけないこと。興味を示さないこと。また、そのさま。
・無視
存在するものの価値や意義を認めないこと。ないがしろにすること。
お久しぶりです。ブログの書き込みは6月20日以来です。
今日の主題は我が家に於ける環境問題です。我が家は家族構成は夫婦二人と嫁に行きそびれた長女と三人暮らしです。
端的に本題に入ります。我が家では朝食は食パンとバナナ又は自家製の野菜サラダです。
朝食の済んだ後の食器の洗い方です。
妻と娘の洗い方:洗い桶(古風な呼び方です)に食器を全部入れ、洗剤を入れ、ゴシゴシ洗って別に置き、もう一度新しい水を洗い桶にいっぱいにしてその中に全部食器を入れて、水道を出しっぱなしにして食器を一つずつ蛇口にかざして洗う方式です。
私の洗い方・・:食パンをのせたお皿は、洗剤をつけない布巾で水道の蛇口にかざして洗うだけです。自家製のサラダを盛ったお皿も、我が家ではサラダオイルを「ノンオイル」を使用していますので、パンのお皿洗いの方式に準じています。パンくずしか付着していないお皿です。何故洗剤をつけて洗わなければならないのですか?
昔取った杵柄です。男の料理で我が家のおせち料理の二十数年間も作った実績があります。
私の料理は後片付けまで全部処理します。二十数種類のおせち料理を作るには準備も含め
て3日かかりかかります。家族からの欠点の指摘は洗い方です。
洗い方が汚い!
皆さんにお聞きします。環境に優しい洗い方は前者の方ですか?それとも後者のほうです
か?
岩手・宮城内陸地震
今回の地震被害報道の中で、駒の湯温泉が、土石流被害で大きく報道されていたが、実は過去一五年前の記憶では数回宿泊した記憶がある。
経営者の女将さんも被害に遭われたとの報道・・・謹んでお悔やみ申し上げます。
私の渓流人生の過程で、「駒の湯」は忘れられない二つの思い出がある。
■思い出その一
駒の湯温泉は裏沢と言う渓流沿いに位置し、裏沢の上流はドゾウ沢と新湯沢に分岐している。早朝一番で宿を後にして裏沢に降りたものである。下図に駒の湯のすぐ下の堰堤がある。その堰堤の上には数カ所のポイントがあり、いつもそのポイントに第一竿を投じて釣り上がったものである。
岩手日報の写真、又テレビで報道される映像を見ても、以前の裏沢の清流はなく、土石流に覆われた無残な駒の湯温泉の残骸しか残っていない。
岩手日報記事の引用「
新たな死者3人が発見されたのは、チカ子さんの夫孝さん(86)一家が経営する旅館「駒の湯温泉」。地震による土砂崩れで倒壊しており、長男孝夫さん(58)と従業員3人が依然建物の下敷きになっている。」とある。
■思い出その二
栗駒山は、私が初めて熊と至近距離で出会った場所である。その時の経緯は私のHome Page
「熊と遭遇して危機一髪」http://touhokutarou.dee.cc/i-KUMA2.htm
でその時の経緯を詳しく記とてあるが、その熊と出会った時も、この駒の湯に一泊したのである。
そのほかに渓流で釣りしていた人が一人亡くなられたとの報道があるが、死者11人行くへ不明11人、負傷200人超といわれる今回の地震・・・・
あらためてお見舞い申し上げます。
まずこの事件の犠牲となられた方に、謹んでお悔やみ申し上げます。
犯人の人物像および性格等々、新聞又はテレビ等のメディアで見聞きしていますが、目的が殺人と言う狂気に走った原因は、当事者である本人すら解っていないのです。私は心理学と言う学問は門外漢ですが、「自分が何故狂気を実行しなければならないのか?」と言う原因を意識していればその人は狂気の実行を思いとどまったでしょう。
「復讐殺人」それには確実な動機があり、狂気ではなく正常な意識と言えましょう。
「狂気」とは、辞書によると「気が狂っていること。気違いじみた精神状態。」とあります。
「人間は一人では生きることができない」と言われています。動物は命の誕生をみたときから、餌を口にしなければ生命の維持は不可能です。人は、母親の乳房のふくよかさを感じながら無意識的にミルクを飲みます。と同時にコミュニケーションの始まりが、乳房を通しての母親との意識コミュニケーションなのです。
コミュニケーションとは意見交換なのです。親子、兄弟、親戚、同僚、知人、友人等々、会話がなければ生きていけません。その内容はまさしく喜怒哀楽の中身である会話なのです。サラリーマンが居酒屋でビール片手に上司の悪口を言う、酒に酔い、愛する彼女が振り向いてくれない苦悩をくどくどと愚痴をこぼす若者・・・
人は、生活の範囲があります。その範囲の中にしか真のコミュニケーションは生まれません。秋葉原の犯人は、殺人予告を掲示板に書き込み「誰からに止めてもらいたかった」とニュースでは報じています。
犯人の周囲に喜怒哀楽の会話がなされる人の存在があれば、この狂気の実行は未然に防げたかも知れません。
この犯人は、自分自身でコミュニケーションを拒絶するバリアを設けていたのかも知れません。しかしその自分自身でバリアを設ける原因は何だったのか?
命が誕生した時、母親のふくよかな乳房でお乳を飲んでいるときの犯人は、決してコミュニケーションを拒否しないはずだったのですか?
何故、どこから、この歯車が狂いはじめたのでしょうか?
梅雨の花と言えば=紫陽花と連想出来ますが、紫陽花寺とか箱根登山鉄道の「紫陽花電車」とか、地域によって紫陽花の花が咲く名所も当然違いますが、何故か紫陽花と言う花はお寺さんに多いように見うけられます。
私の居住する埼玉県上尾村でも、「紫陽花寺」と言うお寺さんが複数あります。
しかしこの写真は、距離は短いですが「紫陽花ロード」と言っていいほど道幅4メートルあまりの両側に、見事なまでの白い一品種だけの紫陽花が咲いています。
埼玉県上尾市上尾村居住、東北岩魚太郎の紫陽花のニュースでした。
ちなみに紫陽花の花言葉は、辛抱強い愛情、元気な女性、冷淡と言うのだそうです。
緑の向こうに見える空
その空に描く希望と言うimage
希望と現実の矛盾
その矛盾と格闘している私
私の終焉はその矛盾を解決出来るのか
それは私にもわからない
しかしそのことを教えてくれる時が訪れる
それは時間と言う経過である
この流れの中で私は終焉を迎える
緑の向こうに見える空
その時
この空の色は・・・・
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