父親は福井県今立郡現在の越前市に9人兄弟の末っ子として大正6年に生まる、 尋常小学校を卒業後、大阪に繊維関係の店に丁稚奉公として働く、今の若いは、 解らないと思いますが、昔し昔 ”番頭はんと丁稚どん”という番組が有りました。 北陸という寒い土地がらから、満州に出兵 除隊後、満州に軍属としてのこる、 母親は千葉県に生まれ東京世田谷育ち、軍属病院にタイピストとして働いていましたが満州にいけば給料がいいということで家計を助ける為に海を渡ったそうです。 夏の日は長く広々とした大地に野菜を植え、明日収穫をしようと話をしていた時、 満州の国境が破れ急いで逃げる準備をしなければなりませんでしが、父親は、仕事 の関係で、すぐに出発できませんでした、母親は、舞鶴に 父親は、下関にばらばらの到着、 家内の友達が、日本で放送された、大地の子のビデオを送ってくれました。涙なしに見れないビデオでした。満州の話を両親から聞いたことがありますが、あんなに、ひどいとは、思っていませんでした。今の、わたしが、この世に存在しなかったかもしれません。