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景気循環と国鉄 第2話 経済の発展と国鉄

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151系 国鉄のパンフレットよ... 151系 国鉄のパンフレットより
画像引用 Wikipedia
昨日も書きましたが、朝鮮動乱に伴う外貨の獲得は日本に好景気をもたらすきっかけとなり、昭和29年からは神武景気と呼ばれる好況な状況が作り出され、貨物・旅客ともに需要は増えていく状態でした。
 そんな中で、国鉄では積極的に輸送力の増強に努めるとともに、ディゼルカーによる地方ローカル線の輸送改善なども本格的に行っていきました。
当初投入されたのはキハ01と呼ばれる気動車で、戦時中に不要不急路線として撤去された白棚線復活用の車両として計画されたものですが、ご存じのとおり白棚線はその後専用道で復活することとなりましたが、白棚線に代えて、木原線(現在のいすみ鉄道)に投入することとなりました。
 模型等で見られた方も多いと思いますが、キハ01は両端にドアがあるタイプで、これは元々路面電車タイプで復活させることを目的としていたからだと言われています。
 当時は、自動車も発展途上の時代でしたが、既にその頃から地方ローカル線の扱いには国鉄も経費節減に努めていた他、地域特別運賃の導入や、レールバスの導入といったあらゆる経営努力はしていましたが、実効は上がらなかったようです。

「戦後は終わった」の合言葉とともに、始った30年代、巷では神武景気、更にはその後なべ底不況を経て、昭和33年6月から昭和36年12月まで続く岩戸景気に繋がってといわれた好景気に支えられ、国民経済は大きく発展しました。
 当時は投資が投資を呼ぶと言われ、マネービルという言葉が使われ出したのもこの頃でした。
 マネービル、ボディビルを真似た造語のようで、証券会社が積極的にこの言葉を使っており、当時家風呂が無かったのでよく銭湯に連れて行ってもらったのですが、銭湯の洗い場の鏡などに証券会社の宣伝が入っていて、マネービルという言葉が書かれていて、幼稚園児であった子供には何のことか理解できなかったと言う思い出があります。笑
 サザエさん(原作)でも、マネービルという話題が出てくるのもこの頃で、空前の投資ブームと言われました。(今のビットコインのような感じでしょうか)
 そうした好景気に浮かれる話がある反面、森永砒素中毒事件や、水俣病(当時は、原因は不明の精神疾患が多発と報告されていた。)などの食品に関する事件が起こっていた時期でもありました。
 この辺は、本題から外れますので省略させていただきます。

 話題を鉄道に戻しますと、昭和31年11月には最後まで非電化で残っていた米原~京都間が電化され、東海道線は全線電化が完成。
 これによりC62やC59など特別幹線用機関車はその活躍の場を山陽本線に移すとともに、東海道区間は快適な電化の旅となり、特別急行用の機関車には、淡いグリーン(通称青大将塗装)のEF58が客車とともに準備されました。
 当時は、現在と比較にならないくらい貧富の格差が激しく、特急は特別な人が乗車する列車であり、一般庶民は急行が最も早い列車と言われていました。
 その代わり、編成の半分以上が1・2等車(現在のグリーン車)という徹底ぶりで、(普通車は3等の時代です。)食堂車には、2等車以上の客しか入れないそんな風格のある列車でした。
景気拡大が続く中、昭和33年には、動くホテルと揶揄された、20系客車が151系「こだま」とともに、デビュー、ビジネスライクなこだまに比べ、個室寝台を1等座席車、食堂車などからなる全室冷暖房完備の車両は庶民の憧れと言えるものでした。
完全冷暖房、固定窓による快適な車内はたちまち人気となり、こだま同様切符の取れない列車として有名になりました。

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景気循環と国鉄 第1話 神武景気と鍋底不況と国鉄

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いただき物の画像から モハ52... いただき物の画像から モハ52形電車
京阪神急行を走ったモハ52もこの時期になると都落ちして飯田線に転出していった。
今回は、オリジナル記事として神武景気と鍋底不況と国鉄と言うことで書かせていただきます。
日本史で聞かれたことはあるかと思いますが、神武景気は昭和29(1954)年 12月から 昭和32(1957)年6月まで 31ヵ月間続いた好景気の俗称ですが、国鉄も、好景気を受けて第1次5か年計画がスタートするのは前述した通りですが、その原資となるべく運賃値上げは当初18%で申請しますが、運輸審議会の答申でその値上げ額は15%に圧縮され、さらに国会審議を経て13%に圧縮されたと言われています。
そこに来て、第1次5か年計画の当初に国際収支の悪化を端緒とした、公定歩合の引き上げが5月を始め、金融引き締めを強化したことで景気は後退、不況期(後になべ底不況と呼ばれる)に入りました。
これにより、鉄道輸送も大幅に後退を余儀なくされ、好景気を元に組んでいた予算ベースで比較すると、旅客収入で10億円、貨物収入では30億円の不足、計40億円の収入不足が見込まれるうえ、利子支払いの増加(約14億円)や、物件費などの増加(120億円)に入り、国鉄としては、初年度から計画にかなり無理が生じる形となりました。

その後、昭和33(1958)年7月からは日本銀行の金利引き下げと国内消費の回復で岩戸景気と呼ばれる景気回復局面に入りました。
この時は、積極的に工場などが建設され、投資が投資を呼びと言われた時代でしたが、国鉄の場合は輸送量の増加以上に人件費の増加、更に支払利子の増加が大きな足かせになったと言われています。
当時は人件費だけで100億円毎年増加し、利子払も34億円の増加したという記録があり?。
人件費の増加はいびつな年齢構成にあることがこの頃から指摘されており、適切な人員配置などの合理化がなかなか進まなかったことも原因と言われています。
どうしても趣味誌ベースで考える部分だけでは見えてこない、問題がいくつか潜んでいるように思えてなりません。

追記 2018/12/19

当時の大蔵省【現・財務省】の考え方としては、国鉄の改良工事などの必要性は認めつつも、政府は国鉄の施設改良に関しては、自前の資金調達などを促していました。
国鉄では、下記のように、「建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦しく」という件があるように、国鉄のこうした施設改良はどこまでも国鉄の自力で行輪ざるを得ない状況でした、そのうえ、昭和32年には、地方納付金という名目の固定資産税が国鉄を含む公社に加算される上、国鉄のローカル線は国鉄の意思とは関係ないところで決定されて勧告されるという矛盾を持つことになるのです。

工事勘定の支出の面では、建設費が前年度の七O億から九O億に増額されているのが目立つ。従来から建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦し〈、五ヵ年計画の達成には工事費の節約等にも特段の努力が要求されるのである。

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高度経済成長と輸送力増強 第4話 昭和36年10月改正と全国特急網の完成

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昭和36年10月ダイヤ改正 伯... 昭和36年10月ダイヤ改正 伯備線 準急しんじ
宇野発博多行き
「もはや戦後ではない」が合言葉となった昭和30年代、昭和33年に初めて特急電車「こだま号」により6時間半で東京~大阪間を走破するようになりました。
昭和30年代という時代を総括しますと、なべ底不況と言われた景気調整局面は有ったものに、昭和29年から昭和36年12月まで右肩上がりの経済成長を遂げた時代と言えます。
経済成長と公害問題をの両方を内包した時代ではありましたが、経済の成長は確実に個人所得を増やし、三種の神器と呼ばれた(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)の購入することが目標となった時代でした。
道路の整備なども進み、高速道路建設が計画される等国鉄を取巻く環境も変わりつつありました。
昭和36年10月改正時刻表から
そんな中、国鉄は昭和36年10月1日に全国白紙ダイヤ改正を行います。
当時の部内誌(国鉄線)を参照しますと、このダイヤ改正は3年前から準備されたとのことで、この改正の画期的だったことは全国に一気に優等列車網(特急列車網)を誕生させたことでした。
実際に、本社内でもこれだけの列車を作って大丈夫だろうかととう不安もあったそうですが、積極的な特急増発させた背景には、高度経済成長に伴う大都市間の流動が急激に増加したことや先ほども書きましたが、東名高速や名神高速に代表されるような高速道の建設が決定したことに対する不安でした。
 現時点で積極策に出ないと国鉄の将来は危ういという意識が幹部にあったからだと言われています。
 実際、特急網の充実は目を見張るものがありましたが、特急以外にも、気動車を使ったユニークな列車も設定されました。
 その一例として、
 宇野発(9:30)伯備線・山陰線経由 博多(22:00)行き と言った列車がありました。
 今では考えられないような列車ですが。笑
 
参考 https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/e/e437d326ce9651a44d713d3cc20b900c
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高度経済成長と輸送力増強 第3話 第2次5か年計画と国鉄

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高速鉄道として新幹線の建設が第... 高速鉄道として新幹線の建設が第2次5か年計画の目玉となりました。
昨日は、地方納付金の話にお話がずれたのですが、その辺のお話はまた改めてお話をさせていただくことになるかと思います。
 再び第一次5か年計画のお話に話題を戻したいと思います。

 第一次5か年計画は、老朽資産の取替という目的だけは100%達成し、動力近代化(蒸気機関車を1975年までに全廃し、電気もしくは内燃機関による運転に切替)の端緒も開けましたが、肝心の輸送力増強が追い付かず、昭和35年までで20%程度であったと記録されています。
結果的に輸送が行き詰まり運輸収入が伸びないので、現金が不足することとなり、経済成長に伴うインフレで人件費の向上や物件費の高騰もあいまって、当初予算は昭和35年度で枯渇、昭和36年度を初年度とする新たな5ヵ年計画が立てられることとなりました。

 ここで、注目していただきたいのは、輸送力増強計画は、時の政府の意向に沿って計画されているということです、この点は特に注目しておいてください。
 第1次5ヵ年計画の際は、政府の経済自立計画に即応して立てられた施策であり、第2次5ヵ年計画はこれまた、池田政権による所得倍増計画に呼応したものでした。
 これを見ていると、JR東海の葛西氏が仰っていたとおり、計画のための計画をむしろ政府の尻馬に乗って動いており、誰もそれに対して責任を負わない体制が既にこの頃に出来上がっていたのではないかと思える節があります。
 さて、そんな中で、第二次5ヵ年計画では、以下の方針が確認されました。
1. 主要幹線の線路増設と輸送方式の近代化
2. 経営の合理化

 戦前の老朽化資産(木造客車の鋼体化を含む)の更新はほぼ第1次5か年計画で達成したと言われていますが、蒸気機関車による牽引を電化やディーゼル化による動力近代化などで経営の合理化を図ることを意図していました。
 第2次5ヵ年計画の目玉はなんと言っても、新幹線の建設でありこの点は、章を改めてお話したいと思いますが、新幹線建設は、東京オリンピックの開業に合わせるという、非常にハイスピードな建設が求められることとなり、建設費の急騰もあいまって、国鉄財政を急激に圧迫していくこととなりました。

以下に、昭和39年の運輸白書から、第2次5か年計画の概要が 載っておりましたので書かせていただきます。
 (1) 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
 (3) 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
 (4) 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
 (5) 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
なお、この第2次5か年計画も昭和39年度には頓挫することとなり、昭和40年度から昭和47年度の7カ年の第3次長期計画が計画されることとなりました。
 なお、昭和39年度の運輸白書によりますと、第2次5箇年計画は,38年度でその第3年目を終了し,39年度計画を含めた進ちよく状況は, 全体で69%東海道新幹線を除く一般改良工事では,58%ということでこちらも計画半ばで見直しを図ることとなりました。
こうした事例に対しても、国鉄自らの借り入れ金(財政投融資や鉄道債券による調達)で行われたことがその後の経営を圧迫していくことになるのでした。

参考 昭和39年運輸白書 第3章 重点的に整備増強を図る輸送力 第1節 幹線輸送力の増強 対策一国鉄第2次5ヵ年計画 参照
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa39/ind040301/002.html
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高度経済成長と輸送力増強 第2話 地方納付金と言う名の税金

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宮前駅に進入するキユニ25先頭... 宮前駅に進入するキユニ25先頭の普通列車
元々国鉄は非課税組織であった。

国鉄は、元々は国の機関である運輸省から派生したもので、その公共性から、国鉄法第六条では左記のように非課税が明記されていました。

第六条 日本国有鉄道には、所得税及び法人税を課さない
2 都道府県、市町村その他これらに準ずるものは、日本国有鉄道に対しては、地方税を課することができない。但し、鉱産税、入場税、酒消費税、電気ガス税、木材引取税及び遊興飲食税、これらの附加税並びに遊興飲食税割については、この限りでない。

昭和二三年制定 日本国有鉄道法

このように、国鉄は地方税が賦課されないとされていましたが、昭和二八年に地方税制が左記のように改正される事となりました。

地方税の改正で、国鉄も課税対象に

地方税法の一部を改正する法律 法律第二百二号(昭二八・八・一三)
 第三百四十八条 第一項中「、財産区、日本専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本放送協会及び鉱害復旧事業団」を「及び財産区」に改め、同条第二項各号列記以外の部分中「(第十号の固定資産を除く。)」を削り、同条同項第二号を第三号とし、以下第九号まで一号ずつ繰り下げ、第九号の二を第十一号とし、第十号を削り、第十一号を第十二号とし、第十二号を第十三号とし、第一号の次に次の一号を加える。
二 日本専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本放送協会及び鉱害復旧事業団が直接その本来の事業の用に供する固定資産で政令で定めるもの


固定資産税が賦課されることになりましたが、この対象は下記の通り


  • 宿舎・職員の福利厚生施設(病院・診療所は除く)

  • 遊休状態の土地・建物

  • 発電所・採炭施設

  • 専用側線


等は固定資産税が課税されることとなりました。

(当時国鉄では、信濃川に発電所を持っていたほか、志免炭鉱を海軍から払い下げを受けて保有していました。)
当時国鉄では、信濃川に発電所を持っていたほか、志免炭鉱を海軍から払い下げを受けて保有していました。

更に、昭和二九年には不動産取得税が地方税の一つとして創設され、国鉄でも土地を取得した場合などでは、納付することとなり、地方税の非課税部分が減っていくこととなりました。

昭和三一年、地方納付金制度誕生

当時、地方財政の補助的存在として、公営競技と呼ばれるものがありましたが、全国的なギャンブルへの反対などの世論もあり、地方財政健全化の一環で、地方納付金制度が創設されることとなりました。
正式名称は、
「国有資産等所在市町村交付金及び納付金に関する法律」法律第八十二号(昭三一・四・二四)

この法律により、非課税として残されていた、事業用固定資産(操車場・機関区・電車区など)についても、課税の対象となりました。
さらに、車両についても課税対象となるわけで、所属する車両基地に対して納付金が支払われることとなりました。
この制度では、電化などで設備が増えればその分だけ納付金も増えるため、国鉄の税負担は更に大きくなり財政的にも厳しさがますことになりました。

もっともこの制度は、国鉄だけではなく、公社であった、電電公社・専売公社も対象になりましたが、国鉄の場合、前述の通り線路や車両も対象となるためその負担はかなり大きなものとなりました。
これ以外に、都市計画税・軽油取引税が制定され、国鉄はこうした地方税に対しても対応することとなったため、非課税で残ったのは、国鉄所有の固定資産のわずか3%だけでした。

鉄道建設公団が建設した路線は誰が所有?

昭和三九年から鉄道建設公団が発足し、地方開発線(AB線・基本無償譲渡路線)と主要幹線及び大都市路線(CD線・有償譲渡路線)が有りましたが、昭和40年度には、鉄道建設公団が建設した鉄道施設は課税対象でしたが、地方税法の一部を改正する法律 法律第四十号(昭四一・三・三一)で改正され、鉄道建設公団の施設は全て非課税となり、有償貸付路線に関しては、国鉄が地方納付金を支払うこととなりました。


 余談ですが、公営ギャンブルの解禁も同じような理由からでした。(国に財源が無く、さりとて国債の発行で賄わないとする考え方が根底にあり、安易に国鉄などの公社に頼ったり公営ギャンブルという形で賭博を温存させたと言えましょう。)
 
参考 地方納付金とローカル線
http://blackcat-kat.at.webry.info/201701/article_3.html

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高度経済成長と輸送力増強 第1話 輸送力増強

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第1次長期計画では主に、複線化... 第1次長期計画では主に、複線化等に主眼が置かれたが、準急気動車の投入なども行われた。
 今日からは、戦後の老朽資産取替と電化・複線化等による輸送力増強のお話を中心に進めて行きたいと思います。

昭和30年代とはどんな時代だったのか?
さて、ここで技術的な話から少し外れて、昭和30年代のお話をしてみたいと思います。
昭和25年の朝鮮戦争を契機として、日本は本格的に復興の道を歩み始め、昭和30年前後には、国民所得が戦前の水準を上回る水準にまで達し。「もはや戦後ではない」という言葉が言われたのもこの頃です。
重厚長大産業(鉄鋼など)の発展は著しいものがありました。
国鉄ではこれら産業基盤の整備の一環として、動力の近代化と幹線の電化などで対応しようとして、積極的に電化工事等が行われました。
昭和32年には、「第一次五ヵ年計画」が策定されて実施に移されましたが、そのときの基本方針は次のようなものでした。

1. 老朽施設・車両を更新して資産の健全化を図り、輸送の安全を確保する。
2. 現在の輸送の行き詰まりの打開と無理な輸送の緩和を緩和を図り増大する輸送需要に応じるよう輸送力を強化する。
3. サービス改善と経費節減のため、輸送方式、動力、設備近代化の推進

このための投資は5,020億円と言われましたが、この整備に必要な資金は、独立採算の建前上、国鉄が自前で調達しなくてはなりませんでした。
 さらに、国鉄にはこれ以外に新線建設(ローカル線を含む)も担っていました。
このとき、政府が少しでも援助していたならば国鉄のその後も変わっていったかもしれませせんが、
 政府から国鉄にこうした援助を行うということはされませんでした。
 また、国鉄も「政府の現業機関」であると言った意識も強かったように感じます。
 国鉄と運輸省の関係では、国鉄の方が実質的な権限を握っていました。
 JRのATSが私鉄のATSと比較して、簡易なもので整備されたのは、国鉄が自ら規格を作ってそのまま実行すると言ったことが行われたからになります。
整備新幹線などがその典型的な例と言えるでしょうね。
新幹線の規格自体は、国鉄が決めていったわけですから。
そうした点は、かっての「電電公社vs郵政省」の構図と同じものがありました。
特に、国鉄発足時に運輸省の高級官僚の多くが国鉄に移ったこともあり、国鉄>運輸省の意識が運輸省内にも国鉄部内にもあったと言われています。

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交流電化の夜明け 第4話 交流電化の功罪

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写真は485系の電気機器を外し... 写真は485系の電気機器を外した183系仕様ですが、485系は全国の国鉄電化区間(中央東線等一部を除く)に入線できる電車として重宝されました。
〇交流電化のメリット
交流電化のメリットは、地上設備(変電所)の削減、直流では数キロ置きに設置される変電所が数十キロと長くなるほか、高い電圧を流せるので電流量が減少するため饋電線を細くすることが可能となり、その結果電柱などの構造物も軽くなると言うメリットがあると言われました。
〇デメリット
実際には狭小トンネルなどの場合路盤の掘り下げもしくは新規のトンネル開削などを行う必要が生じたこと、更に当時の国鉄の方針として動力分散化が進められていて機関車列車よりも加減速などでも有利な電車が優先されたことから、メリットよりもデメリットが目立つようになってきました。

 結果的に、在来線における交流電化は、東北本線の黒磯以遠、九州・北海道の一部区間のみとなり。
その後実施された電化区間は既に直流で電化されている区間と区間を繋ぐ部分が多いことから交流電化とはなりませんでした。
例外としては、丸森線を引継いだ第3セクターの阿武隈急行電鉄が交流20000Vで電化して開業したほか、つくばエクスプレス線が茨城県石岡市柿岡にある、地磁気観測所の関係で、交流電化として開業したと言う例を除けば直流電化が選択されています。
福岡市営地下鉄空港線に乗入している筑肥線が九州では例外的に直流電化になっているのは、ご存じのとおりです。
 ただ、新幹線の場合は高速運転で集電容量も大きいことから、直流ではなく交流、在来線よりも更に5000V高い25,000Vで電化されているのはご存じのとおりです。


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交流電化の夜明け 第3話 米原田村間を結んだED30

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ED30 交流技術から引用... ED30 交流技術から引用
昭和35年10月交通技術、北陸... 昭和35年10月交通技術、北陸本線の交直設備案、検討記事から引用
北陸本線は、昭和32年10月1日、田村駅~近江塩津駅~敦賀駅間が交流電化されましたが、米原~田村間は、その区間を非電化として蒸気機関車(E10)で連絡したことは前述しましたが、昭和昭和38(1963)年12月28日、米原駅~田村駅間が直流電化され、田村駅の米原寄りにデッドセクションが設置されることとなりました。
米原~田村間は小運転の専用機関車で接続すると言うことで、EF55-3の部品を流用して(実際はモーターなど一部のみ)(記事によればEF10という記述もあり)の直流機器と475系の交流機器を使って昭和37(1962)年10月初旬に浜松工場でED30形電気機関車が誕生したそうです。
 この機関車の特徴は低い屋根と、そこに交流機器を無理矢理載せたので、かなり屋根がひしゃげた印象を受けるEF13の近代化版とでも言える車両でした。
 結果的には、試作車は1両のみに留まり、柳ケ瀬線廃止に伴い余剰となったDD50にその任を譲って、鉄道技術研究所で保管されることとなり、昭和51(1976)年に廃車されています。
151系電車の成功以降、高加減速が期待できる動力分散列車(いわゆる電車や気動車)が増えてくると、交流電化のデメリットが目立つようになってきました。
そうです、車両価格が、直流車両に比べると割高になることです。
 特に交直流電車の場合、直流電車に変電所を搭載してるようなものですから、車体は重くなるし車両価格も高くなるのは当然で、その後交流電化が下火になる原因を作ったと言えるかもしれません。


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交流電化の夜明け 第2話 仙山線の成功と北陸本線電化

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ED70 画像Wikipedi... ED70 画像Wikipediaから引用
このとき導入されたのが、交流整流子式電動機を採用した直接式機関車ED44(ED90)形と水銀整流器を用いたED45(ED91)形であり、当時はその性能が未知数であったこともあり、両方式が比較検討されることになりました。
当時の資料などを参照しますと、技術陣は当初は直接式を本命としていたようです、ただし下記にも書きましたように直接式の場合起動時に整流子(ブラシ)から派手に火花を飛ばしながら走るため、 運用ごとにブラシの清掃や交換が必要となったと言われています。
 その反面重量面では不利になるものの、整流器式は想定以上の性能を示し、水銀整流器の寿命(当初は5年から10年程度と言われていた)や、高周波問題などの問題を解決する必要があったと言われています。
最終的には、水銀整流器を採用したED45が、25‰勾配(1000mで25m上昇の意味)における引出し試験で、ED44が360tの性能であったのに対し、ED45は600t(ちなみに、定格出力はED45 の方が上)を示し、当時のF級直流機関車とほぼ同等の性能を、D形で実現したのでした。
これは、水銀整流器による界磁制御粘着性能の直流F機と同等の性能を示したのは驚きであったと言われました。
 こうなると、交流電気機関車は間接式(整流器式)を中心に考えることとなりました。
 商用周波数による交流電化の目処が付いたことから、国鉄では幹線区間における電化は交流電化で行くことを決定しました。
 その第1弾として北陸線 田村~敦賀間が選定され。(これは、60Hz区間における交流電化を検証する意味合いもあったようです。)
 昭和32年10月1日 北陸線 田村~敦賀間交流電化が完成、(木ノ本~近江塩津~敦賀間新線開通、旧線は柳ケ瀬線として存続)し、ED70形がED45形をベースとして18両製造されました。
柳ケ瀬線に関しては、柳ケ瀬線の廃止を当時の資料から振り返る
https://local-line.at.webry.info/201802/article_5.html
も併せてご覧ください。
なお、ED70形機関車は、長浜鉄道スクエアに1両保存されています。
特徴ある全面の入口部分が溶接されているなど、原型を崩してしまっているのは寂しいことですが、量産型交流機関車の始祖として永久に保存していただきたい車両です。

昭和34年には東北線黒磯以北が50Hzで電化が始まり、ED70を改良した高出力機ED71が昭和33年の試作機を経て38年まで製造され、長く東北本線の顔として君臨していました。
なお、北陸本線に関しては交流と直流を直接つなげないので、米原~田村間を非電化とし、蒸気機関車(当初はE10)で接続を行っていました、東北本線黒磯では、黒磯駅構内に共用区間を設けて、そこで交直切替えを行う。機関車交換方式をとっていました。(現在、北陸線は敦賀まで直流化されており、デッドセクションはそれ以遠に設置されています。)

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交流電化の夜明け 第1話 商用電化の実用化

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ED4511(画像はED911... ED4511(画像はED9111) wikipediaから引用
仙山線での試験で試用された1両、整流器式を採用しその後の交流機関車の基礎となった。
終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。
海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決してコスト的に安いものではなかった)が完成したとのニュースは、日本における交流電化に向けて大きな励みになりました。
早速日本でも、昭和28年、交流電化調査委員会が設けられ、研究が開始されました。
当初は、実用実験に入るため、フランスから試作機を購入することを打診しますが、継続した車両の購入などを要求されるなど諸般の事情から、結局は輸入ではなく、国鉄を中心として車両メーカーが試作することとなりました。
当時、国鉄では経済復興に伴う輸送力の増強が求められており、さらなる輸送力の基盤整備を求められることとなり動力の近代化と幹線の電化は喫緊の課題となっていました。
 電化も推進されることとなりましたが、交流電化という新しい方式が注目されたことも事実で、その理由を列記してみたいと思います。

1. 交流電化方式は、直流電化と比較して地上設備が簡単安価。
2. 機関車の粘着性能が直流機関車と比して有利。
3. 列車本数の少ないローカル幹線などでは貨物輸送も、旅客輸送も行える機関車方式が有利
等の経済的メリットがあったと言われています。
 しかし、これは既設の直流電化と交流電化の接続を考慮しないことを前提としており、実際に、交直接続をどうするのかという点がその後大きな問題となってくるのでした。
 仙山線では当時、作並~山寺間が既に直流1500Vで昭和12年に電化されており、新たに北仙台~作並間を交流電化することとしました。
作並で交直切換設備を設けることで試験も出来ると考えたからでした。
交流電化は、変電所などの地上設備を少なくすることで、建設費用が安くなるとして、メリットがあると言われましたが、地上設備が安くなっても、機関車の価格が高くなってしまいました。
 さらに、旅客列車は動力分散化列車(電車)が主流となってくると、結局車両設備が高くなってしまうという矛盾が顕著になってきました。
 最近では、それほど交流電化のメリットが考えられないことから、北陸線の米原~敦賀間のように、交流→直流に戻す例も出てきました。
 話を、交流電化に戻しましょう。
昭和28年7月に設立された交流電化調査委員会は、初代委員長に副総裁の天坊氏、副委員長に、技師長の藤井松太郎氏(昭和48年から第7代国鉄総裁)が就任しました。
実験線に仙山線 北仙台~作並間を選び、昭和29(1954)年9月から地上設備の試験が行われました。
翌昭和30(1955)年8月10日には、交流化試験線として、仙山線「陸前落合~熊ヶ根間」が交流20kV・50Hzで電化、さらに、9月5日には、仙台~陸前落合間、熊ヶ根~作並間が電化され。仙台~作並間交流電化で営業運転が開始されました。



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