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赤の他人に粘着したりイライラして誹謗中傷をする人がいる。
精神分析によると「置き換え」と呼ばれる防衛メカニズムが働いているらしい。
そんな人は自分で自分をどんどん追い詰めているだろうね。
だから心に余裕を持てる仕組みを自分の中に持っていたい。
結局は口撃することで「自分をわかってほしい」と言っているだろう。
だからもしも気持ちに余裕があるのなら、粘着や誹謗中傷の裏にある相手の悲しい気持ちを受け止めてあげられたらいいが、なかなか難しい。
相手の訴えを受け入れて同意して、理解しようとしている事を伝えるといい、と精神科医の先生がお話していたとの事だが、その辺の理解が一番難しいなと思ったり思わなかったり。
思い残しの9割は自分以外の誰かがそこに存在しているような気がしていて、ということは思い残す過去は自分と誰かの間に存在しているということのかな。
とはいえひとりぼっちの過去に意味がないわけではなく、ひとりぼっちだった時に誰がそこに存在していたのか。
つまり自分以外に存在していた誰かがまだ生きていれば、行動次第である意味過去は取り戻せるし、書き換えられる!
憎しみは愛されたいの裏返しみたいに。
なんだかんだで
「過去にとらわれない!」
って言ってる人の方が、よっぽど過去にとらわれてるような気がする。というかそんな風に見えてる。
というかそんな風にしか見えなかったりする(笑)
どっちでもいいけど、全てがつながってるから、今の自分を癒してあげたら、きっと過去の自分も未来の自分も
「よくやってるね!」
って言ってくれているような、そんな気になる。
ゴールはだいたい一緒だけど、目標の立て方でその人が作られていくような感じがするな。
目指しているところは似たようでも、進む道によって一緒に歩んだり、後を追ってくる人がいる。
さらにそこにどんな『遊び』があるかで個性が際立ち、同じようでも使う言葉で解像度が変わってくる。
さらに「諦めていること」と「どうしても活かしたいこと」が明確になったときに、本気で取り組みたいことが自分でも理解できてくる。
そう考えると、本当にやりたいことがわかるって激烈にレアな出来事なのかもしれないし、やりたいって心の底から思えることに出会えるってめちゃくちゃ幸せなことなんだろうな。
コーチングを学んでいると
「そんな無責任にただ応援して」
みたいなことを言う人とたまに出会う。
もちろん課題はクライアントのものだし、その責任はコーチが負うものではない。
課題を取り上げてもいけない。
ただひとつ自信を持って言えるのは、気持ちにはないことに対して人は全力を注げるほど器用にはできていないし、それに大して全力を出すことがどれくらいかも想像できないのではないだろうか。
それなら本人がやってみたい、そう思っていることを感じられたなら、何を選んだとしても背中を押してあげた方が全力を出せる望みは格段にふくらむはず。
本当にやってみたいことは、後で後悔する可能性だってきっと低いはずなんだ。
それを信じているから、私は周りに無責任と言われようが全力でその方の背中を押し続けたいと思っているし、私はそんな皆さんからいつも力をもらい続けているんだよ。
そんな時間をいつも一緒に過ごさせていただき、こちらこそありがとうございます。
「約束は守らなければいけないものなのか?」
をじっくり一緒に考えたあと
「校則は守らなければいけないものか?」
に変えたあとの反応が面白かった(笑)
「ヤクソク」に限らず、子どもたちは子どもたちなりにまずは言葉の意味を考えようとする。
そこには関わってきた多くのオトナの価値観も大いに反映されているわけだけど、言葉にすることで自分で自分の考えていることがわかってきているような、そんな様子も感じられる。
よくめんどくさいヤツと言われる私だが、考えることを放棄🧹するよりも、めんどくさく考えた方が自分にとって面白いものが見つかるような気がする。
そうやって「コーラ買ってきて」の約束を、私は忘れていたのさ(笑)
子育てって【子ども】という自分と同じだけ、それかそれ以上に大事でそこそこの年齢まで全く無力な存在と向き合い続けなきゃいけないわけだ。
それなのにそんな小さな存在が「自分にとって本当に大切にすべきもの」を教えてくれるめっちゃくちゃ大きな存在なわけだ。
子どもを持たない選択をした友人と話しをする機会もあるが、その辺は自分の生き方としてあまり変な遠慮はせずに話せるので、全く気持ち悪くない。
そして自分が生き続ける間、子どもがいると子どもの未来まで考えることもあるが、子どもがいないと自分の生涯を終えるところまでのイメージを共有しながら話すわけで、その辺の描き方はわりとその時の環境に左右されたりするから、聞いていて興味深かったりもする。
私は子どもがいる身だが、45も過ぎると重要でないもの以外は必然的に削がれていく感覚と大事でないものは手放していくことの必要性を感じていて、面白さだったり譲れない価値観だったり、無理しなくていい関係で付き合える人と一緒に過ごす時間を選択していきたので、何か最近違うくね?と思ったらこんなスタンスでいることをご容赦くださいね😁
優しくない人には
無理に優しくしなくていい
否定ばかりする人には
本気で向き合わなくていい
敬意のない人には
無理に敬意を持たなくていい
笑顔にさせてくれない人を
無理に笑顔にしようとしなくていい
好ましくない態度をとる人に
無理に機嫌をとろうとしなくていい
相手に対してネガティブな感情を抱くのは悪いことではありません。
イヤなことはイヤ
嫌いなものは嫌い
そういってもひとりぼっちにはなりません。
相手を大切に思う気持ちが大きいばかりに、ためらってひどく傷つくことありますよね。
大切に思う気持ちを共有できる人、身近にいませんか?
そんな人と早く出会えるといいですね😊
今日自分のせいではありますが布団が臭かったので、屋根に干したらちょうど雨に打たれました。
神様は「臭いものにフタをするのではなく、手放しなさい」とおっしゃったような気がします(笑)
自分の声をよく聴いて。
周りの声もよく聴いて。
全てを受け止め必要なものを受け入れよう。
他人の声は自分の枠を超えてくるから、不必要なものは相手にしない。
ただ自分の中では湧き出ない声は、悪者にしないで聴いてみるのも、いいかもね。
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