天正遣欧 少年使節派遣 『伊東ドン・マンショ』
Jun
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これも、もう一つの宗麟の功績です。
大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された、4名の少年を中心とした使節団。
その使節団の中心が、『伊東ドン・マンショ』 大友宗麟の名代の正使として派遣される。
1582年2月20日、長崎港を出発、マカオ、マラッカ、ゴアを経由して、’84年4月にポルトガルの首都リスボンに到着。
その後、スペインのマドリードに寄り,’85年3月1日にローマに到着、何と!ローマまで3年もかける。
さらに、ヴェネツィア、ミラノなどを訪問し、1590年に帰国する。
使節団により、ヨーロッパの人々に日本の存在が知られる。
彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機により、日本語の書物の活版印刷が初めて行われる。
【彼らが持ち帰った西洋の文物の一例】
「活版印刷機」 「西洋楽器」 「海図」
★画像は馬に乗った 「伊東ドン・マンショ」 の像です。(大分市)
Posted at 2011-06-24 07:17
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Posted at 2011-06-24 07:20
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Posted at 2011-06-24 07:21
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Posted at 2011-06-24 07:21
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Posted at 2011-06-24 07:22
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