海援隊 いろは丸海難事故の現場
Apr
18
衝突直前いろは丸は左に舵を切っています。それで右舷に衝突され沈んでいます。龍馬は鞆の浦で直ぐに賠償交渉に入っています。しかし決着せず 長崎で再び行われますが、その賠償額は現在の価値にして最低でも25億円~100億円と言う巨額な金額でした。この交渉に登場するのが、土佐藩 後藤象二郎(土佐藩参政・上士 後に船中八策を山内容堂に建白し、大政奉還に至る) 岩崎弥太郎(三菱財閥の祖 下士) 更には薩摩藩 五代友厚(初代大阪商工会議所会頭)など商売に卓越した人物達だった様です。そして慶応3年11月7日に紀州藩から完済され、土佐藩が預かった後に海援隊へ支払われる予定だったそうですが、その8日後に龍馬はその賠償金を目にする事なく暗殺されています。龍馬は新政府には興味なく、「世界の海援隊をつくる」と夢見ていたそうです。
平成18年にいろは丸の水中調査が行われましたが、龍馬が主張した新型銃や金塊の積荷は発見できなかったそうです。いろは丸海難事故は幕末のナゾを解くキーワードと言うべき事件の様です。なお、衝突現場の六島は横溝正史の「獄門島」の舞台だと言う事です。
絶景カフェでいろは丸衝突現場や獄門島を臨みながら飲むコーヒーは 一層味わい深いですよ(^o^)
日銀試算だと賠償額は146億円! : http://www3.boj.or.jp/kochi/ryomatookane5.html
紫雲出山は世界の絶景12選に選ばれました : http://www.city.mitoyo.lg.jp/div/hisho/pdf/099kouhou/201502_06-07.pdf