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  • 2022/03/01 「イザヤ・べろダサン」の妄想・迷言

2022/03/01 「イザヤ・べろダサン」の妄想・迷言

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昨日(22/02/28)、母校の同窓会事務局より返信が小生の手持ちの「資料」「史料」「蔵書」を全て寄贈を提案残念乍ら拒否を

地元の進学校で130年の歴史を。残念乍らナンバー高には成れませんでしたが(ナンバー高は全て城下町です)
この旧制中学・新制高等学校からは少しは俊英を輩出しています。
 こちらが調べた人間に明治中期に東京帝国大学独文から情報局へ、その後二高(仙台)教授に・・・。
別の人物。明治末に父親の不始末、お饅頭を喰って監獄へ。旧制中学を大阪・京都の中学へ転学。その後、金沢の四高から京都帝国大学医学部を卒業。四高時代には「西田幾太郎」氏の塾に所属。その後、浜田で開業、一生を終えました。

この浜田へ行った経緯は、最初の旧制中学校の同窓生と(三高から進学し)京都帝大で邂逅。その後、この人物は三高最後の校長でした

その他、筑波で暗殺された人物「悪魔の詩」翻訳者など
卒業OB/OGから論考や論文、出版物、資料などの資料館をと考えましたが残念乍らその構想に反応はありませんでした  残念

「雨森芳州」  『續近世畸人傳』からの引用
対馬に在住 京都人
朝鮮語及び中国語に堪能で有名
韓人、此の翁と話して「唐・韓・日」の内、ことに日本語が宜しと言われたそうです。
八十二歳の時の話として、歌会に参加し、歌を詠めとて、これまで百人一首の講釈も聞いた事も無く、「かな」「けり」「らん」一つも埒あかん。そこで『古今集』を千辺讀の願を掛けて八十四歳で成就したと書いてあります。
なお、朝鮮語及び中国語に挑戦したのは遅くて二十を過ぎてからと
幾つになっても向学の意志があれば人生を豊かにしてくれます。

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