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皆さんは、最先端の「パーソナルコンピュータ」を自由に扱い、専門用語に精通をしています。
勿論、外来語のカタカナやアルファベットで。
皆さんは「日本人」であるアイデンティを持っている訳ですが、孫爺さん、孫婆さんやその前の曾孫爺・婆さんの世代が「読み書きを」していた「和本」は読めますか?
殆どの「日本人」は150年以前の文章が読解出来なくなっています
不思議と思わない所が「不思議」です
先進国で、昔の書を読めない国は「日本」だけだそうです(意味や理解は別として)
江戸末に日本にやって来たヨーロッパの人の記録で、茶店の女の子が本を読んでいたので、驚いたと書いています。
講釈が長くなりましたが、今回、「文久二年」(1862)刊記の『文晁画譜』を手造りで復刻してみました
以前普通紙A4で作りましたが、今回は和紙を使って見ました
序と跋は「巻菱湖」「舘柳湾」が書をかいています
大きさは97%位になりましたが
以前、全国にある信号機のLED化に対して、某機関の再就職先の仕事が減るとニュースソースとなっていました
近年、この様なモダンなデザインの交通信号が目に留まりました
まだまだ、デザイン性や色彩の好みが多様になると思われます
これらを引っさげて、世界各国の基準を調べ、各国の好みに合わせた、信号機を作成
販売にまわると面白いのではありませんか?
「支那・南朝鮮」を頼らず、商売をする気概が欲しいものです
ただし、彼の国々の模造・偽造・捏造には気をつけましょう。
直ぐに、「ウリジナル」と、のたもう、国家ですから。
安政5年(1858)に描かれた絵図、版画として残存しています
現在、存在確認は4点
この個人所蔵絵図は虫食いが相当ありました
PCに取り込んで、修復
古色は修正しませんが、シミや虫食いは復元修正しました
二年参りも終わり、早朝ウオーキングで神社へ初詣
朝の5時25分の光景です
宿根木の集落は独特の雰囲気を持っています
狭い土地に肩を寄せ合って建てられた家屋
歴史を感じさせる光景です
先日、会津若松を訪問し余り観光化されていないお寺を訪ねた
「長命寺」
江戸の「長命寺」は桜餅で有名
こちらは、戊辰戦争で会津藩と南軍がこの寺で激戦を交えた
本堂は火災に数回あって、江戸時代の様子は窺えない
会津若松城へ講演会を抜け出して歩いてみました
10月と云うのに、暑くて汗ばみます
火曜日で人が少なく、写真を撮るのには誠に有難い環境でした
右三行の翻刻を付けました。
これで読解できます
安政二年(1855)頃の出版物
『東講商人鑑』の一部分です
当時の旅のガイドブック
優良旅館や各地のお店や名勝・旧蹟を載せた本です
当時の人々はこれをスラスラ?と読んでいたのでしょう
これを読解して、古文書の解読の勉強をします
活字になった翻刻は暫くしたら、掲載します
文永8(1271)年10月、寺泊を船出された佐渡配流の日蓮聖人が,、強風のため当地角田浜に漂着されて「七面大明神」を教化、「岸・岩・波」の三題目を書き遺されました。後に孫弟子にあたる日印上人が日蓮聖人ゆかりの聖地として、鎌倉時代末期の正和2(1313)年に創建されたことに始まります。日蓮聖人滅後31年目のことです。
当初は三題目にちなんで、妙法寺、蓮華寺、経王寺の一山三カ寺でしたが、蓮華寺、経王寺は他に移転し、妙法寺が妙光寺と改称しました。創建以来700年の歴史を有し、旧長岡藩主牧野忠成公はじめ多くの檀信徒の信仰を集め、今日まで歴代住職53代の法灯が継承されています。
岩屋は
境内裏手の自然の洞窟。ここに住む七頭一尾の大蛇を教化され、それが後に七面大明神として祀られるようになりました。
現在は七面天女岩屋と表示されています。
天保二年(1831)にこの地を訪れた江戸の画人「長谷川雪旦」は写生を書き残しています。
このような歴史を物語る岩屋。
人気(ひとけ)が無いと薄気味悪く、早々に退散しました。
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