叛逆のろれつ_4「清明(せいめい)」!?!


「清明(せいめい)=草木の花が咲き始めすがすがしく明るく美しい。万物に清朗の気が溢れて来る頃」を表す言葉。
「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」.「暦便覧」より。
天明七年(1787、寛政十年(1798)に再版)に出版された暦の解説書(太玄斎著)。
二十四節気それぞれについて、的確な表現で爽やかに表現している。

現代では、この清明なる頃、新しい出発・ひとつの区切りの頃でもある。
百花好時節、踏青と称して郊外に遊歩する風習が続いてきた。
入学・就職、更には人生の節目に赤飯でお祝いする。通過儀礼として。
人生のある一つの段階から次の段階へ上がる為に処する通過儀礼。
一人だけで出来るものではなく社会の承認を得ることが必要。
その基本的な方法として同じ食物をともに食べる。
その為に特定の食物が作られた。赤飯は、その代表格。
誕生、お七夜、宮詣り、食初め、初節句、七五三等々、広く赤飯で祝う習慣があった。 
「赤いごぜんを食べるというのは何か儀式に集まる時で、所によれば不幸の時にも炊く。この日からきちんと心の持ち方を変えなければならない時に小豆を使っている。」(柳田国男の言葉)。人生の節目に赤飯等を作って祝い、安心立命を得るとともに社会の多くの人と共にくらしてゆこうとするか・・・昔人の知恵。
だが、そんな風習・感覚が薄れて行くやに感じる。

話を現況社会に向けてみると。。。!
国政・外交、難問処理であることは、云うを待たない。
特に今年は、国土・領土問題で隣接諸国と溝が大きく広がった。

僕の学生時代は、70年安保で国内は騒然としていた。
而して大学紛争で大学はロックアウト。
最終学年は、レポートで済まされ、講義等は1回も行われず、
まともに3月卒業できたものは首都圏の大学でどれだけ居ただろうか??
そんな時代前後を横須賀の米軍基地内外で傍観していた。
基地内には、幼少の頃から出入りさせてもらい色々世話になった。
ナマの英語勉強をさせて頂いた。
そんな時代から今日に至るまで「悪法も法である」を根底に
眞理・論理・法哲理を自己流に構築を試みてきたのだが・・・。

先日、ブログルの“くまごろう”さんのスレッドが目に入った。
今、沖縄配備で問題視されてる“オスプレイ”に関してであった。
昨今のマスメディアの論調は、どこか不自然であると僕自身感じていたことで、
マスメディア全体が一方方向しか見ておらづ(語って)、危険が故の反対論調。
これは可怪しい、隣国の領土主張感覚に酷似していると感じていた!?!
オスプレイは、騒がれているような危険な輸送機ではない!!
と根拠をしめされて居られたくまごろうさんのブログを読んで欲しく思います。

歴史的結果に基いて日本の安全保障条約が施行されてる。
如何なる経緯があろうと、現況の基地問題は消えるものではない。
そんな中で、沖縄だけが負担すべき問題ではなくなっている。
日本人全体の問題として沖縄県以外の場所に基地移行するべきだ。
自分の県以外ならよい的感覚で公平といえるのか??と感じる。
昨今の近隣諸国の主張を思うと、基地反対どころではないだろう。
現実を直視しないといけないのではあるまいか??
政治・行政の怠慢は、東北大震災で露呈している。

基地問題、誰しも自分の居住地に来てほしくない。
ジェット機騒音を知るものとしても基地存在意義は、わかる。
基地反対に、オスプレイを悪者として使うのはやめてほしいものだ。
家の真近を画像のジェット機がタッチ & ゴーの訓練をしている。
機を見上げていると、想像することができる“実戦”を。

日本は4月がスタート期、より一歩・先に、より高く安定・安全を模索実行して欲しい。




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