Sep
5,
2015
“2015夏・其の二”《襍囈 ・/・叛逆のろれつ・終戦~今》
心のなかで「大和魂」とか「和み」とか、、日本人の民族性をも思って見た。
今、国会で議論している「安保法案」だが、国会審議なのか・??と驚く程に低次元だ。
抗議集会や色々な場で、リベラルを標榜する人々の言動に呆れる。
「表現の自由」は、それこそ「憲法」で護られている。
だが聞き及ぶ「表現」には、呆れる以上に「言葉の暴力」を感じる。
8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で山口二郎法政大教授は、
安倍晋三首相を「お前は人間じゃない」と暴力的暴言を吐いた由。
反安保法運動で宮崎駿氏(映画監督)は、安倍首相のことを「愚劣」と罵倒した。
前日本学術会議会長の広渡清吾氏は、7月末に安倍首相を評して「バカか嘘つきか」と。
学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーの奥田愛基氏は、更に過激だ。
連合主催の国会前安保集会で安倍首相を「バカか、お前は」と罵声を浴びせた。
同様に各種の反対運動(体制側の施策に対して)の場でも暴言・言葉の暴力を見聞きする。
かつての60年安保、70年安保闘争時にデモ等で飛び交った言葉よりも酷いと感じる。
教養ある指導者・文化人だろうに。理性と節度を失い、単なる「怨念的表現??」に下落している。
これ等が「平和運動」での表現・言論か!?!
いとも平然と吐き捨てる人達に、「平和」を語る資格なんてないだろう、と言いたい。
更には、上記の発言に対し批判が聞こえてこないのはなぜだ???
日本の代表的新聞にこうした表現への批評が見られない、無視している。
戦後70年、リベラル派と称される指導者は、進歩とは程遠い、下落の一途、が現況のようだ。
言葉の暴力、基本的人権感覚が麻痺してしまったか??
到底容認出来ない表現を見過ごしてはならない。冷静な論理の応酬はできないものか??
扨、さて70年前の日本;
1945年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送(終戦の詔勅)を以って「戦い」を閉じた。
だが、戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書への調印が行われたのは9月2日。
1945年7月26日に出されたポツダム宣言は、「条件付き降伏要求」だ。
ドイツ・日本に対して「無条件降伏」にこだわったルーズベルト大統領、
日本側は「国体護持」(天皇を中心とした日本古来の国家体制)を主張していた。
当時の日本政府は、降伏後の国体護持が保障されなければ「本土決戦やむなし」と。
その上、新聞紙面は「一億総玉砕」などと民衆を煽った様にも見える。
一方の米国ルーズベルト大統領は、「親中憎日」で日本の希望を切り捨てている。
原爆実験や「ダウンフォール作戦」(毒ガス攻撃等での本土上陸殲滅作戦)をも計画。
だが、ルーズベルトは、4月12日に脳卒中で急死した。
後任のトルーマンは、紆余曲折的、最後には日本に「条件付き降伏」を提示した。
日米開戦時の駐日米国大使ジョセフ・グルー等「三人委員会」の提言で、
ポツダム宣言には「天皇の地位保障」が書かれるはずであった。。。!?!
だが、対日強硬派のジェームズ・バーンズ国務長官が反対しポツダム宣言が遅れた。
「天皇の地位保障」が最初から表記されていれば日本は7月中に宣言を受諾していたか!?!
原爆投下もなかったか・・・・?と思うと複雑な感慨を持つ。
ポツダム宣言受諾を強固に反対していた日本人、
本土決戦を主張し続けた阿南惟幾陸軍大臣は8月15日早朝、切腹した。
阿南惟幾陸軍大臣の戦争継続主張は、青年将校や不満分子を抑える手段であったか。
最後は、祖国の未来を思い独り壮絶な散り方、身の処し方で「責任」をとったのだろう。
人物像等を慮るとである。どこか、伝統的「和の思想と武士道精神」を思ってしまうのだ。
武力・・・力による軍国主義には大いに抵抗があり、絶対反対だが。
先日、国会周辺で「安全保障政策・・安保法制」問題を「集団的自衛権」問題に置き換えた!!
戦争反対・・??大集会があったが、問題をすり替えたパフォーマンスだった気がする。
「立憲主義」権力を縛るのが憲法であることは一目瞭然。
一内閣が勝手に憲法解釈を変えていいなんて書かれていない。
第9章 改正
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、
国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、
その過半数の賛成を必要とする。
第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、
現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、
その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
第2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
戦後70年間を以って、安全保障問題、条約を含めて徐々に変化(国際情勢の変化も含めて)し承認されてきた。
憲法解釈問題で今、問われるべきは、憲法第98条第2項の条約に対する日本の対応である。
自衛隊の存在は、国民に承認・認知されているだろう(結果論であっても)。
現自衛隊の武器的内容は、一体何であるのか。
戦争反対と、抽象的反論を唱えるリベラリストは、自衛隊の存在から否定するなら論理的に筋は通る。
かつての、過去の経緯を踏まえ、喉元すぎれば熱さを忘れる、そんな感じで政治は動いてる。
現自衛隊やその装備は、「戦力」である。これを使えない?? 「画に書いた餅」であるのか??
「安全保障関連法案」の審議を「憲法違反の戦争法案」と焦点をずらしている。
これでは、国民に実態を説明できない。なぜなら質問に対して答弁するのが政府の立場であるから。
サンフランシスコ講和条約や新旧の日米安保条約では、
日本に国連憲章上の個別的自衛権と集団的自衛権があると明記している。
「戦後70年の時間的量」は、重たい。周辺環境の激変に対応しなくては。。。
「抑止力」を真摯に検討すべきだ。
上記したことだが、憲法第9条2項の明文と真正面から対立するはずの自衛隊が、
今では合憲性と法的安定性を獲得しているではないか。
集団的自衛権反対の護憲陣営も含めて大多数の日本人が自衛隊の存在を法的に承認していまいか。
「解釈改憲」とは、憲法の普遍性に創造的発展性も含むと言えまいか。
話は前後するが、ラジオ番組で戦争を実体験した女性の話を聴いた。
1945年8月9日未明、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、
満洲や樺太、千島列島への侵略を始めた。1週間もせずに日本政府はポツダム宣言を受諾した。
満洲に駐留する日本軍も武装解除された。
その後、満洲では中国人やソ連兵による暴動や略奪が相次ぎ、命を奪われた日本人も少なくない。
武装解除のせいで日本軍が日本人居留民を守れなくなったからである。
そんな中でソ連軍将校に強姦されそうになったという体験談であった。
その女性は今の憲法9条を信奉し、反戦平和運動を行っている由。
国のために命をささげる覚悟だったが、国とは一晩で無くなるものかとむなしく感じたそうだ。
平穏な日本人居留地の治安が崩壊し、「国が無くなった」と表現したのか。。。
ソ連兵などの暴動や略奪の原因は、敗戦による日本軍の武装解除であった。
強い軍隊がいなければ、国は国民を守れないという現実を実体験したのではないか。
憲法9条を信奉するのは良いとして国の自衛権を強化する安全保障関連法案に反対する??
学徒動員兵の遺書を集めた『きけ わだつみのこえ』が反戦平和運動に転向したきっかけと話すが、
あの遺書等はGHQ(連合国軍総司令部)の意向を受けたプロパガンダ作品との指摘もある。
GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の洗脳が今も続いてる!?!
「自分自身の頭でよく考えるべきだ」と、その方は呼びかけていたが、僕にはしっくり来ない話だった。
この話を聴いたあと、最近のブログルスレッドの中でも色々な記述を拝した。
あるスレッドの中に、
「1960年の大規模なデモ(安保闘争)を、思い出した。
安倍総理の祖父 <岸 信介首相の安保条約改定~東京大学学生・樺 美智子さんが圧死> ・・
<改定後>・・混乱の責任を取り<岸首相>は退陣した。
現在の混乱中で<安倍首相>は自らの進退を考えているのでしょうか??
多分 <無能の単細胞>ですから・・残念ながら無理でしょう。」
以上の文面を拜すると、今の国内・個々人の生活環境が如何に安定しているかが分かるってものだ。
「戦後」と言う表現で、貴重な実体験をご紹介くださった方のブログが、心に大きく響く。
ブログルのMt.zakiさんのスレッドの中に、是非に見てほしい貴重画像があります。
Mt.zakiさんご親族の実体験談話、是非に記憶にとどめて置きたくてご紹介致します。
余り大々的にマスコミ報道に出てこない北方領土問題ですが、終戦直後の樺太・真岡の史実取材映像です。
Mt.zakiさんブログのここで紹介されています。
一見の価値あり、です。
安全保障政策論議がなされない不可思議さ、日本は、やはり米国によって守られてる、と実感する。
熱く平和が語られ!?!厳しく政府批判がなされている。
そんな中で、日本が選択すべき安全保障政策の具体的な提案や主張が見られないのは、どうしたことか??
安全保障政策の選択を間違えれば、その国の安全は崩れ国民の生命を守ることはできない。
歴史上多くの国が安全保障政策の選択を間違え国民の生命を犠牲にし、不毛な戦争を招いてきた現実がある。
かつて日本は、安全保障政策の選択を間違えて平和を破壊し膨大な数の国民の生命を奪った。
アジア太平洋地域に破滅的な惨状をももたらしてしまった。
安全保障政策とは、かくも重要であり、真摯に検討しなければいけないのに、語られないのは、何故???
今の日本では、国際安全保障研究が何故か活発になされていないようだ。
専門家も少ないと感じる。西欧の国際安全保障研究を見習うべきだ。
国際安全保障論研究を西欧で垣間見たことがある。
1993年頃(冷戦終まもない頃)、西欧社会で平和や安全を維持する施策が検討されていた。
ユーゴスラビアの内戦に於いてスレブレニッツァで8000人余り
(ユーゴスラビア紛争全体では20万人も)が虐殺され、ルワンダでは90万人もが虐殺された。
日本国憲法前文に、
「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ」
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる」等と謳っている。
1990年代の日本国民の多くは、憲法前文にある、
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地球から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に関心などなかった。
1992年に国際平和協力法が成立、日本の国連平和維持活動参加に多くのメディアと野党が反対している。
カンボジア内戦後に平和と安定をもたらす為の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が活動する中で、
日本政府も協力するために自衛隊を派遣しようとした際も、激しい批判をしている。
当時言われていたのが、「これらによって戦後日本の平和国家としての理念が失われる」という事であった。
戦前の軍国主義に回帰するという主張でもあった。
民意を無視した政府の強行採決が、民主主義を破壊する、と。
自衛隊のカンボジア派遣は、戦争への道へとつながるとも言われていた。
かような批判を以ってデモする人々は、真にカンボジア和平の交渉経緯を分かっていたとは思えない。
日本政府の提案、いかなる役割を担うべきか。具体的な提案は、ほとんどなされていない。
在日米軍と自衛隊によって日本は、平和で安全が確保された状態にある。
実際にスレブレニッツァやルワンダの虐殺で失われた命、コソボやシエラレオネの内戦で殺戮があった現実。。。
実際に起きている虐殺や紛争を止めるための具体的で実現可能な提案をする、国際情勢の現実に精通すべきだ。
抽象的な平和論ばかりで、他国の平和実現に無関心で居られる感覚、自分達だけの安全論、それで良いのか??
安保法制案に反対する人々は、隣国の現実にある戦闘行為や「イスラム国」の問題処理を軽視している。
国際社会での安全保障問題について学ぼうとしないのはいかがなものか??
自分たちが戦争に巻き込まれなければよい、他国民の命がどうあっても自分たちが巻き込まれなければよいのか。
戦争を憎み、平和を希求する点においては、安保法制案反対のデモ参加者と理念的に同じくするが、
平和実現の施策・措置を如何に執るべきか、
更なるは、他国を侵略する行為に対し、自国民生命を守る自衛的措置は当然にある。
個別的であろうが集団的であろうが等しく自衛的措置を講ずるべきであると考える。
国連憲章第7章に基づく軍事的強制措置を執り平和を回復する。日本がそれに協力することは必要だろう。
安保法制に反対する人々は、軍事的な手段を嫌う。
なれば日米同盟を解消、自衛隊を解体・解散することを望んで居るのだろうか???
国連憲章51条で保証されている個別的および集団的自衛権を「悪」とするのか。
而して国連憲章第7章で規定されてる「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」
つまりは、軍事的強制措置をも拒絶するのか??
紛争が、対話のみで解決可能とでも考えているのか???
今回の安保法制案をめぐる議論は、抽象的な平和論ばかりだ。
具体的な政府案に代わる望ましい安全保障政策具体像が全く見られないのは、情けないことである。
政府案は、たたき台で真摯にかつ慎重に議論し、選択すべきだ。
他国が侵略をされ日本政府に救援を求められてもそれを無視。
国際社会が結束して侵略行為阻止の行動をとる時、其れも無視。
日本国憲法は、自国の安全以外にまったく関心を持たなくて良いなどと書かれていない。
国際社会で侵略行為がなされていてもそれを傍観する!!!エゴイズムとシニシズム。
戦前の日本国民が抱いていた国防観(国に洗脳された!?!)と似てきたと案ずる。
今の野党や反体制的主張者は、民主党政権時の総括、反省を提示したか??全く見えて来ない。
反体制主張者としての安全保障案は、如何なる内容なのか全く見えてこないのは不可思議だ。
8月15日の私的感慨である。
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