コシアブラ(漉油);
タラノキ の芽に似た若芽はほろ苦く、天ぷらやごま和え、山菜に良い。
和名は、昔この樹脂から漆に似た塗料、金漆(ごんぜつ)を作ったによる。
薄緑から明るいセピア、黄色に変わる紅葉は清楚な姿を見せる。
柔らかな木から経木が作られた。葉にはよい香りがあり灯台の芽ともよばれる。
幹は灰白色、惰円形の皮目がある。葉は互生し、長い葉柄があり掌状複葉。
小葉は5個、不揃いで中央が大きく倒卵状長楕円形。先は尖り、基部は楔形。
縁に不揃いの鋸歯。葉表は光沢があり、葉裏は白色を帯び、脈腋に毛がある。
「金漆(ごんぜつ)」
平安時代の辞書である「和名類聚抄」にコシアブラという名前が出てくる。
その中では金漆の木がコシアブラであるとされる。
金漆の名は、「延喜式」にはその使用例や貢進地などが、
奈良東大寺の正倉院の献物帳にそれが使用された物品の記載がある。
当時は甲冑等の黄色の塗装、刀剣など金属の錆止め、紙の防湿に用いた。
その後の武具の変化で平安後期以降金漆が使われなくなっていた。
どのような塗料、いかなる処方で作られたかは江戸時代には謎の塗料であった。
最近の研究でコシアブラの木から冬期のみ樹脂を採取することができること、
この樹脂から速乾性の硬い皮膜ができることが分かった。
更には、同じウコギ科のタカノツメ、カクレミノも樹液がより多く分泌する事が分かった。
タカノツメは地域によりコシアブラともゴンゼツとも呼ばれている。
つまり「コシアブラ」あるいは金漆という塗料を採る木が地域により異なっていた??
コシアブラの語源は、コシアブラは「越油」であり、越(高志あるいは古志)国の油の事。
古代、日本人が多く渡った浙江省台州、日本では「越の国」(呉越同舟の越)と呼んだ。
そこから伝わった金漆の技術を「越の油」と呼び、転じてコシアブラになったとする説。
納得の行く論と映る。越の場所・位置には諸説の解釈がある。
「令和参年(皇紀2681年)12月3日、記」