《 ”春”感慨!!❖ 23-21❖》

0 tweet
どことなく春は???樹の芽吹きが遅い。
古民家に飾られていた雛壇、今年は外を眺めるように飾られていた。
素朴な内裏雛。孫のところに行く前に玄関に飾ってみた。
昔を想って、セピアカラーで。このほうがしっくりする。
昨年末に見かけた親王飾り、この作家に来年に向けて注文するか!!
《 “桃の節供頃”泉の森・民家園~自宅;2203/2/26~3/3》

今年の2月は、我が家にとって喜ばしい月になった。
癸卯 乙卯 丁未に初の女子孫が誕生、家族みなで歓声をあげる!!
初節供は、来年にと決めたようだが、ささやかな祝物を、と考えた。
雛祭りの起源は平安時代に由。上巳の節供、子供の無病息災を願って。
お祓いをする「流しひな」という行事が行われるようになったが始まり。
ワラや紙でつくった人形(ひとがた)に災いや凶事を託し川や海に流した。
源氏物語や枕草子に出てくる「ひいな遊び」という遊びも始まりの一つに由。
「ひいな」とは、「小さくてかわいいもの」という意味らしい。
紙でつくった人形等、身の回りの道具を使い、「ままごと遊び」。
こうした行事や遊びが時代とともに変化し、今のひな祭りになった。
ひな祭りが、流し雛など穢れを祓う行事から、雛人形を飾る行事へと。
婚礼道具の中に、男女の内裏雛を入れたりもした。
江戸時代初期までは武家の行事だったが、次第に庶民の間にも広がった。
紙でつくったお雛様が豪華になり、江戸後期になると雛壇形式も定着。
時代と共に姿を変えた雛人形、健康・成長を願う想いは受け継がれている。 

誕生の知らせを聞き素朴な雛飾りを探していたら偶然みつけた素朴な形。
紙で小さな人の形(形代)を作りそれに穢れを移し川や海に流して不浄を祓う。
色々な問題もあって、こうした風習が消えつつあるのだが、
「流し雛」という伝統的風習は、後世にも繋げて欲しく思う。


「令和伍年(皇紀2683年)3月3日、記」

People Who Wowed This Post

×
  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account