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猫の揺りかご Blog

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護られなかった者たちへ~権利と義務、実態とイメージの狭間で~

thread
※映画がすごく気になってネタバレありの感想を読み漁りつつも、
 実際には未だ視聴せずにいる人間が好き勝手に書いてるだけの記事です。
※映画や原作小説が好きな方、ネタバレが嫌な方はご注意ください。
 
 
 
 
図らずも原作本のレビューを見て、
「ああ、やっぱりな」と思ってしまった。
 
この作品はおそらく、現場をわかっていない。
現場をわからないままに、現場を描いている。
 
現場の人間の心情がわからないままに、
現場の人間の心情を描いている。
 
わかったつもりで、描いている。
だから、「知っている」人間にとっては耐えられない。
 
きっとそこを、なんとかしようともがいたのが映画な気がする。
 
少しでも現場を知ろうともがき、伝えようとあがいた結果、
メッセージ性が薄まってしまったのかもしれない。
動機が弱まってしまったのかもしれない。
 
特に、被害者3人を善人の仮面を被った完全な悪人から、
善も悪も併せ持った、でも実はどこにでもいそうな人間に変えてしまったことが、
一部の原作支持者から、どうやら不評を買っているらしい。
 
だけどこの点に関しては、私はたぶん映画を支持する。
完全な善人がいないのと同じように、完全な悪人もいない。
 
現場を知らない人間が中途半端に知ったかぶって、
現場に悪を押し付けたのであれば、それは心底辟易するし、
 
自分を安全地帯に置いたうえで、
身勝手に「悪人」叩きをするのであれば、それは軽蔑に値する。
 
だから、一部の原作ファンを敵に回しつつも、
そこに果敢にチャレンジしたらしい映画を、見てみたい気にもなった。
 
ただ、映画も大事な視点が欠けているのではないかという気がしている。
 
なぜ、国が制度を厳格化したのか。
きっとその背景が欠けている。
 
「不正が横行したから」や「不正に対応するため」は、
理由であると同時に、理由にはならない。
 
「不正」という概念が曖昧なまま、
「制度」に対する理解も乏しいままで、
 
言葉だけが独り歩きしてしまっているという現状がある。
 
概念や理解が曖昧なままで、無責任な正義を振りかざす、
マスコミや世論の存在がある。
 
現場はいつだって板挟み状態で、
だからこそ余計に、犯人の動機には納得ができない。
 
映画では現場をわかろうともがいた結果、
それぞれの人間を複合的に描こうとした結果、
それでも大筋は原作をなぞるしかなかった結果、
 
伝えたいことがぼやけてしまったというか、
中途半端な作品になってしまったのかなぁと思う。
 
 
#レビュー #映画 #本

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かがみの孤城~赤ずきんとティータイム~

thread
初見時に圧倒されて、二度見して設定や演出の細かさに驚嘆した。
ああ、この時、一人だけ笑ってないじゃん、とか。
 
きたじま先生が、みんなことを見捨てないのは。
ひとりひとりに寄り添ってくれるのは。
 
ああ、そうか、そういうことだったんだと、ただただ感動している。
 
 
#アニメ #レビュー #映画

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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~③

thread
これは私が新海誠監督の作品全般に思うことなのだけど。

なんかもう、いろいろと、
詰めが甘くありませんか?っていう。

本人にとっては、
いろいろと細かい設定があるのかもしれないけれど、

それをろくに描きもせずに、
勢いと画力でなんとかしてしまおうとすることが多い気がする。

その上で、映画では描ききれなかったことや、
視聴者に知っておいてほしいことを、「小説」に託そうとする。

「小説」に正解や告知を託そうとする。

正直、いい加減にしてほしい。

映画は映画の中だけで完結させてほしいし、
小説は小説として、個別の作品として仕上げてほしい。

それが作品というものだから。

すずめの戸締まりについての監督への
インタビュー記事で、

震災を描くことで誰かを傷つけてしまうのは
本意ではないとして、

「映画の前に小説を出版して物語を明らかにするなど、
事前告知に注意を払うよう努めた」と書かれたものがあったけど。

そんなん知るかっ!!・・・・・・と思ってしまいました。

今回はよりによって、「答え合わせ」だけでなく、
「重要な事前告知」までも小説でやろうだなんて。

いい加減、この監督を嫌いになってきました・・・・・・。



#アニメ #レビュー #映画

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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~②

thread
いろいろ拝見した感想の中に、
被災者でなければ、悼んではいけないのか、
悲しんではいけないのか、といった趣旨のものがありました。

自分は被災者ではないけど、
3.11で辛い思いをしたのは事実だから。
被災者へ、被災地へ、祈りを捧げたいのは事実だから。

そんな想いに寄り添ってくれたのが「すずめの戸締まり」だから。

傍観者が傍観者のために
作った映画なのかもしれないけれど、

でもせめて、この作品を通じて、
悲しむのを許してほしい、祈りを捧げることを許してほしい。

そのような趣旨のものを見かけたのだけど。

感想をよく読めば、そのような方の多くは関東在住で、
目の前で照明器具が割れて降り注ぎ、命の危険を感じたり、
帰宅難民となったりといった経験をされていて。

私からしてみれば、そのような方々も、
立派な被災者なのでは?と思ってしまう。

もちろん、程度には雲泥の差があって、
決して一括りにはできないのだけど、

必要以上に、自分を「ダメージを受けていない人」に
分類しなくても良いのでは?って思ってしまった。

怖かったね、辛かったね、って自分に言ってあげて良いのでは?
悲しんで良いし、悼んでも良い。

だけど、それと事前告知無し(あるいは不十分)で公開することを
良しとするのは、違うんじゃないかと。

ましてや、「いつまでタブーでなきゃいけないのか」とか、
「自己責任だろ」とか、「10年も経っているのに、いつまで引きずっているのか」とか、
そんな心ない言葉をぶつけるのは違うのではないかと。

あとはやはり、
実際に起きた災害をファンタジーで描くことの是非。

ここからは、自分が実際に映画を見たのではなく、
ネタバレしている方のブログやツイートを見た上での感想なので、
違っている部分があれば申し訳ないのですが。

過疎化が進めば、風化が進めば、
扉が開いてミミズが出てきて、地震が起きるの?

だからその扉を封じることで、地震を防げる?

なんてファンタジックな。

いや、別に良いんだよ、
そういう設定で起きる災害があっても。

でも、あえて地震にする必要はありましたか?

それも、3.11という実際に起きた未曾有の大震災と
絡める必要はありましたか?

どうしてもこの不思議な設定のせいで、
「震災が後付けに見える」という感想もあったのですが。

どうやら監督は、何が何でも震災を、
とりわけ3.11を描きたかった模様。

だとしたら、発生のメカニズムや防ぐ手立てを、
ファンタジーに頼っちゃいけなかった。

頼るならせめて、
人知の及ばない神様の仕業にすれば良かった。

防ぐ手立てのない天災にすれば良かった。
事実、そうなのだから。

挙げ句に、後の災害は扉を閉めることで回避できるものの、
3.11だけは防げない。

どうして防げなかったのかの描写もしない。

実際に家や家族や友人を失った方がどう思うのかなんて、
想像するまでもないような気がするのですが。

もっとも、一言で被災者と言っても、
状況や考え方は様々なので、
これまた一括りにはできないのですが、

それでも、大いに傷つく人がいるというのは、
想像に難くない。

「被災者ではないけれど、祈りを捧げたいから、
この作品を愛することを許してほしい」という方は、

大事な人や物を失った人を傷つけてまで、
祈りを捧げたいのだろうか。

ある意味、そのような状況に自分が置かれることを
わかって視聴したわけではないでしょうから、

このように思った方が悪いというよりは、
このように思わせた制作スタッフや広報スタッフに責任があると思う。

東北沿岸で被災した方の中には、
この作品を絶賛する方もいるので、

全ての被災者が
傷つくわけではないのかもしれないし、

誰一人傷つかない作品なんて、
無理なのかもしれないけれど。

それでも、これだけ影響力のある制作陣・媒体・上映回数なのだから、
少なからぬ人が傷つく可能性にきちんと向き合い、
できる限りそれを回避しなければいけなかった。

大義名分があれば、覚悟があれば、
辛い思いをした方の傷口を無理矢理こじ開けて、
塩を塗りつけることが正当化されるのはおかしいと思う。

それを「鎮魂」や「弔い」と称するのはおかしいと思う。

覚悟を持って向き合うのであれば、
そこにきちんと向き合ってほしかった。


#アニメ #レビュー #映画

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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~①

thread
作品そのもののレビューというよりは、
映画のあり方や広報のあり方。

そして、「あの日」に対する様々な想いについて少々。

作品はまだ見ていないし、
今後見るかどうかもわからないけど、

広報のあり方や、
実在の災害をファンタジーとして描いているということに、
思うところがありまして。

ツイッターでは散々呟いているのですが、
さすがに煩すぎるだろうから、そろそろこちらで。

いろいろ眺めていると、本当に、いろいろな意見があるな、
というのが正直なところで。

でも、それでもやっぱり、
事前告知はしっかりしておくべきだったというのが私の意見。

「公式が異例の告知をしているのだから、
それを見て劇場に行ったのであれば自己責任」との意見も目にしましたが。

公式の告知は異例でも何でもないし、
不十分がすぎると思う。

最も注意喚起すべきポイントは
「アラートや震災描写があること」じゃない。

「3.11を直接的に描いている」こと。

そこには何一つふれず、
異例も自己責任もあったもんじゃない。

上記2つがどれほど差があることなのか、
3.11当時、西日本の安全な場所にいた私ですらわかるのに、

どうして私よりも被災地に近い場所にいた首都圏の人間が、
公式が、気づかなかったのか。

あるいは、気づいててもなお、
あえて告知しないことを選んだのか。

映画のメインターゲットである、
3.11を知らない世代に、幅広く届けたかったから。

なのだとは思うけど。

知らない世代に届けることができれば、
知っている世代を傷つけても良いのか。

それも、金縛りにして真正面から突き刺すようなことをしていいのか。

それは、「覚悟」があればしていいことなのか。
甚だ疑問です。


#アニメ #レビュー #映画

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るろうに剣心 最終章 The Beginning

thread
OVAに比べてメリハリが薄い気がする。

淡々とした物語だからこそ、
メリハリが大事だと思うんだ。

OVAだと特徴的な飯塚が、実写だと印象薄くて、
誰なのかわかりにくかった。

有村巴ちゃんもずっと儚げで、強さが足りない。
一本筋が通った強さや狂気がほしかった。

酒、菖蒲の花、鞘、白梅香。

OVAで効果的に使われていた小道具が、
実写では全く登場しないか、
登場しても生かしきれてない。

アニメと実写だと勝手が違うだろうから、
それぞれの表現方法で良いのだけど、

もっと五感に訴えることができたのではないかと。

最初の刀傷も、
生かしきれていなかった気がする。

巴の中にある憎しみや悲しみ、
殺意をどの時点でどの程度見せるかってのは
やり方次第だと思うけれど。

あまりにも見せなすぎたかな、と。



#レビュー #映画

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君の膵臓をたべたい

thread
タイトルがインパクトありすぎて、
もっと凄惨だったり悲劇的だったりするのかなと思ってた。

もっとも、そういう印象を持たれがちだけど、
実は違うんだ、という前情報も軽く見聞きはしてたのだけど。

思った以上にコミカルで驚いた(笑)

あと、初っ端から「葬式には行かなかった」で始まったものだから、
行かんかいっ!!と突っ込んでしまった。

現実から目を背けたくなるのはわかるけど、
受け入れたくない気持ちもわかるけど、

でも、きっと「僕」にとって
「彼女」はすごく大切な人だったのだろうから。

「彼女」のために、行ってあげてほしかった。

でも、そこら辺はきちんと終盤で、
フォローというか、挽回をしてくれたので、

これはこれでありかなと。

自分は誰それに会うために生きてきた、
誰それと会えるのをずっと待っていた、という表現も、

今や非常に青臭く感じてしまうのだけど、

ふたりは高校生だから、
まあ、これもこれでありかなと。

彼女の死因だけが非常にもやる。
え!?そっち……!?っていう。

今思うに、きっとそういう反応を期待して
この設定にしたんだろうなぁと。

でも、あえてそういう設定にしたのたら、
もっと背景や「その後」に触れてほしかったなぁ。

あまりにもさらっと行き過ぎて、
え!?その理由で死ぬ必要あった!?って思ってしまった。

あまりにも唐突すぎて、
心が追いついていかないというか。

でもそれはきっと「僕」も同じだから、

視聴者を「僕」と同じ視点に立たせることに
成功したわけではあるんだけど。

でも、もっとこう、
ニュースや新聞のカットを入れるとか、
「僕」がそれを拒絶する描写を入れるとかした方が、

すんなり入って行けたかなぁと。

「彼女」の母親役は、まさかの和久井映見さん。

彼女が出てるって知らなかったから、
声聞いた途端、テンション上がって、

若干、物語の世界から現実に舞い戻ってしまった(笑)

でもすごく包容力のある素敵な声だった。
優しい母親役が板についているなぁと。

「僕」の葛藤がもっと描かれた上であれば、
もっと心にじんと来るシーンになっていたかも。

「僕」が心を整理するのに時間がかかったように、
視聴者にももっと時間を与えてくれれば、なお良かったなぁと。

それにしても、ちょくちょく出てくる同級生、
名前調べたら、「ガムくん」って(笑)

可哀そうだから名前つけてあげてって思っちゃうけど、

「僕」にしてみたら、
「ガムくん」以上でも以下でもなくて、

そこがミソなのかもしれない。


#アニメ #レビュー #映画

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似て非なるもの

thread
「夜叉姫」に対して
私があれこれ書いていることと、

「天気の子」のレビューで書いたことが、
似通っているけど。

新海監督の方がまだ、
雰囲気抜群のミュージックビデオを作ってくれるから、

ずうっと見応えがある気がします。

あの人の場合は、裏設定がいろいろありすぎて、
それをチラ見させることにご執心で、

核心を描ききれていないように思える。

「本当はちゃんとあるんだよ!!」と
別の媒体使って言われたところで、

映画なら映画という媒体の中で
「見せて」くれないと、

「それはないと同じです」と
言わざるを得ない感じなんだけど。

夜叉姫の場合は、
本当に「ない」んだろうなぁと。

いきなり出てきた、
とわと理玖の逢瀬?も、

新海監督なら、

ばっちり雰囲気満点のミュージックビデオを
作ってくれると思うのよ。

けど、夜叉姫は、
それすらない感じなんだよな……。

もう、ほんと絶望的……。

#アニメ #レビュー #映画

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設定に裏打ちされた説得力

thread
またまた、「天気の子」のレビューです。

「天気の子」、何やらいろんな細かい
裏設定があるようだけど。

裏設定ってさ、

作中では少ししか描けなかったけど、
実はこんな細かくて深い設定があるんだよっ!すごいでしょ!?

……って言うためのものではないと思うんだ。

まあ、作者しか知らない設定を、
読者や視聴者に言いたくなる気持ちはよくわかるんだけどさ。

でも、裏設定って、
そのためにあるわけじゃないと思う。

物語の舞台や登場人物の
骨格や肉付きを決めるための設計図。

その世界が、その人物が、

リアリティを持って息づくための、
細かなプロフィール。

それが、裏設定じゃないの?

その設定が実際の物語の中で、
どの程度反映されるかは、

諸事情により異なるだろうけど。

でも、作中に「裏設定のヒント」を散りばめて、

「どう?君は見つけられた?」、「ね?すごいでしょ!?」って
言うためのものじゃないと思うし、

それを見つけて喜んでるファンの心理も
あんまり理解できない。

……いや、かくいう私も、
神木くんの声に気づいたときは、

ちょっとした「発見!」って感じで
嬉しかったけどさ。

あ~、なんか「君の名は。」のキャラデザと
めっちゃ似たキャラ出て来たな、

あれ?声、神木くんじゃね?ってなって、

ネットで調べたら「似たキャラ」じゃなくて
同じキャラだった(笑)

確かに表札、「立花」だったね(笑)

三葉も出てると知って探したら、
確かにいたし(笑)

あと、何やら四葉もさやちんもてっしーも
いたとかいないとか(笑)

なんつーか、
そういう細かい枝葉部分に力を注ぐんじゃなくて、

もっと本筋に力を注いでほしかった。

ってか、そういう枝葉部分は、
本筋をしっかり描いた上で、

余力で行う「お遊び」としてやってほしかった。

世界観に、人物像に、キャラの言動に、
説得力を持たせるためにあるはずの設定が全部、

中途半端なお飾りになってしまっている。

作中では描かれていない裏設定を読み解くための
ヒントに成り下がっている。

だから、全く説得力を感じない。
だから、全く中身がないように感じる。

どんなに緻密に練られた裏設定だって、

それが物語の説得力を高めるのに
寄与していないとすれば、

リアリティを高めるのに
寄与していないとすれば、

それはないのと同じなんじゃないかな。

映画という限られた時間枠の中で、
そんな細かい「裏設定のヒント」、

描く必要ありますか?

それよりももっと、
描かなければいけないこと、

いっぱいあった気がするんだけど。

素材が良いだけに、
映像がすっごく綺麗なだけに、

なんかめっちゃもったいないんだよなぁ。

新海監督、

あなたにできることは
まだいっぱいあったと思います。



#アニメ #レビュー #動画探索 #映画

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謎と必然性のバランス2

thread
前記事の続き。

そういう意味ではさ。
大河「麒麟がくる」は大成功だと思うのよ。

「光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか」という
歴史上の大きな謎を、

丁寧に描き切ろうとしているわけだから。

宴の席での信長による
公開パワハラは有名だけどさ。

でも、この物語ではずっと、

「信長様であれば、麒麟を連れて来れるかもしれぬ」って
流れで来てたわけじゃない。

それが、いったいどこから
二人の歯車が噛み合わなくなってしまうのか。

いったいどうして、
長谷川光秀が染谷信長を殺すに至るのか。

その過程を追うのが、
すごくおもしろいんだよね。

途中、オリキャラ出過ぎで批判もあったけど、
オリキャラのパートを飛ばして見てた視聴者もいるけど、

それでも見放さずについてきた人、
けっこういるわけじゃない?

それってやっぱり、この世紀の謎を、
この作品ではどう描くのかを、

見届けたいからだと思うんだよね。

だから、「謎」を謎のままにして物語を展開し、
最後まで視聴者を惹きつけることは、

すごく重要なことだけど。

それをするためには、

起承転結の「起」から「転」に至る過程、
つまりは「承」を丁寧に描く必要があるんだよね。

それなしに、矢継ぎ早に
「転」と「結」をやられても、

わからんのだよ。

大げさな例を挙げるとすれば。

信長との初対面時に、
「信長様ならば、麒麟を連れて来れるかもしれぬ」って言って、

その日の夜に、「膳が違うっ!!」と公開パワハラを受けて、
翌日に本能寺の変を起こして、その次の日に秀吉に敵討ちされる、

そんな、「3日天下」ならぬ、
「3日物語」みたいな状態じゃあ、わけわからん、って話です。

感動も何もないだろ、って話です。

どうして、信長ならば麒麟を連れて来れるかもしれないと、
思うに至ったのか。

そして、そう思ったにも関わらず、
信長も光秀を重用していたにも関わらず、

どうして二人の間に溝ができたのか。

そしてそれがどう、
本能寺の変に発展していくのか。

そこら辺を描かないと、
視聴者は置いてけぼりを食らうわけです。

そして、それを丁寧に描いているからこそ、
少しずつ、少しずつ謎が解明されていくからこそ、
微妙な心情の変化がわかってくるからこそ、

最後まで見たいと思うんです。

それなのに、貴重なパーツを
うまくつなぎ合わせようとしないどころか、

単なる「雰囲気作りのための小道具」として
かき集めて使い捨てにしてたんじゃあ、

「雰囲気だけで内容の薄いミュージックビデオ」と
酷評されても仕方ないと思う。




#アニメ #ドラマ #レビュー #動画探索 #映画

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