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おはよう
壊れた カタツムリの殻の水浴び
おはよう
レールに光る ヤモリの夢の轢死
裸の背をかけのぼり
あおむけに影はたおれて
てのひらの乳房が
寒気に立つ方角へと
魚たちがまつげを叩いていく
何をなして
ここまで来たのか
人でなしの言葉でうろついて
秋がきても冬がきても帰らなかった
木の葉の虫食いたちが
ざわめいている
等しくひかりを受けるがいい
広場の隅にオスカー・ワイルドの
ぼろぼろの「幸福な王子」が
詩の彫像のように立っているのがみえる
つばめがくわえて飛び立った
青いサファイアの瞳が
地上を誰のものでもないまなざしにする
おはよう
うぶ声をあげる たて髪の幽霊
おはよう
くだけ散る 遺失物の散歩道
1013年冬
信号が
(●)(○)
変わりますとパッポウが鳴く
ここはどこの
ふかい海峡
ゆらり曲がる
函館元町十字街
レールをゆく深海魚
ゆけるまでしかゆけない愛しい市電
とける太陽をゆっくり光らせ
(あとは知りません
旧家の娘が
幻のドックでスカートをひるがえす
金森商店の土蔵で
真鍮の円筒オルゴールが止めば
うしろの静か
(つぎ 止まります
家族そろって おもてなしに
函館梁川町電停前
いつでも どこでも
洋食のからす亭
婚約者たちの ナフキン
きつね色したエビフライの赤い尾
半音あがり
パッポウも鳴いて
イルカ 原潜 十和田丸
御用のないもの
めずらしそうに集まってくる
2012年春
ある日、別居中だった夫のアパートを朝帰りの女のように、
そっと出ると、ふいに女の耳には駆け寄らずにはいられなく
なる、ある種の高い音域に捉われて、私は小走りした。
タンポポが咲く駐車場と、子供の姿をみない高層マンションの
広場の角を、急ぎ越すと視界の中にバサバサした綿屑のよう
なものが飛び込んできた。見るなり「手で掬いとり口許に寄せ、
二本指でそっと撫でるのよ」、間髪入れない感情が、鳥肌を立
てていた。
巣から落ちた子雀は、無方向に鳴いては飛びすさり、止まって
は一層鳴いていた。梢のように赤みある、細くけなげな脚は片
方折れていた。チョンチョンと跳ねて、まだ飛び立てもできず、
バサバサと羽ばたき、地面に傾き、ひきずる羽を、うまくも畳
めず、ぶざまに、ただ、鳴くだけだった。
(拾って、後、どうする)という考えがよぎると、子雀が一層
ひどく、這いずり回りだしたような気がした。子雀の方に、自分
の影を、ゆっくり近づけ、黒い塊を、横からおおいかぶせた後、
見もせずに通りすぎた。
それから二ヵ月ほどした、かんかん照りの休日、自分のアパー
トを出ると、路地の四つ角で、大きな青虫がのこのこと這うの
に出くわし、ぎょっとした。あまりにも鮮やかなマットの黄緑
色で、節ごとに黒く四角い模様が二つずつ並び、頭の先の五、
六本の髭が触覚なのか、左右に振り振り黙々と進んでいた。
このままでは、干からびるか、車に轢かれる。なんとかしなく
ちゃと心が焦った。いやそんなことよりも、アスファルトに突
然あらわれた、鮮やかさの、なまなましさの、この無防備さに、
慄いているだけなのかもしれなかった。枯れ葉を青虫の前に置
き、進行方向を庭の有る家へ向けようと、思いついた。
一度目は無視された。二度目、枯れ葉にかさりと、足がのると、
方向が変わった。いいぞと三度、四度とするうち、ぎくりとし
て立ち上がった。これは罠に誘うのと同じじゃないか。
私は、枯れ葉を捨て、遊びともつかないことを止めて、歩きだ
した。その時、車がカーブを切って、私の枯葉によって進行方
向を変えた、まさに其処へと進入してきた。
電柱の脇、かんかん照りの側溝の近く白っぽく汚れて糸をひい
たものの先に、わたひの影はとても短かった。
2011年晩秋
扇状地を
いくつもの河川が
夢みる侵入のように蛇行し
とり残された三日月湖は
緑のまま、まばたきもしなかった
わたしたちは声を失って
人形(あのこ)は何も映さない瞳になって
人形(あのこ)は後ろに首をかくんと折れて
花は冷えて
人に愛されなければ
人に畏れられなければ
この世にはなにひとつ存在しないんだよ
明け方の夢を
おさないこころと
クローバーに編んで
人形(あのこ)と人形(あのこ)の頭に載せた
くつがえされた玩具郷が
二人遊んだ湾岸都市に
うっすらと埋もれている
人形(あのこ)はあくびし
人形(あのこ)は眠る
ついたら起こしてね、と瞬(またた)いて
2011年初夏
廃庫となった車両倉庫の
引き込みレール跡のどん詰まりに
事務所はあった
背中にモッコはあるのか
はい それだけはなんとか
万人の幸福という
饅頭を仕入れにきた
赤いのぼりには
千個売ったら一モッコ
それは使命とあった
万人の幸福と銘打つ
それでハピー 違うかね
千個売ったら使命は終わり
死んでいい
なに、また千個売ればいいんだがね
背中に一モッコを背負って
床に敷かれたダンボールの
僅かな段差につまづいた
夜もふけて
使命のアイロン式幸福スタンプを
エネル源につないで待った
隅から這い出した
金型が甘い玩具のようなものは
赤熱して
三本の湯気印を浮かべていた
集中力がいった
ほのかな焦げの香りが
逃げながらわらうこどものように満ちてくる
ジュッ
冷えた
雪明りを踏み
ジュッ
目指している黒ゴム長靴がある
寒風に
ジュッ
さらされた肌は
生臭い匂いにつつまれる
あれは無毛のいきものの
本然の匂い
ジュッ
じゃないか
みごとだ
ぶれのない均一の印じゃないか
腱がしびれて喜びにあふれている
ああ何かないか
ほかに何か
万人のなんでもいいだろう
むせかえる
この朦朧は
わたしには窺いしれない
餡こへの兆しではないだろうか
それも
真坂
ふる三月ならぼた雪の静けさ
洗いもしてないカーテン窓から
むらさき餡こが
ひとつと這い出してくるのが
薄目にみえる
2009年冬
夕陽の橋を
渉らなければ よかった
あんなにも
見つめたりしなければ よかった
橋のまんなかで
爪まで小焼け
かなしくないのに
うまれてはじめて涙ながれた
まんなかでは
つむったまま
小石を渉ればつめたくて
心地 いいでしょう
髪の毛も さぞひろがるでしょう
かなしくなくて
石のひとは
ひとよりふかい腕を寄せるでしょう
あかい小石をくちにして
月はあかるく
あかる小石はなるという
*あかる…赤いこと
2009年春
冬の電車で、連結器近くの座席に腰掛け、視線を少しばかり泳がせると、合わせ鏡のような隣の車両には誰もいなかった。
ただ一定の方向に進んでいるに違いはなかったが、ここを基点に果てしなく両側が、どこまでも延びているのではないかという奇妙な感覚に囚われた。
目的地がどこであれ、こうなってみると、どこかへ向かっていると感ずることは、乗り込んだ地点での約束ごとが、どこまでも有効であると信じているだけに過ぎなかった。
いまこうして、巨きな物理が変革されているとしても、わたしは、昨日の早朝、初めて出版する書物の校正刷りに朱をいれた原稿の束を抱えて、揺られているより他はない。
わたしの右手、進行方向には誰もいない車両が延々と続き、わたしの座る連結部から左手には、停車駅ごとにまばらに人々が乗り込んで、そうしていまだ約束が有効ならば、東へと電車は走っている。
*
三重に住む姉に久しぶりに電話した夜は、記憶力がよく、おしゃべりな姉に押されて、切り上げる箇所を見つけられないまま、いつしか幼い頃の話へと向かっていた。気性の荒い漁師村へ赴任してきた巡査の娘が、いつも綺麗なハンカチでえっえっと泣いていた話だった。
商売をしていた我が家の父は、村ではインテリだったから、娘をよろしくと挨拶があったらしい。「ほら、警察のタカコちゃんの誕生会にあんたが行くことになって、手作りの贈り物がいいという話になって、ストローをつなげたペン立てを一緒に作ったじゃない。あれ、ものすごく喜んでくれたじゃない」覚えているかと姉はいう。姉は先天性股関節脱臼で、しばらく歩けない時期があった。
もう何十年と回想することのない時代だったためにまったく手がかりすらないほど記憶になかった。「ほら雑誌の付録にあって、ストローを糸で針を通して筏みたいにして…」と言われたところで、かすかに白地に赤や青のラインの入ったストローの筏が、沈んだ海から縦に浮上してくる映像がぽっかりと浮かんできた。
*
車両連結部の嵌め殺しの硝子窓は、互いに重なりながら微妙にずれ合い線路の継ぎ目ごとに揺れていた。
その隙間に、降り始めた小雪が舞い込み、ふわりゆらりと、いつまでも舞うので、わたしは、とてつもなくながい遥かな昔からの、巡礼の途上であったことを思い出し、薄汚れた装束の胸の奥深くで、固く目を瞑った。
2008年秋
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