<グーグルロゴ>(91)「藤田嗣治生誕132周年」
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子供の頃から絵を描くことが好きで、当時の芸術の中心地であったフランス、パリで西洋画を学ぶことを夢見ていました。1905年、「東京美術学校」へと入学し、西洋画を学び始めます。当時はパリからもたらされた「印象派」や「写実主義」の作風が流行っていて、それは、彼には合いませんでした。そのため、学校の成績はあまりよくなかったようです。
卒業後は「新宿百人町」にアトリエを構え、活動を行い始めますが、フランスへ留学したいという思いが次第に強くなり、1913年にフランスへと向かいました。フランス、パリの「モンパルナス」に拠点を置き、活動を始めます。当時の「モンパルナス」は、中心街から少し離れた寂しい郊外にありました。そこでは、「エコール・ド・パリ」と称される様々な作家と交流を深めています。<アメデオ・モディリアーニ>、<フェルナン・レジェ>、<パブロ・ピカソ>、<アンリ・マティス>等々、名だたる芸術家と交流を行なっています。
1922年、サロン・ドートンヌ展に出展した「寝室の裸婦キキ」が注目を集め、彼の死後、夫人により旧宅が「メゾン・アトリエ・フジタ」として整備され、彼の作品が大切に保存されています。
今年(2018年)は、彼の「没後50周年」ということで、日本各地で様々なイベントが行われています。