「誰だって殺し合いは嫌なはず、だったら話し合いのテーブルにつくでしょう。」 そこが明確に違うのだ、この問題は。 KUMAさんの言葉を借りるなら、「ムスリムと言っても、イスラム原理主義を始め、それぞれで大きく戒律の解釈が異なります」だ。 ISはイスラーム法で統治されるイスラム国家樹立を目指し、(厳格な一神教であるため)それ以外を悪と判断するので、イスラム国家ではない日本、イスラム教を信仰しない日本人は攻撃対象(死刑)だ。 相手が、その世界でいい人かどうかは関係なく、私たちの正義や宗教の自由とは全く相いれない思想であることを理解しなくてはいけない。 「安倍が悪いから日本が標的にされた」は、問題の本質を全く理解していないばかりか、テロ対象国内での意見を分断することは、テロ組織の術中にはまる行為だ。 日本は、オウム真理教によるテロを経験していながら、なぜこの問題を政治的なものとして考える人がいるのか理解に苦しむ。 オウム真理教でも、ごく一般の人達、あるいはエリートをターゲットとして、洗脳しテロへと駆り立てた。 当時のオウムと現在のISで大きく違うのは、インターネットというインフラだ。 ISは直接勧誘せずとも、インターネットを介して感染あるいは洗脳が行われる。 どの国のどの地域でも、ジハードの戦士が登場する可能性があるという環境が、問題解決を阻む大きなファクターとなっている。 相手と話し合うにも、全権を掌握するリーダーなど存在しない、ウィルス感染者の犯罪行為が、その実態と言ってもいい。 話し合いたければどうぞ。 異教徒の首をナイフで切ることは、彼らの中では目的・正義でしかない。 では、どうすれば解決するのか。 日本あるいは世界のオウムへの対応を思い出そう。 国家権力と公安の情報収集によって、現在はバランスされている。 国際社会の対応方法も、規模は違えどもこれ以外の対応方法はない。 犯罪を犯すことも、犯罪者を作ることも厳しく取り締まる。 それしかないのである。 「思想・宗教の自由はどこへ?」という声が聞こえてきそうだが、われわれ自由社会は一定の枠の中で、自由が成り立つことを知るべきだ。 自由主義の行き過ぎは自由を捨てることになり、民主主義の行き過ぎは民主主義を崩壊させてしまう事は、この制度の欠点であり、原理的に脆弱なものだと理解しておくべきだ。 自由も平和も、一定の管理下にあるからこそ成り立っているのだ。
Posted at 2016-07-05 22:24
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