隠れ家に、装甲車が到着しました。 無事に日本のナンバープレートが装着されています。 やりましたね。 ガレージの予定通りの場所にぴったりとおさまる姿を見て、感無量。 難易度マックスなので、さすがに最後まで気が抜けませんでした。 ただし、運転はそりゃーもう大変。 欲しい人がいたら、あと2~3台なら入れてあげます。 それ以上はさすがに無理。 さて、これを運転するのは楽じゃないです。 明日から特訓です。
これは昨年、上海の路地裏を歩いた時のスナップである。 ガムテープやゴムバンドにまかれた、オンボロバイクが数台。 しかし、よく見ると全て電動に改造されている。 珍しさや、偽善で乗っている電動車両ではない。 完全に生活の臭いがする電動バイクだ。 カッコよくはないが、必要性があるがゆえに日本よりも電動車両が発達している事が分かる。 理由はともかく、こうして実用化されるところには、改良や進化が生まれる。 次世代の中国電動バイクは、実用的で頑丈なのが生まれそうだ。 日本製品もあるけど、普及はまだまだこれから。 どうする日本! 現在の日本では、ほぼ化石燃料に頼った電力が供給されている。 つまり、どんなに素敵なテスラであっても、不細工な日産リーフであっても、EVは化石燃料で動いていることに変わりない。 しかし、もともと内燃機関はエネルギー効率が悪いので、発電・送電・蓄電のロスを考慮しても、EVのエネルギー効率のほうが多少マシかもしれない。 車両本体価格を無視すれば、エンドユーザーが支払う燃料代(電気代)は、かなりお得だろう。 かといって、太陽電池を屋根に積んだ自動車が動くのはバラエティー番組の中だけ。 原子力と化石燃料への依存をやめるためには、エネルギーの技術革新がまだまだ必要なのです。
パピーヴァン ウィンクルファミリー リザーブ 20年 ここまで上物のバーボンを、帝国ホテル OLD IMPERIAL BARで発見。 しかも、ボトル売りだそうです。 香りが甘く、いろいろなドライフルーツのようだが、単純ではない。 口に含むと、柔らかい舌触りで甘さが炸裂する。 喉の奥にいつまでも続く香り、最後に長熟独特のセメダイン臭 。 これが、実に面白い。 長熟のバーボンの中でも、トップクラスの纏まりと深さ! 僕の夏は、またもバーボンブームが来そうです。
まずは、各部の操作の説明を受けている。 通常の自動車とは、根本的に構造が違う。 ギヤチェンジやペダルの使い方も全く違う。 したがって、普通の車だと思うと動かない。 おかげで、自衛隊の戦車部隊の隊員でも来なければ、盗まれる心配はない。 視界の悪さはピカ一で、カメラとモニターを4~5個は並べたいところだ。 ETCも必需品に感じられる。 広告宣伝用車両として営業する前に、操作の慣熟が必要だ。 それまでは、誰も乗せない。 慣熟及び各部の安全確認後の出動イベントは、派手にぶち上げたい。 ネット上の小細工から、リアルな広告の世界に出陣だ!
しかし、先日カナダ大使館で見たGARNEAUのトライアスロン車両、かっこよかったな。 乗ってみたい。 成功したマスタマイズがされたマシンには、なぜか強い魅力を感じる。 いや、わからない奴には一生わからないだろうな。 吊るしの車に乗ってはいけない。 これは、当家の掟である。
昨日は、グラントの長年の取引先である自転車輸入商社アキ・コーポレーションさんの2013ルイガノサマー展示会にお招きいただき、参加しました。 会社設立20周年記念イベントでもあり、会場はカナダ大使館! こんなの絶対行きたくなりますよね。 ルイガノ2013年は、スポーツバイクカテゴリーのGARNEAU(ガノー)に注目だ。 僕は会場にあった、レースバイクにくぎ付け! 何じゃこのギアは!? どんなバケモノが漕いでいるのだろう? でもちょっと欲しい。。。
2012年7月4日から7月7日まで、母と二人で樺太(サハリン)を旅した。 母の生まれ故郷、真岡(ホルムスク)は2日間かけ、旅程のほとんどをここで費やした。 通訳とドライバーを従え、母の記憶だけを頼りに歩く旅は、数々の冒険旅行をしている私にとっても、歴史の扉を開きながらめぐる冒険に感じられた。 真岡郵便局 真岡神社 おかめ豆腐 真岡第四小学校 王子製紙寮 の面影を探して。
予備検を取得し、本登録を待つフェレット装甲車(Ferret Scout Car)。 装備品がオリジナル通り装着され、灯火類なども整備された。 武装解除されているとはいえ、偵察装甲車が民間のプレートで公道を走行する事は、異例中の異例だ。 この車両には既に公的博物館などからも問い合わせがある。 また、広告宣伝車としての企画も進めている。 世間では不可能と考えられていることを、僕はかなりの確率で可能と判断する。 難易度の高い仕事をやり遂げる事ができるのは、多くの仲間や協力者があってのことだ。 今回、車両を提案し、輸入代行外車と、整備・検査取得を担当した横浜の会社、そして多くの協力者に感謝したい。 これから夢に向かって始まる大きな戦いと、あらゆる困難を乗り切るための装備は完璧だ。 さあ、面白くなるぞ! 戦闘準備よし!
樺太(サハリン)、真岡(ホルムスク)。 母の記憶と旧市街図をたどり、南へ北へ。 通訳とドライバーを従えての、短く濃い4日間だった。 祖母・叔母、そして母から聞いた樺太の思い出を、母と共に辿る大冒険旅は、今年の冒険旅の中で光り輝くに違いない。 写真は、旧王子製紙社宅に戦後間もなくから住んでいるロシア人のおばさんから、近隣の情報を得ようとしているところ。 この町は貧しく何もないけれど、治安の良さは抜群。 そして、みんな幸せそうな笑顔がある。 日本で忘れられた何かを感じる。 ロシアでは、近年の日本の主張とは違い、ヤルタの密約が強調される。 ヤルタの密約を知れば、北方領土問題は、国益のために解決することができるだろう。 ----------- ヤルタ会談で対日戦争に必死だったアメリカがソ連に「日本を侵攻しないか? 褒美に侵攻した日本領土を与えるから」と秘密裏に話を持ちかける(ヤルタでの密約)。当初ソ連は日ソ中立条約もありドイツ戦で必死だったため、この話に乗り気ではなかった。 ソ連が対ドイツ戦に勝利。そのため兵力を日本に向ける事が可能となり、領土拡張の目的でアメリカとの密約である対日侵攻を実施する事になる。つまり、ソ連の対日侵攻はソ連が単独で行った事ではなく、アメリカとソ連による共同作業であった(計画=アメリカ、実施=ソ連)。 終戦である1945年8月15日を過ぎてもソ連軍の侵攻は止まなかった。しかし、太平洋戦争の国際的な本当の終戦日は(=日本以外にとっての終戦日は)降伏文章に調印した9月2日であり、ソ連から見れば(日本軍は停戦状態であったものの)戦時中であった。また、ソ連にとって「日本が早く降伏しては領土をぶんどれないので困る」という側面もあった。 終戦後、実際に占有した島部分だけでは飽き足らず、ソ連はアメリカに「北海道の留萌と釧路を結んだ線の北側をソ連領にしろ」と迫ったが、うすうすソ連を信用しなくなっていたアメリカは断固これを拒否した。 サンフランシスコ平和条約の際、島部分は歯舞諸島を含めて全部ソ連領という事でアメリカとソ連が調整。これを日本が呑む条件で日本の独立が回復された。よって「北方四島は勝手にソ連が占領している」というのは誤解であり、正しくは「アメリカとソ連が協議してソ連領とした」である。
フェレット装甲車のテストは終盤を迎えている。 プラグが到着し、電気系等の確認が終われば、いよいよ国内でナンバーを取得する手はずになっている。 既に、広告や博物館からの問い合わせもあり、この注目度を何に利用するかは、じっくり考える事にする。 【Ferret】