今日は関西国際空港の開港アニバーサリー ちょうど一人娘が出来た年で1994年 1994.9.4といい並びの数字だ。 この年から西日本から海外への空路は伊丹から成田経由ではなく 直行便が増えた。 今月から初めた「フラメンコ」の国スペインへ行ったのは1992年で 未だ成田経由でしか行ったことがなく、 1997年に結婚した妹のハネムーン(夫婦のじゃんけんでスペインに決めた)は 関空からだったはずだ。 私が初めて関空を使ったのは1995年で、 この空港を利用したい気持ちが表れている。 (行きのJR日根野~関空連絡橋でも何枚も写真を撮った) 行きたい!だけでどこへという目的がないところへ同僚がペナンへ行くというので 便乗したことがキッカケになる。 この年は2度ペナンへ渡った。二度目は一人で当時好きになった人に会いに。 そんなことを横浜の知り合いに相談に行ったのも関空からだったか? なかなかのバカで情熱的なさちは翌年伴侶と子連れ離婚を決め実家に 11年お世話になる。 11年間で関空を利用したのは、1997年の上海。娘と二人旅、 1999年(確か)のプサン。親子三代女子旅、 その後弟が移り住んだ北海道旅を2回、 羽田へも2回ほど関空から飛んだ。 (自慢になるほど使っていないが・・・(;^_^A) 関空の仕事は恐らく当時関西で働く人なら何かしら関わっているように思ったのは TV番組(ちゃちゃいれマンデーかな?)の街頭インタビューで「わしが関空作ったんや」 というオジサンがいたことで認識できる。 私も関空と大阪駅が今までした仕事の中で一番大きなプロジェクトだ。 ダンナとの再会も関空に2006年ヨーロッパ旅のお迎えに行ったことから始まるから 私にとっては吉方だと思ってる。 様々な人にとっての玄関口となる関空も26年になり、 二年前の台風で連絡橋に船が流され衝突した映像も衝撃的だった。 2020年コロナ禍から解放されれば以前と変わらぬ顔で ・・・と言いたいところだが2019年、年末の ゴーン逃亡のことがあったので抜け穴的、脆弱な部分は改善し、 これからも日本の顔の一つとして機能してもらいたいと願っている。 内側にいる私たちの国際感覚ももっと磨いておかないと アジアをリードしてきた国として恥ずかしい。 (自国のことも知る必要があるけれども。) 関空を含む大阪府は11月に大阪都に生まれ変わることが予想され、 日本としても首相も入れ替わるタイミングの今後はそんな意識を持って まい進したい思いでいます。 そして、関空&娘(早いけど) 誕生日おめでとう。