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posted 2014-07-04 14:33
ギター余話
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Toshiaki Nomura
「無量光院跡」 今回ここが一番印象的だった。 もう跡形もないんですが、 800年の時の流れを感じさせる場所でした。 諸行無常・・・というところでしょう。 藤原秀衡が造営した浄土庭園を持つ寺院。 今日との平等院を模してそれより一回り大きく作られた。 仮想の極楽浄土。 阿弥陀如来を安置して、 金鶏山に沈...
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posted 2014-07-03 23:27
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Toshiaki Nomura
中尊寺のお堂めぐりも終わり、 月見坂を出口に向かって降りていきます。 途中に「東物見台」という視界が開けた場所があり、 そこから景色が秀逸でした。 5月ということもあり新緑が鮮やかで綺麗でした。 まさに目に青葉状態・・・。 月見坂を下り終えると「弁慶の墓」という場所に出ます。 「武蔵坊弁慶・・・。」...
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posted 2014-07-03 14:31
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Toshiaki Nomura
緩やかな道を上がっていくと、 参道と合流した右手に「地蔵堂(じぞうどう)」があります。 こちらの地蔵堂境内には、 西行上人の歌碑と臼田亜浪(うすだあろう)の句碑があります。 また、地蔵堂と向かい合うように建つ赤いお堂に道祖神が祀られています。 「観音堂」 本堂の斜め向かいにあり、 薬師堂に隣接してる...
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ミャンマー日本国大使館から、治安情勢に係る注意喚起の緊急一斉メールが来ました。 ミャンマーは、ほとんどが仏教徒でムスリム(イスラム教徒)は4%ほどの国ですが、マンダレー管区のメイッティーラでは、昨年3月にも死者が多数出る暴動や放火が発生、政府により非常事態宣言が出されているので、初めてのことではない...
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posted 2014-07-02 22:59
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Toshiaki Nomura
「中尊寺本堂」です。 中尊寺は、天台宗東北大本山。山号を関山(かんざん)といいいまして、 慈覚大師(じかくたいし)を開山(開基850年)とします。 12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代藤原清衡公によって、 多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営され、 関山丘陵一帯に大伽藍が建立さました。 14世紀に惜し...
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posted 2014-07-02 14:36
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Toshiaki Nomura
「釈迦堂」に関する由緒書きはありません。 建武4年(1337年)の火災で、中尊寺は金色堂以外の全てを 全焼してしまったといいます。 その全焼する前の釈迦堂には100余体もの 釈迦如来が安置されていたという記述がありますが その後の野火で焼失しているので、その後釈迦堂が 再建されて今の釈迦堂になったか...
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posted 2014-07-01 23:35
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Toshiaki Nomura
「金色堂、旧覆い堂」 堂は建立当初は屋外に建っていたが、 建立の数十年後には建物を風雨から守るための「霧よけ」のような施設が造られ、 やがて正応元年(1288年)鎌倉将軍惟康親王の命令で、 金色堂を外側からすっぽり包む形で覆堂(さやどう)が建設された。 現在の金色堂覆堂は1965年に建設された鉄筋コ...
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posted 2014-07-01 17:37
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Toshiaki Nomura
なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。 小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。 松尾芭蕉像です。 中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。 この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。 かなり薄くなって判読できないですが・・・。 この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、 5...
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posted 2014-06-30 23:18
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Toshiaki Nomura
「経蔵」は「中尊寺」の境内にある間口3間、 屋根は宝形、金属板葺き建物です。 「中尊寺金色堂」のそばに建つ「経蔵」は、建武4年(1337)の火災で その二階が焼失、後々修理を重ねて現在は銅板単層の建物となりました。 現在の建物は平安時代の古材を使った鎌倉時代に 造られたものとされ、案内板によると創建...
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posted 2014-06-30 00:44
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Toshiaki Nomura
松尾芭蕉の「奥の細道」有名な句がありますね。 中尊寺にちなんだこの句が有名で、 句碑になってました。 >五月雨の降り残してや光堂< 俳句を少しかじってるわたくしも、 一句ひねってみたいのですが、 もう一つ才能がなくダメですね・・・。 陛下が昭和45年、岩手国体の時に、 金色堂をお尋ねになった時に、 ...