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  • とどまることの勧め Exaltation of Abiding

とどまることの勧め Exaltation of Abiding

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2015年3月8日日曜日バイリンガル礼拝音声は、youtube; http://youtu.be/nhbYaUXdrWU

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing.

ヨハネ15:7-12
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。If you remain in me and my words remain in you, ask whatever you wish, and it will be done for you. 8 This is to my Father’s glory, that you bear much fruit, showing yourselves to be my disciples. 9 “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love. 10 If you keep my commands, you will remain in my love, just as I have kept my Father’s commands and remain in his love. 11 I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete. 12 My command is this: Love each other as I have loved you.

★ ぶどうの木と枝
ヨハネ15:5 イエス様は、イエス様がぶどうの木で私たちが枝だと言われました。私たちは、イエス様と繋がって木がその幹から養分を吸い取って成長するように、イエス様から養分、愛、いのちを受け取って成長していくものなのです。
五節でも、そういう人は、多くの実を結ぶと書いてあります。そして、イエス様を離れては、私たちは何もすることができない、すなわち、神の御国のために何も成し遂げることはできないのだ、ということを言われました。

面白いことに、ぶどうの木というのは、りんごの木のようではなく、幹と枝がはっきりしません。ぶどうの木というのは、蔓なのです。Vine
神様は、私たちとイエス様との関係は、このようだと教えておられるのです。
どこからどこまでが枝で、どこからどこまでが蔓わからない。
外から見たら、一体に見えるということです。

★ 内住のキリスト

ガラテヤ2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. The life I now live in the body, I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me.

私たちは、キリストを信じたときから、私たちの内に神の霊が私たちの内に住まわれます。ですから、他の聖書の箇所でも、私たちの体は、神の宮だと言われています。
そして、神は、霊ですから、目に見えません。ですから、信者である私たちを見る人は、同時に神様をも見ていることになるのです。

★ とどまることは、あなたの選択でもある

そして、人々が私たちの内にキリストを見るときには、私たちがキリストと真の意味で一体となっている時です。
さて、七節のはじめには、こうあります。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、If you remain in me and my words remain in you,
つまり、「とどまること」というのは、私たちのチョイスである。私たちの意思に関わることであるということです。イエス様に繋がっていれば、多くの実を結ぶ、ただし、イエス様にとどまってるなら、ということなのです。

「とどまる」という言葉は、滞在する、宿るということです。私も先月から、立て続けに日本からのお客さんを迎えていますが、一番の楽しみというのは、一緒にご飯を食べたり、ゆっくり交わったりすることです。ただ、私の家の一室を使ってもらっているだけではないのです。もてなし、というのは、部屋を貸すことではなく、ともに時間を共有し、互いを分け合うことです。
私たちは、イエス様にとどまっているでしょうか。
ただ、日曜日だけ、イエス様に繋がってはないでしょうか。イエス様にとどまるというのは、日常の生活の細部に至るまで、イエス様とともにいることです。
それは、あなたのチョイスにかかっています。そういえば、教会に来ている以外は、神様のことを忘れてしまう人もいるのではないでしょうか。

イエス様は、七節で続けて、言われます。何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。ask whatever you wish, and it will be done for you. 私たちが神の御国の建設、御国の業をこの地上にもたらすために必要なものは、みな、求めれば与えられると言うのです。そして、イエス様は、次の二つを勧められます。

・愛にとどまる。。。

V9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。9 “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love. イエス様とお父様に習うということです。先週のメッセージの通りに、私たちは、体験を通して、愛することを心に焼き付けるのです。また、自分が愛された通りに、人にもするのです。自分に愛された経験のない人は、愛そうとするときに、独りよがりな愛、ゆがんだ愛を発信してしまい、受け取り手に伝わらないことがあります。私たちには、御父と、イエス様という素晴らしい見本があり、またイエス様も私たちを愛することで、私たちが他人をどのように愛したらいいか、示しておられます。 宗教から命へ。。。デリックの話し。

・み言葉にとどまる

V10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。10 If you keep my commands, you will remain in my love, just as I have kept my Father’s commands and remain in his love.

ロマ12:1-2 にこのようなみ言葉があります。

1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。Therefore, I urge you, brothers and sisters, in view of God’s mercy, to offer your bodies as a living sacrifice, holy and pleasing to God—this is your true and proper worship. 2 Do not conform to the pattern of this world, but be transformed by the renewing of your mind. Then you will be able to test and approve what God’s will is—his good, pleasing and perfect will.

私たちは、神様の御心を自分でしようとしても、心の一新すなわち、言語では、私たちのMind 考え方が変革されなければ、できない。と言うのです。
私は、心の癒しのミニストリー、解放のミニストリーをしていますが、この働きの全てを一言で言い表すと、自分の世に染まった考え方を捨て、神様のみ言葉を真の意味で信じるように導くことです。これには、自分が持っている、み言葉に合わない考え方に気付くことと、み言葉を知ること、また、み言葉を信じること、そして、信じているみ言葉を行うことで、完成します。

神様の戒めにとどまることは、愛にとどまることであるとイエス様は言っていますね。聖書の教えは、神の愛です。私たち、イエス様にとどまるものは、イエス様を尊敬し、そして、イエス様の愛することを愛し、イエス様の憎むことを憎みます。これが、神の戒めにとどまること、み言葉にとどまることです。

★ 喜びの満たし

V11わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete.

喜びは、天国の通貨のようなものです。天国にはお金がありません。しかし、喜びがあります。地上での神様のための働きも、報酬は喜びです。
人と言うのは、お金のために働いている人は、自分のことを幸せとは思いません。いつも、何かが足りないと感じながら、奴隷のように生きています。
しかし、給料が少ないが、意味のある仕事をしていると感じながら働いている人は、いつも満足しているそうです。また、先日、学生映画会で見た、Happy というドキュメンタリー映画でも、人間の幸せを形作る要素のなかに、社会、コミュニティにに貢献していると感じることをすることでした。地域のごみを拾うなどの奉仕活動をしている人、インドのマザーテレサの働きに携わっている人たちなど、みな、人生の意味を人に何かを与えるときに豊かに感じ、自分は、幸せだと思うのです。
これは、喜びという報酬を手にしているからです。

イエス様は、互いにこの天の報酬である喜びを持ち続けようではないかと、あなたに今日励ましておられます。

もう一度言います、イエス様にとどまるのは、あなたの選択にかかっているのです。イエス様に留まりませんか。そして、イエス様の愛を受け取り、人に与え、愛するものとなりませんか。そのためになら、神様はどんな祈りにもこたえて下さるとおっしゃるのです。

祈りましょう。
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