こないだ生まれたばかりだと思っていた、小さいちゃん。。。かわいいちゃんの妹さん、日曜日で一才になりました!! ケーキとろうそくの意味がいまいちわかんないぞ。。。。と思ってるかんじ。。。教会で祝福しましたーー
代わりに、少年少女合唱団のような、素敵な服装でばっちり決めている、お姉ちゃんが、ふーーしてくれました。なかなか消えませんでした。笑 教会には、いのちがいっぱいあふれています。とても、祝福されました。神様、ありがとうー!
2016年2月28日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/pPLeVlaX81w
いよいよ、クリスチャン生活の基本シリーズ最後になりました。今日は伝道についてお話しします。伝道というのは。道を伝えると書きますが、イエス様を信じる信仰を他の人たちに伝えることをさしています。伝道をされたことがある方も、ない方も、そして、一度伝道しようとしてうまく行かなくて、がっかりした体験をもっている方も、新たに神様から聞いていきましょう。伝道というのは、クリスチャンときっても切り離せないものです。というのも、イエス様は、私たちのことを世の光、血の塩と呼ばれたからです。イエス様に人生を変えられた私たちは、信仰を隠すことのほうが難しいのです。
私は、人生の中で、感謝する人がいろいろといますが、一番は、もちろんイエス様です。私の救い主だからです。もう一人を挙げるとしたら難しいですね、私の両親、牧師先生、いろいろといらっしゃいますが、わたしに福音を伝えてくれ人、わたしとそんなに年の変わらないアメリカからの短期宣教師ブランドンさんです。その人が犠牲を払って日本に来てくれたから、わたしにイエス様が分かったのです。次の聖書の箇所を読んでみましょう。
ローマ10:10-17
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。11 聖書はこう言っています。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」12ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。14しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
私が、ブランドンさんに出会わなかったら、イエス様にも出会っていなかったのです。もしも、私が、ブランドンさんから、聖書のお話しを聞かなかったら、私は、どうやって信じることができたでしょうか。ここにいるみなさんも、クリスチャンの誰かに出会ったからこそ、聞いたからこそ、イエス様を信じるようになったのではないでしょうか。
聖書の中に、大切な教えがたくさんありますが、大きな教え、二つを紹介します。二番目に大きいものと、一番目と続けて読んでみましょう。
★大宣教命令と黄金律
二番目、大宣教命令と言われるもの
マタイ28:19-20
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」19 Go therefore[c] and make disciples of all the nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, 20 teaching them to observe all things that I have commanded you; and lo, I am with you always, even to the end of the age.” Amen.
一番目は、黄金律と言われるものです
マタイ7:12
12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。Therefore, whatever you want men to do to you, do also to them, for this is the Law and the Prophets.
黄金律とは、「自分にして欲しいことを、相手にもする」ことである。究極的に、私たちがして欲しいことは、自分が死ぬ前に、死んでから自分はどうなるか教えて欲しい、天国に行けるのか、ということです。また、人生の意味です。人は、人生の意味を悟ろうとして一生を過ごしています。救いの道と、救いを伝え、救いを受けてもらうようにすることは、一番の善行といえます。
ですから、大宣教命令は、大事なのです。でも、本末転倒で、ただただ、遠くまで、ただただ多くの人に救いを伝えようとそこばかりに集中しても、そこに愛がないなら、何の意味ももちません
伝道とは、愛することです。
私たちに、イエス様が伝わったのは、そこに愛があったからです。まず第一に、そこに、私のために命を捨ててくださったイエス様の愛があったからです。大宣教命令を達成する人は、愛する人で無ければなりません。
私は、よく聞かれます。どうやって、家族に伝道したのですか、とか、どうやって、伝道するのが一番効果的ですかと。。。
私は、イエス様が伝えたくて、いつも、トラクトや四つの法則の冊子を持ち歩いていました。またご本指のカラーの手作りのミニブックですね。たくさんたくさん失敗しました。そこで分かったことがあります。
★伝道の方法論?
方法論をもって、一貫して教えられたらそんな簡単なことはありません。伝道は、方法ではないのです。
◎一に、二に愛すること
一人ひとりのニーズ、や人生の背景が違う。ある人に、この説明の仕方で理解してもらえたけど、他の人には全く通用しない。。人それぞれです。しかし、絶対に間違えのないことが愛すること。あなたが、本当に相手を愛していて、つたなくても、いろいろ失敗しながらでも、真摯にイエス様のお話しをし、伝えるならば、相手は受け取れるようになります。
◎良い人間関係を築く
人々は本物を探している。私たちが裏表無く、神を愛し、神に従っている姿勢は、人に受け入れら、尊敬される。私たちが、道端に立って大声で神様のメッセージを語らなくても、神様に親権に裏表なくしたがっている姿は、人の興味を引きます。親しくなった人は、みな聞いてくるでしょう。あなたは、どうしてそんなに、辛いのに明るい顔なの? とか、どうして人の悪口を言わないの? 等々。。。良い人間関係を人と持つことを心がけていれば、人は向こうから神様のことを聞いてくるようになります。私たちが忘れていけないのは、人がわたしを受け入れ、愛する時、私の内側にいるイエス様をも受け入れているということです。
大宣教命令で、出て行って福音を伝え、全ての国民を弟子とせよとありましたが、弟子とするというのは、クリスチャンになってからするものだと私たちは勘違いしてるのではないでしょうか。真の弟子と言うのは、自分が愛されたように、他の人にもしてあげようとその人が思った時に、弟子訓練は成功と言えます。もし、あなたが愛している人が、わたしもあなたのようになりたい。あなたにしてもらったように、誰かにしてあげたいというのなら、弟子訓練は大成功です。その人は、心にイエス様のメッセージをいただいているのです。覚えてください。弟子訓練は、人が救われる前に始まっていることを。。。。
◎証しの力
「イエスの証しは預言の霊」と聖書にある通り、聞き手の内に何かを起こす力がある。聖書のお話しは、私は、初めのころは、さっぱり分かりませんでした。でも、人の体験談、証しはとても興味深く聞きました。そして、あのようになりたい。あの人のように神様を信じたいという思いにさせられたものです。証しにはものすごい力があります。ですから、いつでも自分の救いの体験談を三分くらいで話せるように準備しておきましょう。
◎聖霊様に従うこと
聖書に次のような言葉があります。
ヨハネ3:8
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこに行くかを知らない。御霊によって生まれるものもみな、そのとおりです。」The wind blows where it wishes, and you hear the sound of it, but cannot tell where it comes from and where it goes. So is everyone who is born of the Spirit.”
このように、私たちは、いつ聖霊様が働いているかよく敏感に察知してともに働かなければなりません。自分たちの考えで物事を判断していては、失敗します。よく、私たちの考えを超えて人が導かれてくるものです。。当のわたしなんかも、周りの人にこの人は救いから遠いと思われていた人の一人でした。。。ですが、救われたばかりでなく、献身までする人に変えられました。誰がそんなことを想像できたでしょうか。聖霊様が働かれている時、というのは、風のようです。今、という時を逃さないように、神様に忠実でありましょう。
◎教会が一つになり愛し合うこと もう一つの大宣教命令
先ほど、「出て行って福音を伝えよ」という大宣教命令を読みましたが、もう一つの大宣教命令があります。先週も読みましたが、
ヨハネ17:21
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。that they all may be one, as You, Father, are in Me, and I in You; that they also may be one in Us, that the world may believe that You sent Me.
教会員たちが互いに愛し合い、一つになっているなら、それは、非常に人々の魅力を弾くのです。使徒の働きでも、その様子に惹かれて、どんどん教会に加わる人々が増えて行ったとかかれてある通りです。外向きだけが大事ではなく、互いの間に愛があふれることも大切なのです。
★キリスト者の成熟の一つ
これは、私の持論ですが、木に実がなることは、神様のデザインです。また人が子を宿すことも神のデザインです。神は、アブラハム・イサク・ヤコブの神とご自身を紹介する世代に渡る神であり、世代を大切にされる神です。ですから、私たち、キリスト者は、一人の人が親となるように、霊的な親となることが自然な成熟の姿だと信じています。
人を救いに導き、そして一人の立派なクリスチャンとして育てていく。これが、一人ひとりのクリスチャンのあるべき姿だと思っています。
自分の信仰の実である。 木が実をつけなければ、その木は成熟しているとはみなされない。木に栄養がいき、太陽が照っているならば、かならず実を結びます。もし、クリスチャンとして神を愛していて、自分の周りの人が変わらないのなら、少し考えてみた方がいいかも知れません。。。
あなたは、自分が思ったよりも影響力があるのです。内にイエス様がいるのですから。
クリスチャンとしての自分を隠してはいませんか? 自分なんてと思ってはいませんか?
誰も蜀台をテーブルの下に置く人はいないと聖書にあります。輝かしてください。多くの人があなたを通して救われるのですから。
ぜひ、周りの人に、証ししましょう。そして、イエス様を伝えていきましょう。あなたの周りの人を愛しましょう。。。そこからはじめませんか。
ぼ
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