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  • One Heart シリーズ男女 ④; 聖書の解釈

One Heart シリーズ男女 ④; 聖書の解釈

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One Heart シリーズ男...
2016年7月10日日曜日礼拝youtube https://youtu.be/0AjhfjyKZec

2. 1Corinthiansコリント14:26-40
Should women keep silent? 女は教会では黙っていなければならない?

兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。27 もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしないさい。28 もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。30 もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことでき、すべての人が勧めを受けることができるのです。32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。35 もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。37 自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。38 もしそれを認めないなら、その人は認められません。39 それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。

◎この手紙でパウロの伝えんとしている心 

ここ数か月コリント人への手紙で見てきたことのおさらいをしてみましょう。聖霊の賜物についても私たちは、学んできました。それも、コリント人への手紙でしたね。目的は、皆が奉仕するため。教会を建て上げるため。互いに、励ましあい、尊敬しあい、愛し合うこと。そして、教会はキリストの体ですから、それぞれがそれぞれのパートを担うこと。先週の11章では、男女共に主の前に立って、礼拝し、奉仕し、祈りや預言の奉仕をすることをパウロは励ましていましたね。ただ、預言をするときの身なりについて、きっちりとラインを引きました。それは、文化的な背景があったからです。今週は、13章の愛の章につづいて、14章になります。パウロのメッセージはなんでしょうか。

◎よりよく聖書を理解するために 文章の構成と文法について

 交差的文書構成 キアズマ形式 Chiasms

パウロは、Chiasms という次のような書法を好んで使いました。当時、ギリシャ、ローマ、ユダヤの作家たちもパウロのようにこれを好んで使いました。
スライドに見れるように、鏡のように、同じ課題についてA1 B1 C1 C2 B2 A2 という風に書いて行くという書法です。ちょうど人間の手を広げた形のようです。頭の部分に要点が書かれています。この個所では、要点は、★で示しましたが、26, 33, 40節に書かれてあります。すなわち、

26 兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように

33 For God is not the author of confusion but of peace, as in all the churches of the saints.
(ここは、英語と日本語とでは、意味が違いますね。あとでなぜかを説明しますね。)

40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。40 Let all things be done decently and in order.

パウロは、男女すべての人が、人々の徳を高めるために、みんなそれぞれ奉仕しなさい。けれども、それには、きちっと適切に秩序をもってするのですよ。ということを言っているのです。
そして、教会の礼拝の中で、その秩序を保つのが難しかった事柄が三つありました。それは、異言、預言、女性についてでした。

そして、その三つの事柄に関して、パウロは、同じギリシャ語の単語を使って矯正しています。それは、Be silent という言葉です。黙っていなさいということです。

異言に関しても、教会内の秩序に従って黙るべき時は、黙りなさい。そして、預言に関しても、秩序に従って黙るべき人は黙りなさい。そして、女性たち、後に説明しますが、文化的な背景と状態から、秩序に従って黙るべきをパウロは主張しています。

ここで、翻訳におけるエラーがあります。私たちギリシャ語の素人にはわかりえないことですから、今まで受け売りでそのまま読んだり教えを受けたりしてきました。

NIVの翻訳は、女性のところだけを黙りなさいと訳し三つをバラバラの単語で訳しています。日本語は、三つとも同じです。聖書は、エリックの大好きなKJVがやはりいいのかなと思わざるを得ません。(余談) 

◎ギリシャ語の文法と翻訳の間違い

句読点…当時のギリシャ語には、句読点がありませんでした。ですから、訳した人は、自分の想像で句読点を入れながら訳していったわけです。そして、先ほど読んだ通り、33節では、英語NKJVと日本語の訳の意味が違っていましたね。句読点の在り方次第で、聖徒たちのすべての教会で、女が黙ってないといけないのか、聖徒たちのすべての教会で、神が混乱の神でなく、平和の神なのかという全く違うメッセージとなってしまうのです。

33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように 33 For God is not the author of confusion but of peace, as in all the churches of the saints.

引用句…ギリシャ語 エイ は、今でいうクオーテーションマーク、日本語ではカギかっことして使われていました。しかし、今のクオーテーションマークのように、鍵かっこが引用句のはじめと終わりについてるわけではなく、エイという一文字がついているだけです。それで、Ⅰコリントだけでも、49回も出てくるので、学者たちは、頭を抱えたようです。

そして、またこの小さい単語は、感情を表すものとしても使われたようですからややこしい。意味は、ナンセンス! 何だって!? 断じて違う! Nonsense! What!? No way! という意味だそうです。

で、今日読んだ個所の特に、36 節にも、この単語が使われているのですが、残念ながら、日本語訳にこの単語の意味は反映されていません。

しかし、興味深いことに、エイを入れて訳すと次のようになります。

V36 Nonsense! Did the word of God originate with you? What? Are you the only people it has reached? くだらない! 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。何だって? あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。となります。

(KJV では訳されているが、NIVでは省かれている。日本語でも省かれている。)

というのは、教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。for it is shameful for women to speak in church
ということに対して、パウロが反応して、ノンセンスだ、と言っているのです。

そして当時、教育も、宗教参加も長い間許されていなかった女性たちに教会の中でしょっちゅうしょっちゅう大きな声で質問しなくてもいいように、教育を受けている主人が責任をもって妻を教えておくべきだということを言っているのです。

◎女性は黙っていなければならない?

さて、教会の礼拝の秩序を乱す三つの事柄の一つが女性の問題でした。先ほどはなしたように、当時女性は、学問も宗教教育もなかったのですから、質問だらけでした。また、当時は、まだユダヤ教からキリスト教への移行期で、ユダヤ教のなごりが残っていたので、男性と女性は、それぞれに別れて座っていました。ですから、何か、わからないことがあると、妻たちは、夫に礼拝中に「なんて? どういう意味?」と分からないことがあったら聞いていたようなのです。けれども、これでは、礼拝中にやかましくて仕方がありません。ですから、パウロは、その場で聞くのではなくて、後で家で夫に聞きましょう。また夫は、きちんと家で今まで教育のなかった妻を教えましょうということを言っているのです。

というのも、神様というのは、教会において、秩序と平和の神だからです。という、句読点のところで説明した、メッセージに繋がります。ですから、どこの教会でも、女性は、黙ってるべきだ、という解釈の仕方は間違いなのです。

また、もう一つは、コリントの文化的な背景で、アフロデなどの異教の神々を信じていた女たちは、当時の風習は、金切り声をあげて叫ぶことを通して女たちは、宗教行事に参加したそうです。秩序はなく、いつも騒音と混乱の中で儀式が行われたのですから、そのなごりで、キリスト教においてもそのやり方を持ち込む女たちがいたのです。Ululation パウロは、新しい改宗者の女たちに向かって静かに、秩序に従ってということを話しています。

◎夫に服従?

34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。34 Let your women keep silent in the churches, for they are not permitted to speak; but they are to be submissive, as the law also says

この個所も、間違ってよく理解されているみ言葉ですが、服従しなさいという言葉に、誰に? 何に? という目的語が欠けています。これは、珍しいことです。で、人々は、その次にくる聖句に夫が出てくるので、妻は夫に服従するのか。と勝手に理解するのですが、この文脈から言えば教会にと考えるのが一番自然だと思います。それか、もう一句さかのぼって、33節の秩序の神に服従するのが自然です。そのような姿勢で礼拝を持ちましょう。我先に、私のニードを一番にという態度ではなく、慎み深い態度で神様におゆだねする態度を持ちましょう。ということです。

<まとめ>  ギリシャ語や文法や書法など難しいことを言いましたが、とにかく、このコリント14章は、ことさらに女性を非難している章ではなく、礼拝の秩序について語っていることを理解できたと思います。要点は、秩序をもって神様の霊に従った礼拝、人々を建て上げるような礼拝が望ましいということです。


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