我が家はすぐそばに、皆さんがわいわい集まるシアトルセンターがあります。すごく寒かったので、外に出ずに、家の中から花火を眺めました。しかし、今年は音がすごい! ビルがもっと増えたせいなのか、花火の数が増えたのか。。。景気のいいことです。あけましておめでとうございます。
2017 年12月31日今年最後の主日礼拝音声はこちらから、
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ルカ17:11-19
11 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
12 ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
14 イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。
15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
17 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。
18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
19 それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
今日は、最後の礼拝です。神様に心からの礼拝を皆さんと一緒に捧げたいと思いました。毎年、感謝祭のころや、イースターのころに、I-5にかかっている陸橋から、Jesus Loves You. という看板を掲げている人たちをみます。トラフィックに手を振っています。Jesus Loves You 。こないだのクリスマスの時には、さすがに風吹で、いなかったな。。。などと考えていました。
イエス様は、私たちを愛しておられます。信じますか。
人間というものは、本当に愚かなもので、心を鈍らせ易いものです。おいしいものでも、毎日食べると飽きてきたりします。初めて感動した味が薄れ、心が麻痺します。ある人に親切にされて、初めはとても感動しても、親切にされ続けるとそれを疎ましく感じたりします。
私の主人はいつも優しいのですが、それが当たり前になっていることがあるな。とつい昨日、思いました。しかし、私の主人は、毎日何回も私に感謝を表してくれます。とても気分がいいです。当たり前になって、私は、感謝を忘れてしまいます。そのようなことが夫婦、友人の間でもあるのではないでしょうか。。。。どんなに親が私たちを愛しているか、小さいときから当たり前に受けていた愛ですから、疎ましく思うことは、若い人たちに良くあります。
このJesus Loves You の看板がまさにそうです。今年は、見なかったので、寂しかったです。。。
私たちにとっては、今となっては、その言葉は、当たり前のことで、クリスチャン生活の日常にあふれていることです。しかし、人生に迷ったとき、この言葉にしがみついて、救われたのです。この言葉で、私は、世界の見方がかわり、人生が180度変わり、家族みんなの人生が変えられました。そして、落ち込んだとき、失敗したとき、この言葉が私を立て直したのです。
今年は、この礼拝をもって一年が終わりますが、私たちには、感謝をささげるべきお方がいます。そして、感謝をし続けるライフスタイルの中に私たちはすでに入れられているのです。
ルカの17章11-19節を読みましょう。この箇所からいろいろなメッセージが語られますが、今日は一点のみ。10人らい病の人たちがいて、普段は、町を歩くときに、「私は、汚れている」と叫びながら歩かなければならなかった人たちが、イエス様をみつけるなり、「主よ、憐れんでください」と叫びにかわりました。彼らはJesus Loves You の真理、いけるみ言葉にいわばしがみついたのです。
イエス様は、10人とも癒された。当時祭司にみてもらうというのは、病気だった人がもう病気でないと祭司に認めてもらって宣言してもらうため。すなわち、もう癒されたよとイエス様は言っている。
10人は、嬉しかっただろう、何年も隔離されていたから、会いたい家族、子ども、恋人、友達がいただろう、その人たちに早く癒された自分を見せたかったろう。誰もが、急いで走っていた。しかし、一人だけ、ユーターンした人がいた。
15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
サマリヤ人だけがイエス様のところに戻って、感謝を表した。
サマリヤ人が感謝をして、いやされたことを神の栄光に帰した。私たちが、イエス様とのであいによって、受けた恵みをどこまでも神の栄光として、表すところに世の宗教との違い、ご利益宗教との違いがある。ご利益宗教とは、自分にとってよい見返りがくることのみに集中していて、私たちが信じていること、や対象はあまり問題でない。自分に良いことが来ればいいだけ。
しかし、イエスを信じるものは、イエス様に全ての栄光を返すべきである。これがキリスト教信仰であり、これが礼拝である。
そして、この礼拝の心を持っている人は、強い。どんな試練の中でもゆるがされない。倒されない。それは、この素晴らしい神様がいつも私とともにいると信じているから。
そして、そのサマリヤ人に、イエス様は、聞いた。17 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
イエス様は、他に感謝するべき人たちがいないのか? と聞かれた。
そして、19 それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
イエス様は、サマリヤ人に信仰があると認められた。イエス様は、残りの9人のユダヤ人たちにも信仰を見たかった。認めたかったであろう。その信仰とは、自分が良くなることだけに集中するのではなく、神様というお方に焦点をあてるということ。実際に、ユーターンして、イエス様の足元にひれ伏し、感謝をし、関係を結ぶ。こと。
私たちは、あまり個人的に良く知らない人からプレゼントをもらって、そのままにしておくと、関係は結ばれませんが、その人にお礼を言って電話をしたり合いに行くと関係が結ばれます。ワールドビジョンの里親制度でも、クリスマスになると、いつも子供たちの写真と手紙が送られて来ましたし、そのことによってさらに絆が深まるりました。
イエス様は、私たちを喜んで癒したいと願っています。そして、それ以上に、関係が結ばれ、関係が始まることを願っておられます。
信仰は、主に栄光を返してこそ完成します。主に近づくものは、信じるものに報いてくださることを信じなければならない。とありますから、報いられたら、ますます主に近づくものなのです。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 (ヘブル11:6)But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him. (Hebrews 11:6)
今、主に近づき感謝を捧げましょう!
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