Sabbathシリーズ② Trust 信頼
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2018年2月4日日曜日礼拝音声は、下をクリックしてください。
出エジプト16
みなさん、こんにちは、サバス安息日シリーズ二回目ですが、今日は、信頼について話したいと思います。神様は、モーセの十戒で安息を律法に定めたわけですが、実は、安息についてその前から、神様は人々に教えていたのです。出エジプト記の16章を開きましょう。みなさん、マナについてご存知ですか? エジプトで奴隷になっていた民が、モーセによって救い出され、約束の地に向かって四十年間荒野を旅しましたね。その四十年間神様が与えてくれたのがマナという食べ物でした。四十とは、試練を表す数字です。また四十年の荒野の旅は、私たちの地上の人生を表しています。私たちも、地上では旅人です。永遠の命、死後の世界こそ私たちのいのちの本番です。16章は、次のようなことから始まります。。。
★民のつぶやき
エジプトの方が良かった
3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。
死んでいた方が良かったと言う。。神様にお願いする前に、結論を出す
★神様は人々のつぶやきに答えられた
4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。
毎日天からパンが降って来る。。。何を連想しますか? イエス様をすぐに思い浮かべました。「天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは,わたしの父なのである。」「わたしが命のパンである。」また、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」と。ですから、み言葉のことをデイリーブレッド、日々の糧という風に言うんですね。
★マナについて
〇天からの贈り物であって、これは何だろう? というものであった。
13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。
〇各自が自分の食べる分だけ取った。が、それぞれの必要にピッタリだった。
16 主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみつろ、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。
〇欲ばって、また怠け心で、翌日まで取っておくと、腐った。
19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。
〇六日目には、いつもの倍を集めても腐らず、七日目は休むように言われた。
22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。
〇七日目には、マナは降らなかった。探しても見つからなかった。
25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。29 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」
〇マナから教えられること
労苦はその日その日に十分あると、イエス様が言われた通りですね。私たちは、日々の糧も神の賜物であるが、休みもまた神の賜物であることを覚える必要がある。
この箇所で見て、驚いた。人間の考えというのは、今も昔もあまり変わらないのだと。明日のためにたくさん今日は働いて取っておこうとしても、それは、腐り。七日目に糧を探しに行っても見つからない。人は、己が富むためにもっと働けもっと働けと自分を打ちたたく。しかし、神様がお定めになった賜物しか私を養い、私に益をもたらすものはないのです。労苦はその日その日に十分ある。明日のことは、明日が思い煩うのです。また、その日その日の労苦によって得た糧も、その日の生活に十分なのです。
それは、神様からの賜物だからです。人それぞれ多く集めたり少なく集めます。現代の社会でも、多く得る人少なく得る人もいます。隣の人を見ると自分よりも持っているかのように錯覚しますが、一人ひとり、十分食べたとあります。サイズが違っても、それぞれに満たされました。
マナにアクセスする方法とマナを自分の益とするためには、信頼と従順が必要であった。
休みに入るためには、信頼と従順が必要であった。
★”マナ” を子孫に伝えるという大切な使命。
32 モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見ることができるために。』」33 モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」34 主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。
モーセは、マナを保存して、子々孫々に神がマナを降らせ民を四十年養ったこととと、休みを与えたことを伝えるように言われました。
私たちにも、安息の精神を次世代に伝えるという使命がある。それは、今日、あなたが天からのマナを受け取ることにかかっています。また、七日目に休みに入ることにかかっています。両方とも神様からの贈り物、賜物です。賜物を受け取るには、神様が良いものを下さる良い方であると、信頼し、そして、その通りに従順にやってみることです。私たちのマナの生きざまを通して、証しをしていきましょう。
マナとは、「これは、いったい何だろう?」という意味です。その時その時には、これは、いったい何だろうと、疑問に思うこともあるかも知れませんし、また、周りの人から見て、これは何だろう? かもしれませんね。特に試練の中では、これは何だろう? と思うことが多いです。これは、何だろう葉、神様からの贈り物です。日々神様を信頼して、その日その日の何だろうを受け取っていきましょう。そして、休ませてもらいましょう。
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