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ぼくしのめがね

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自分自身との戦い

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月曜日にアートを中学生たちとし... 月曜日にアートを中学生たちとしました。
自分の心の中心に何があるかーというお題です。
2018年11月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今日は、先週話した三つの内の一つ、自分という戦場につて話したいと思います。今日は、みなさんが何かを見つけて自由になる日となることを祈ります。創世記にはたくさんの教えが込められています。もう一度読んでみましょう。今日は、最初の人が罪を犯した後から。

創世記3:9-13
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

この後、神様は、罪の結果である呪いについて話されます。

①自分の責任は何か
この箇所は有名な箇所です。そして、私たちはみな責任転嫁をすることを知っています。小さな子供だって、嘘をつくときに、「わたししてないよ。お兄ちゃんがした。」とか、言いますよね。大人になったら、私たちは、それをしないものだと思っていますが、実は結構しているんですよねー。

〇 投影Projection

  先週も少し話しましたが、私たちには感情、感覚があります。そして、それが心地の良いものでなければ、私たちは、自分の内側から外に出すことによって、自分の居心地の悪さを解決しようとします。我が家では、私が忙しくて、家事に手が回らないので、散らかった家を見て、すごくイライラします。自分が時間がないこと、散らかっていることが嫌なんです。すると、何が起こるかというと、エリックが悪いことになります。エリックが散らかすから、片づけないからという風に、イライラの対象を自分の外側に置くことによって、自分の内側が守られるようにするのです。
これは、自己防御システムです。
このようなことは、人は四六時中しているのです。
一つ、ポイントは、私たちは不快な気持ち、居心地の悪さをどう処理するのか? ということです。

〇決断、選択の法則

ここで、はじめに話した選択の法則が出てきます。私たちは、みな自分で何かに同意し、信念を持ち、そして自分で決めて行動しているのです。自分で選択しながら毎日生きているのです。良く、誰それさんが私にそうするように仕向けたとか、傷つけられたとか、言いますが。本当のところは、自分がその感情を持つことを自分で決めているのです、また人は誰も強いられて物事ができないのです。やる以上、自分で決めているのです。

〇自分の責任、感情を自分のものと認める時に成長する

では、あなたの本当の感情、責任とは何でしょうか。アダムとエバの場合を見てみましょう。
「神様が、食べてはならない実をたべたのか」と聞かれました。すると、アダムは、「はい、食べてしまいました。ごめんなさい」とは言わず、「あなたがくれたあの女が私に食べるようにさせた」と言ったのです。アダムは、恥がものすごく強いようですね。第一、エバがそうさせたといい、しかも、そのエバは神様が送ったというのです、最終的には神が悪い。と言って、自分の恥にさいなまれている居心地の悪さを神のせいだと言っているのです。神を責めることで、自分が責められないようにしているのです。人を裁くことによって自分が裁かれないようにしているのです。これは、面白い構図です。
マタイの福音書7:1〜2には、. 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ」“Do not judge, or you too will be judged. 2 For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you. とあります。裁きを自分からのぞくように、自分の力ですることが、どうも人間の罪の副産物のようです。
ここで何がおこっているでしょうか。自分の感情、居心地の悪さ、を自分のものとして認めないということです。また、裁きは必ず自分に帰ってくるという霊的な法則でする
実際、しようと思えば、アダムもエバも、神様の前に、自分の恥をさらけ出して、ごめんなさい。と、言えば言えたはずですよね。自分の内側を潔く認めること、その責任を自分にあると認めることが、勝利の第一ステップです。

②自分のパターンを知る

人は、それぞれ、恥に向き合うパターンを持つています。真逆に見えるケースでも、実は、同じ根っこなんです。根っこは、自分の恥を自分のものとして認めたくないということです。
例えば、いじめっこ、いじめられっ子がいるとします。いじめっこは、自分の内側の恥を自分のもととして認めたくない、しかし、その恥が自分の外に見たい、だから、いじめる。いじめる人の上に恥をかかせることで自己逃避する。また、いじめられる方も、いじめてくる人の上に恥を見て、自己逃避する。自分の人生の悪は全てその人の責任であり、自分の責任を完全に放棄する。共依存もそうですね。自分が人にコントロールされていると言った生きた方が、その人にとっては楽なのです。自分の人生を自分のものとして認め、責任を持たなくていいからです。
いろいろなパターンがあると思います。が、全ては、自分の問題を自分のものと認めないことにあります。

③自分をコントロールしているものを知る

解放と勝利の鍵は、縛られているものを知ることです。自分の責任転嫁をしている部分、また居心地の悪い感情とは何でしょうか。アダムとエバの責任転嫁が、神との和解を遠ざけ、呪いに縛られたように、私たちは、自分の責任を自分のものとして認識することを放棄する時に、違うものに支配されることに同意しているのです。
「私は、一度伝道したけど、友だちに拒絶されたから、もう二度としない。」ということがありますが、これは、ずっとあなたをを縛るものとなります。伝道ができなくなるのです。できるようになっても、できる能力があっても、できる神様からの助けがあっても、躊躇して、寄り付かなくなるのです。友達に拒絶されたという何とも言えない、感情、恥ずかしさ、自分が退けられた、嫌われるかもしれない恐れ、これをどうして処理したらいいか分からないので、伝道には二度とかかわらない。とするのです。
私たちのうちに、私たちの行動に限界を与えてるものはありませんか。人間関係に限界をもたらしている関係はありませんか。
誰と、難しいでしょうか。どんな人が難しいでしょうか。

④神を選ぶことを決断する

ロマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

私たちは、悔い改めによって心を一新することができます。悔い改めによって、私たちは、神様を選ぶことができます。悔い改めによって、神様との関係を取り戻すことができます。
それは、アダムとエバの信仰が及ばなかったところですが、今や、イエス・キリストによって明らかにされていることです。

ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。


There is no condemnation in Christ. Rom 8 キリストにあって、もう二度と罪に責められることはありません。
イエス様は、私たちの罪を赦すために来てくださいました。
今、心にかかっているひと、自分の行動、自分を守る行動、自分がいらいらしていることの原因と自分が思っていること、自分自身、またアダムのように、神様がそうしたんだという神様を責める気持ち、全てを神様に持って行って、自分のありのままの感情を神様に知っていただきましょう。
必ず、私たちの心が一新され、あなたは自由になります。







#戦い #礼拝

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