明日は冬至です。
かぼちゃを食べて、ゆず湯にはいり
これから迎える寒い日々に打ち勝てる体力を
蓄えておきましょう。
今は、スーパーでカットして売られているカボチャも
昔は丸のまま洗面器ほどの大きさで売っていて、
母が一生懸命に切っている後姿を覚えています。
甘辛の煮付けが一番美味しいですが
野菜嫌いの我家の男性陣にはバター煮、コロッケ、スープと
手を替え品を替え、せっせと食卓にのせています。
風邪菌を撃退して、来る年をおむかえください。
福井
今日は小田急線・京王線・JRを使っての移動をしました。首都圏を縦断するとその違いがくっきりするものです。それぞれに雰囲気の違う路線です。利用客も香りが違います。駅の作りも電車も違っていて、何か面白い感じがします。こうして街の作りも開発する企業によって雰囲気がかもし出されるものだと思いました。
そんな中、小田急線でのできごとです。車内で大きな声をあげる子どもを諭せずも堂々とするお母さんに嫌悪感を示す乗客も多かったのですが、ある駅から乗ってきた上品なご婦人が一人。空いていた席の両側の人に深々とお辞儀をしてから座りました。ここまで丁寧な仕草を見るのは久しくありませんでした。そして今度はまぶしい日差しにご婦人の隣に座る若い女性がご婦人のためにカーテンを下げてあげたのです。今度はそのご婦人が若い女性にお礼をしました。善意とお礼の交換は見ていてすがすがしい光景でした。
ラッコ横山
ある雑誌の「フード・マイレージ」なる言葉に目が止まりました。普通マイレージと言うと航空会社のサービスを連想しますが、フード・マイレージはそうではないようです。
イギリスの市民運動の一つに「フードマイルズ運動」というものがあって、食べ物がどこから運ばれてきたかを意識し、なるべく近くでとれたものを食べることで、食料の輸送に伴う環境負荷を最小に抑えようという考えだそうです。これを参考に各国比較ができるよに開発された指標が「フード・マイレージ」です。
食料の輸送量に輸送距離を掛け合わせて累積した数字、例えば5tの食料を20km運べば5×20=100t・kmになります。
2001年の日本の輸入食料マイレージは、約9千億t・kmで、アメリカ・韓国の3倍、イギリス・ドイツの5倍、フランスの9倍にもなる突出した数字になっています。ここにわが国の食料自給率の低さが露呈される結果となっています。私たちが一番の危機にさらされるのはやはり食料問題かも知れませんね。
地球に優しい食生活を心がけるためにも、なるべく近くでとれたものを食べる「地産地消」の取り組みが大切です。今まであまり気にして考えたこともありませんでしたが、地球もいよいよ私たち一人ひとりの心がけがないと本当に危険な局面に陥る恐れがあるようです。一家一畑、我が家の食卓における野菜類だけでも自給自足ができたらちょっとは貢献できるかも知れませんね。また環境負荷低減のためにも、旬のものを食べる(旬産旬消)、食べ残しをしない心がけも大切だとコメントされていました。
ラッコ横山
数年前からいろいろな記念日がたくさん誕生するようになり、もう毎日が何かの記念日のようになってきました。面白いものでは8月19日がバイクの日、10月9日がトラックの日などと、ゴロ合わせで作ることが多いようです。これは1991年に日本記念日協会が正式に発足し、一般の人でも手軽に制定できるようになったのがきっかけのようです。企業のPR活動のようなものも含めて、現在約1200種もの記念日が存在するそうです。
理科ではずい分と前から11月11日は『電池の日』として教えてきました。11月11日は漢字で書くと十一月十一日となり、これをプラス、マイナス、プラス、マイナスと読むと電池のプラスとマイナスを連想できるからです。これもただのゴロ合わせのようですが、もっとも早い時期に決められたものなので、そういった意味ではとても伝統のあるものなのです。
算数関係では3月14日がある記念日になっていますが、すぐにわかりますよね。それは、3.14・・・で始まる『円周率の日』なのです。
最近ではカレンダーにもこれらの記念日が書かれたものが多く売られるようになってきました。来年はそんなカレンダーを買ってきて、今日がどんな記念日になっているのかを調べながら毎日を送ってみようと思います。それだけで毎朝の楽しみが増えるような気がするからです。
カーネル笠井
今朝は厳しい冷え込みでした。
小学校低学年の頃です。
X'mas前の今頃、父方の祖母から大きなダンボールが届きました。
麻紐に縛られた中から祖母お手製の
どてらと掻い巻き布団が出てきました。
その時は何もわかりませんでしたが、
全て手縫いのそれらにどの位時間を費やしてくれたのでしょう。
有り難さを今頃になって感じます。
祖母の家はお手洗いは渡り廊下の奥、
お風呂場にいたっては母屋と別棟でしたから
怖がりの私には、泊まった夜は肝試しをしているようでした。
五十代で未亡人となり、九十三才で亡くなるまで
気丈に一人で家を守っていました。
そのしっかり者の血が僅かでも私にも流れて入る筈です。
寒い日の夜は思い出がよみがえります。
福井
昨日四年生との授業がありました。
読解で扱ったシリーズの文章は、阪神大震災に被災した
小学六年生が主人公でした。
私の目には黒煙をあげて燃え上がる神戸の町や
傾いた高速道路の映像がくっきり焼きついています。
「小さくて覚えてないかしら。テレビで見た?」
私の問いかけに
「まだ生まれてませんでした」
mさんはにっこり答えてくれました。
そう、1995年はもう12年前のことです。
平成生まれの生徒を教えるようになったのは
つい最近のように思いますが、平成元年生まれは
もう二十歳近くになるのですね。
1995年は3月に地下鉄サリン事件もおきました。
今なお苦しんでいらっしゃる方も多いとききます。
少しでも明るい兆しが訪れる事を
願わずにはいられません。
福井
【偽】
2007年を表す漢字に決まったそうです。確かにいろいろな事件や事故が起きました。その背景には人をだます行為が強く感じられて選定されたのでしょう。
しかし、この字が今年の漢字かと思うと、考えさせられるものがあります。反省の1年として来年は夢のある漢字が選ばれればと期待しましょう。
(ラッコ横山)
ある夜遅く、帰宅するとなにやらテーブルの上に一つの山ができていました。明かりをつけるとそれはたくさんの単語帳の山でした。娘が暗記のために購入してきたようです。相変わらず要領が悪いからか性格なのか、未だに書いて覚える習慣が抜けないようです。思い返せば、小学校の低学年のころから書いて覚える日々を過ごきていたようです。
昨今はゲーム機で勉強ができたり、コンパクトなデジタル式の辞書や学習ツールもたくさん市場に出回っています。しかし、自分の手で手間隙をかけて作った単語帳のようなものも愛着があるのか、それともパーソナルで自分にとって使いやすいのか、それぞれのようです。
ラッコ横山
最近、子供達と話していておどろいたことがあります。それは、私のこだわりから考えると、とても有り得ないことでした。
私「プリンのカラメルソースって美味しいよね。」
生徒A「私はあんまり食べないで残しちゃうよ。」
私「え〜、どうやって残すの。」
生徒A「かき出すの大変だもの。」
私「プリンをお皿にのせて食べていないの。」
生徒A「カップに入れたままスプーンで食べているよ。出すの面倒くさいもの。」
私「プッチンプリンってあるよね。そのプッチンというのはお皿に出すときにプッチンと折るからなんだよ。」
生徒B「へ〜知らなかった。僕もカップのまま食べていた。」
私の大好きなカラメルソースを残すのに驚いただけでなく、ほとんどの子供達は市販のカップに入ったプリンを容器に入れたまま食べていたのです。
子供の頃、初めてプリンを食べたとき、上にのっているカラメルソースのおいしさにびっくりしました。そのときからカラメルソースのとりこになってしまい、おこずかいをもらうとプリンの素を買ってきて自分で作って何個も食べていました。粉末のカラメルソースを水で念入りに溶いて作っていました。ひっくり返して上にのったカラメルソースが周りにこぼれないようにいろいろと食べ方も工夫したものです。
カラメルソースは砂糖水を煮詰めて作ります。砂糖に少量の水を加え加熱していきます。途中茶色になったときに火を止めて、重そうを加えてかき混ぜるとふくらんでカルメ焼きになります。昔はお祭りで売られていた定番のお菓子です。重そうを加えずに更に煮詰めてこげ茶色になるとカラメルのでき上がりです。これは、かちんかちんに固まってしまうので、細かく砕き粉のようにしたものを少量の水で溶くとカラメルソースになるわけです。ただの砂糖があんなにこうばしくて美味しくなるのが不思議です。
つい先日、カラメルソースの味のとりこになっているのは私だけでないことを知りました。それはグルメ(?)なフランス人でした。フランス料理では多くの料理の下ごしらえとして、玉ねぎを長い時間をかけていためてきつね色にし、これにワインだのスープだのを加えて使っています。この作業をすると、玉ねぎに含まれている糖分がカラメルに変化するのだそうです。ですから多くのフランス料理の下味にはカラメルソースが使われていることになるからです。
日本でもシチュウーやカレーやスパゲティーのソースを作るときに玉ねぎのカラメルソース作りをすることが多くなってきました。でも、日本人はオニオンスライスなどでそのままの玉ねぎを食べることも多くあります。きっと、日本の玉ねぎはそのままでも美味しいのかも知れませんね。
カーネル笠井
「時を紡ぐ」
大好きな言葉です。
「過ごす」というと
通り過ぎていく感じがしますが、
「紡ぐ」という言葉には
大きな人生という布を
時間をかけて織り込んでいく思いがあります。
その糸は時に哀しい色だったり、
優しい温かい色だったり
それぞれの時の色が模様を織りなしていきます。
たくさんの色使いは
その色を使う人の心に寄り添えることでもあります。
そんな風に日々を経て、歳を重ねていくことが
自分の糧となっていくとしたら
とても有り難く、嬉しい事です。
福井
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