『むじかの里』 が夢 晩年の宗麟
Jun
23
宗麟は、日向国(宮崎県延岡市辺り)にキリスト教国(キリシタンの理想国)、『むじかの里』 の建設を夢見た。
南蛮貿易を開花させ理想の国を追い求めた、キリシタン大名 大友宗麟。
『むじかの里』 戦争のない平和な国、理想の国を作ろうと決心するが・・・
その理想の地としての日向国に侵攻するが、1586年島津軍(薩摩)との戦いで大敗北。
豊後国内に攻め込まれるが、豊臣秀吉の軍勢による加担で島津軍を敗績させる。
1587年、秀吉による九州征伐後、秀吉より日向の地を与えられるが・・・
その年の1587年、豊後国津久見にて、むじかの里を夢見ながら病死、享年58歳。
宗麟の夢であった、むじかの里は遂にここで潰える。
【宮崎県延岡市に 「無鹿(むしか)」 と言う地名が残っています、「ムジカ」 ラテン語で音楽という意味。】
★ムジカは実現できなかったが、宗麟の残した功績は数知れず、強大なる戦国大名である反面、人間らしい一面も見せた。
【宗麟が没後、秀吉はキリシタンを弾圧した。】
画像は府内城(大分市)にある、宗麟公の像です。
Posted at 2011-06-23 02:27
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Posted at 2011-06-24 03:29
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Posted at 2011-06-23 02:27
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Posted at 2011-06-23 02:28
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