壇ノ浦古戦場 源義経・平知盛・安徳天皇 33
Feb
21
みもすそ川公園には、壇ノ浦古戦場址、源義経・平知盛像、安徳天皇御入水之処などがある。
関門海峡のこの辺りは壇ノ浦古戦場。
【壇ノ浦古戦場址】
壇ノ浦の戦いは、平安時代の末期1185年4月25日に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。
栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
【源義経・平知盛像】
源氏の海の総大将が源義経、平氏の総大将が平知盛(清盛の四男、母は平時子)です。
【安徳天皇御入水之処】
安徳天皇 父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)。
壇ノ浦の戦いで平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る。
最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)が安徳天皇を抱いて壇ノ浦の急流に身を投じた。
安徳天皇は、歴代最年少の満6歳4ヶ月、6年124日で崩御した。
母の建礼門院(平徳子)も入水するが、熊手に髪をかけられ引き上げられている。
この際、三種の神器のうち神璽と宝剣が海底へ沈んだ。
のちに神璽は引き上げられたが、宝剣はこの時失われたとする説がある。
下関市伊崎町には、壇ノ浦の戦いの翌日、漁師達が網にかかった安徳天皇の遺体を引き上げて、
一時的に安置したという御旅所がある。
Posted at 2013-02-21 23:29
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Posted at 2013-02-24 06:02
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