論語
May
27
論語は江戸時代には寺子屋でも教えていたくらい日本人の教養の基本であったが、進駐軍および戦後民主主義を振り回す日教組が封建制や家族主義の亡霊扱いしたために戦後教育では軽視され、くまごろうも古文または漢文で少しだけ触れた程度で、しっかりと教わった記憶がない。『子曰く、ただ女子と小人とは養いがたきとなす。これを近づくれば即ち不遜なり。これを遠ざくれば即ち怨むと。』は女性と子供の蔑視であると左派が批判したが、女子と小人の意味は女と子供ではなく、淑女と君子の対極であり、孔子は学問や教養のない人間は扱いにくい、と述べているに過ぎない。また『子曰く民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。』を、民には政治の内容を知らせてはならない、ただ信頼させておくべきだ、と左派は曲解したが、べし、べからずは原文では可、不可であり、民衆からはその政治に対する信頼を得ることは出来るが、政治の内容を理解させることは難しい、とこれまた当たり前のことを述べているだけである。
孔子の生きた時代の中国では、指導者が君子となって民は女子と小人のままで構わなかったが、論語が日本における一般教養の基礎となった江戸時代の日本では武士階級だけではなく、百姓や町人のような庶民が論語を学び、それぞれが完全な社会人となるために君子となることを求められた。そのおかげで他の国とは異なり、日本では明治維新において無規範にならずに秩序を保って近代化を達成することが出来たのだ。
孔子は聖人ではなく教育者である。混乱した社会での人間の救済とは政治的救済であってそのためには社会秩序の創出が何よりも重要であり、また秩序の中での個人の救済は教育的救済である、と説いている。だから現世で苦労すれば来世では報われる、前世のたたりで現世では苦労する、といった宗教的概念とは無関係である。孔子は『未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。』とも言っている。
社会的な秩序を旧約聖書のモーゼは絶対者との契約に求めたため、そこから出た宗教は契約宗教となり、社会は契約社会となって現代に至っている。他方孔子は社会的秩序を徳に求め、徳治主義社会を創ろうとした。その基本となるのが礼楽であり、礼楽とは本来礼節と文化の意味であるが、孔子は道徳、文化、教育、秩序、政策、制度を含めて礼楽と言っている。『礼楽は天地の情により、神明の徳に達す。』、『礼は民心を節し、楽は民声を和す。』、『仁は楽に近く、義は礼に近し。』、『楽は同を統べ、礼は異を分つ。(楽は人々を和同させ統一する性質を持ち、礼は人々のけじめと区別を明らかにする。)』などは、昔から日本の社会に根付いている社会道徳となっている。例えば会社の中では社規や社則があるものの、現実には楽で全社の一体感を持たせ、礼で上下関係のけじめをつけている。忘年会や社員旅行は楽に、敬語や先輩の上から目線などは礼に由来しているのだ。
孔子は仁とは何か、について、『己に克(か)ち、礼に復る(かえる)を仁と為す(己という私心に打ち勝ち、外に対し礼に従った行動をすることが仁である。)。非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。』と言い、仁は人と人の間を律する最高の規範の基礎となり、それによって社会の秩序が成り立つ、とした。孔子は恭倹・寛大・信用・敏捷・恩恵により仁に達すると言っている。『恭なれば即ち侮られず、寛なれば即ち衆を得、信なれば即ち人任じ、敏なれば即ち功あり、恵なれば即ち以って人を使うに足れり。』『己の欲せざる所は人に施すなかれ。』が仁に到達する心得なのだ。
孔子が評価する人物とは、潔癖だがつむじ曲がりではなく、筋を通すが角がなく、正直だがお人よしではない人間であり、反対に評価しない人物とは、自信過剰の上に正直さを欠き、田舎者のくせに素朴さがなく、真面目そうに見えてその場限りの人間であるが、この基準は現在の日本でも十分に通用するだろう。孔子自身も孔子の四絶と言われる、意地にならない、執念しない、頑なにならない、我を張らない、を心がけたという。また『過ちて改めざる、これを過ちと言う。』など、われわれも心すべきことであろう。現代社会でも通ずる知恵と言えば『子曰く、三人行けば必ずわが師あり。その善なる者をえらびてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改む。』もそのひとつである。
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