山中湖に映る富士山
標高3776メートルの富士山は日本最高峰であることに加え独立峰として美しい稜線を持ち、霊験あらたかな山として古来より日本人の信仰の対象であるとともに、海外でも日本の象徴として知られている。富士山はここ10万年の間に成長した若い火山であり、また西日本を乗せたユーラシアプレート、東日本を乗せた北アメリカプレート、それに伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートが重なり合った世界的に見ても珍しいところに屹立している。
地質学者によれば約2500万年前にフィリピン海プレートが東に移動するのに引きずられてユーラシア大陸の一部が分離して西日本と東日本が形成されたが、約100万年前、北上するフィリピン海プレートに乗った海底火山群が本州に衝突して現在富士山の北北西にある御坂山地、東北東にある丹沢山地、東にある箱根、南にある伊豆半島などが形成された。フィリピン海プレートは北上すると、三つのプレートがぶつかる地点付近では一部は北アメリカプレートの下に、また他の一部はユーラシアプレートの下に沈み込むため、フィリピン海プレートは股裂き状態となってプレートの下にあるマグマがプレートの裂け目から上昇し易い構造になっており、その結果として火山活動が活発になっている。約70万年前に今の富士山の位置付近にあった小御岳火山、東南にある愛鷹山、それに箱根山などが活発な噴火活動を行った。約10万年前、小御岳火山の中腹で古富士火山が噴火し始め、大量の岩滓、火山灰、溶岩などを噴出して標高3000メートルの山体を形づくり、小御岳火山は山頂部をわずかに残して古富士火山に覆われた。小御岳山の山頂部は現在でも富士山5合目付近北側に見ることが出来る。その頃愛鷹山は既に噴火活動を停止していたが、箱根山は大規模な火山活動の結果6万年前頃カルデラが形成され、なおも活発な火山活動を継続していたと考えられている。
古富士火山は断続的に噴火活動を続けていたが約1万年前から噴火が再び活発になり、大量の溶岩などを噴出してそれまでの古富士火山を完全に覆いつくしたので、この時期以降は新富士火山と呼ばれる。新富士火山は約3200年前から2200年前にかけて山頂からの噴火を繰り返したが、約2900年前には大規模な山体崩壊が発生し泥流は御殿場から足柄平野、三島を経て駿河湾に達したと考えられている。山体崩壊に伴う泥流や土石流、それに粘度の低い玄武岩の溶岩流が山体を覆ったので、現在の美しい裾野が形成された。新富士火山の山頂噴火は2200年前が最後で、現在でも富士山の山頂付近は当時の堆積物で構成されている。それ以後は山頂の東南方向と西北方向を結ぶ直線上での山腹での側噴火と呼ばれる噴火が繰り返されたが、これはフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込むことにより生じる亀裂がこのライン上に形成されているため、マグマの通り道がこのラインに沿って存在するためである。このような側噴火は40回を越え、奈良時代以降だけでも16回の噴火が記録されているが、これらの側噴火は富士山とその周辺に多大な影響を及ぼしてきた。
奈良時代以後の噴火で特筆すべきは平安時代864年から866年にかけての貞観噴火と、江戸時代1707年の宝永噴火である。800年から802年に起こった延暦噴火については『日本紀略』に東麓での噴火の記載があるものの、最近の地質学的調査により実際は北麓でのマグマ噴出量が8000万立方メートル程度の中規模噴火であったと検証されている。それに対し北西山麓の一合目から二合目付近にかけて発生した貞観噴火はマグマ噴出量が13億立方メートル程度の大規模噴火であったことが地質学的にも検証されていて、約2年に渡って大量の溶岩を噴出して山麓の森林を焼き尽くし、現在の青木ヶ原樹海や、更に裾野に流れた溶岩流が『せのうみ』と呼ばれた湖の大半を埋め尽くしてその一部を精進湖と西湖として残した。なお本栖湖も数千年前はせのうみとつながっていたが、北西部にある大室山の噴火に伴う溶岩流で分かれたと考えられている。因みに本栖湖、精進湖、西湖は溶岩層で互いにつながっているため、三つの湖の水位は同じである。
宝永噴火は1707年12月16日昼前に東南の五合目付近で発生したが、富士山の一番最近の噴火であり、2週間に及ぶ噴火の被害は甚大だった。この噴火に先立つ10月28日、東海地方にマグニチュード8.7の宝永地震が発生し、建物の崩壊や津波で大きな被害が発生した。その49日後、宝永噴火が起こり東側の山麓にある地域は噴石、火山礫、火山灰で家や田畑が埋まり、また酒匂川では火山灰の堆積により水位が上昇したため堤防が決壊して水没する村が続出した。約90キロ離れた江戸では噴火開始後3時間ほどで火山灰が降り始め、初めは白い灰が、後には黒い灰が5~10センチ積ったという。宝永噴火でのマグマ噴出量は貞観噴火の約半分である7億立方メートルと推定されており、この規模は西暦79年の古代ローマの都市ポンペイが完全に埋まったベスビオス火山噴火や、1980年のアメリカワシントン州のマウント・セントへレンズ噴火と同等である。火口から約10キロ東方にあった須走村では火山噴出物が3メートル近く堆積して村は消失したが、富士山麓はもちろん、江戸でも主に火山灰による被害が多く発生した。
当時と比べ人口が多く都市機能が近代化された首都圏では、もしも宝永噴火と同規模の噴火が起こればその被害は比較にならないほど甚大である。降り積もる火山灰の厚みが数ミリメートルでも自動車、鉄道、航空機などの運行に支障をきたす。また火山灰が雨に濡れると電線の絶縁性が低下してショートを起こし送電が困難になる。更に上下水道が閉塞したり、人畜に健康被害をもたらす。防災科学技術研究所は火山噴火の前兆を検知するために地震計、GPS,傾斜計、ひずみ計などを多数設置して富士山の動きを常時観察しているが、地下15キロ付近を震源とする低周波地震が頻繁に観測され、この付近でのマグマの移動を示している。宝永噴火から300年以上経過し、富士山が再び噴火する恐れがあるため、内閣府は関係地方自治体や国の防災関係機関による富士山火山防災協議会を設置して、被害想定、防災対策、ハザードマップ作成などを行って噴火被害を最少にするための活動を行っているが、火山灰のハザードマップによれば宝永噴火と同等の噴火では首都圏でも10センチ程度の降灰が予想されている。
世界遺産に指定されている富士山が、突然われわれに牙を向けることなく、その美しい姿をいつまでも保ち続けてほしいと願うのは日本人共通の願いであろう。
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Posted at 2018-03-16 17:30
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Posted at 2018-03-16 17:45
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Posted at 2018-03-19 04:01
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Posted at 2018-03-19 10:23
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