#忘れられない日(Vol. 150)
Jan
16
今日もご訪問いただきありがとうございます。
今日は1月17日。
阪神淡路大震災から27年ですね。
私にとっては「もう27年」
私は当時、兵庫県の明石の朝霧という場所で
住んでいました。
そこで被災。
大学1回生の冬のこと。
翌日、大学で後期の試験があるという日で、
震災前夜は私のアパートに同級生が集まり
フランス語の試験勉強をし、ご飯を食べ、
ボンソワール~!なんて言いながらお別れしました。
その数時間後に大きな揺れに襲われました。
ありとあらゆるものが部屋の端から端へと
飛び、落ち、壊れ・・・気づいたら
部屋は落ちて割れたお皿やコップ、家財道具が散乱。
揺れが収まったと思えば・・・停電と断水に。
あの揺れです、納得でした。
裸足のまま建物の外へ出てみると
珍しく雪がちらついていました。
そして、外に出てきていた同じアパートの人たちと
顔を見合わせるや否や
「生きててよかったー---」と
誰構わず抱き合って泣きました。
すぐそばの道は隆起して
マンホールがむき出しに
どこからともなく煙くさいにおいも漂ってくる
そんな中、雪
冬場に停電半壊一歩手前の建物の中でどう過ごしていくか
大きな混乱の中で考えている時間
みんな無言でした
「命の危機」
大げさかもしれませんが
生まれて初めて
そんな気持ちを抱いた日でした。
しばらくして
「生き延びなあかん!」と誰かが言い出し
原チャリで近くのローソンに走るチーム
生活用水を確保するチーム
みんなが暖をとれるような部屋を確保するチーム
に分かれ、散々な状況の中、駆けずり回りました。
2名でローソンに走った原チャリ組
戻ってきたら袋たったの2つ。
ローソンは、震災直後から1000円袋を用意していたようで
1人1袋1000円限定で手渡されたためです。
各自で持ち寄った食料とその2袋で9人で
しばらく生活しました。
携帯も通じず
テレビも見れない
お風呂はどうしたのか
歯磨きしてたのか
全く覚えていません。
余震が来る度におびえ
情報がないことで恐怖心が増していきました。
そんな中、
姫路から岡山へは新幹線が復旧!と知り、
実家・岡山へ戻ることを決意。
希望した友達数人も一緒に実家へ退避しました。
神戸の惨状と被害の大きさを知ったのは
そのあとのこと。
惨状を目の当たりにし声が出ませんでした
あの日、あの時、住んでいる場所が
少しずれていたら・・・
「今」はない。
その後大学は再開しましたが
予定していた留学の夢が
震災を機に途絶えてしまい
そのせいで何もやる気がでず
しばらく混乱から抜け出せませんでした
そんな中で目にした
「がんばろう神戸」のスローガン
オリックスの選手の募金活動の姿
人々の再起をかけて立ち上がる姿
地元のみんなの頑張る姿を目にし
「何とかしなあかん!」という言葉を
耳にしていく中で
私の中でも少しずつ変化が生まれてきました。
自分もやらな!
亡くなられた人の分まで
その人たちが生きたかった「今日」を
精一杯、大切に、悔いなく生きていかな!と。
震災から半年たったころでした。
震災での混乱と迷いの末に決めたこと。
それが今の私の原動力になってくれている気がします。
今日は1日、神戸を想い、亡くなった方々の
ご冥福をお祈りしていたいと思います。
今日はなんだか長文になりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさまの1日が有意義なものになりますように。
Posted at 2022-01-17 01:53
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Posted at 2022-01-19 06:38
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