美馬町に有る「倭大國魂神社」の祭神の倭大國魂は『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。 『宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭った。倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。 その後、大物主神を祭ることになる件が書かれている。 同年8月7日、臣下の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。』Wikipedia引用 崇神天皇 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/崇神天皇 倭大國魂を祭神とする式内社は此処しか無いそうです。また神社の下にも立派な八幡神社が有ります。倭大國魂神社は式内社で、格式が高いので八幡社に合祀できなかった様です。また、神社横には倭大國魂古墳が有ります。盗掘で穴しか有りませんが他にも数基存在していて3号墳では石室内も見る事ができました。倭大國魂古墳から東数キロに渡って吉野川両岸に古墳群が有ります。「段ノ塚古墳群」です。阿波考古学研究グループの「段ノ塚穴石室に関する若干の考察」から引用させてもらうと、 『段ノ塚穴型石室は,大和朝廷とはあまり関係のない一つの氏族集団の墓と捉えるべきであろう。しかもかなりの強大な勢力を誇り,そして徳島県最古の寺院郡里廃寺を現出させたのである。』 つまり最初の日本書紀の記述とも符号する様な話の様に思えます。勿論宮中が阿波に有るという仮の話ですが… またこの集団は白鳳時代に奈良の寺院に劣らないお寺をこの地域に建立しているとの事です。郡里廃寺跡(こおざとはいじあと)です。南北120m東西100mの塀に囲まれて、塔と金堂が法起寺式の伽藍配置であったことが判明してる様です。次回訪れてみたいと思います。 郡里廃寺跡 : http://www.jalan.net/kankou/spt_36462af2170019315/?afCd=&rootCd=&screenId=OUW2204 郡里廃寺跡2 : http://awakouko.info/uploads/webphoto/photos/a00182a4da2b5cbaae70.pdf