弘法大師は真言密教を中国唐の都長安にある青龍寺で慧果大僧正から正式な後継者として各種法典や教具と共に譲り受け日本に持ち帰ります。その中にあって両界曼荼羅(両部曼荼羅ともいう)は密教の体型を具体的に表す重要な宝具です。先日善通寺にお参りしましたが残念ながら目にする事は出来ませんでした。なぜ両界曼荼羅を見ようと思ったかという事ですが、去年秋 ブログル仲間の天使さんご夫婦と高野山に詣でる予定をしていましたが、直前に脚立から脚を踏み外して右腕を骨折した為に高野山に行く事が出来ませんでした。ずっと気にかかっていたのですが、ある時非常に単純な事に気がつきました。 高野山は金剛峯寺と称しますね。色んな解釈は有るでしょうが、両界曼荼羅は「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」(より正確には胎蔵曼荼羅と呼ぶ様です)に寄って真言密教の体系を示しているという事ですから、何処かに「金剛峯寺」に対する「胎蔵峯寺」が有るはずです。調べてみると四国八十八ケ所結願の大窪寺の奥の院が「胎蔵峯寺」である事が判りました。 先年怪我をして高野山に詣でられ無かったのは「先ず胎蔵峯寺に詣れ!」というお告げだったかもしれません。事実、四国八十八ケ所を無事回ったお礼参りとして最後に高野山詣でをする慣習です。 その前に両界曼荼羅の意味を知ろうとおもったのですが、幸いにもAmazonに両界曼荼羅の色紙が有ったので取り寄せてみました。(続く)