龍馬が休憩した?南予の茶堂のエピソード (四国村)
Feb
16
幕末、龍馬は高知から愛媛に向けて山間を抜けて脱藩しています。説明には「龍馬も休憩したかも知れない茶堂」としています。
この茶堂にはもう一つエピソードが有ります。
今茶堂には1体の石仏が祀られています。世界的彫刻家 流政之氏による作品です。この石仏の開眼供養を瀬戸内寂聴氏が行っています。この事について 寂聴さんの作品「場所」の最初「南山」の中で少し触れています。寂聴さんの父親の出身は香川県の引田、黒羽と言う所です。同郷に江戸時代、平賀源内と同じような発明家、学者の久米通賢が居ました。この旧宅が今、四国村に移築されて居ます。その事を四国村を造った加藤海運の加藤達雄社長に話したら驚いていたと言う話が載っています。また、仏像制作者の流政之氏とは寂聴さんが若き頃京都の出版社で一緒の職場で旧知の間柄でも有りました。後、寂聴さんが文化勲章を受けた時、地元徳島では記念碑を建てようと言う気運が盛り上がり、新町川 沿いに流政之氏に依頼して出来た寂聴記念碑が建って居ます。
初めて四国村ギャラリーに入館しましたが、入り口にこの開眼供養と併せて行われた落成式の記念写真が額装され展示されていました。
久米通賢 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/久米通賢
流政之 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/流政之
瀬戸内寂聴 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/瀬戸内寂聴
四国村 : http://www.shikokumura.or.jp/intro/intro_05.html
Posted at 2017-02-17 16:38
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Posted at 2017-02-18 00:31
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