鞆の浦 いろは丸展示館へ
Nov
12
いろは丸はこの荘内半島と六島の間で紀州藩の蒸気船「明光丸」と2度衝突して
走島の向こうに在る宇治島沖で沈没しました。慶応3年(1867)4月23日の出来事です。いろは丸には坂本龍馬と海援隊の隊士34名が操船していました。隊士達は全員明光丸に助けられて 翌日鞆の浦に上陸します。そして鞆の浦で補償の談判に入りました。鞆の浦には談判に使われた建物や龍馬が隠れた隠し部屋が残っています。
http://www.tomonoura.jp/tomo/irohamaru.html
2006年沈んでいる「いろは丸」を海底調査した資料を展示しているのが「いろは丸展示館」です。江戸期に建てられた蔵をそのまま利用しています。港の大灯篭の直ぐ横にあり、鞆の町では「大蔵」とも呼ばれています。館内では、船体調査の際に引き上げられた物品や、沈没状況のパノラマ、調査風景写真の展示や関連映像のビデオ上映を行っています。