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合氣道練心館の平成28(2016)年最大のニュースと言えば、9月21日(水)に、女優の新垣結衣さんとミュージシャンで俳優の星野源さんが来られたことです。
と言っても、残念ながら合氣道を習いに来てくれた訳ではなく、飽くまでもTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のロケで、メイクや衣装替え、休憩等をするための、控室として道場を使って頂いただけです。
ちなみにその日は、隣の町内会館を控室にして、宇梶剛士さん、富田靖子さん、石田ゆり子さんといったベテランの錚々たるメンバーも揃い踏みでした。
練心館の30数年の歴史の中で、これ程までに有名な方々が集結したのはもちろん初めてのことです。
ロケ当日のお昼休憩の時間、道場では、当時まだ発売前だった星野源さんの新曲『恋』の「イントロ/アウトロ部分だけ」といったような、「曲の一定の部分」だけが何度も何度も繰り返し流されていました。
これは今になって判ることですが、道場の鏡の前で、お二人で「恋ダンス」の練習をしていたのでしょう。
ドラマのエンディングで毎回流れた通称「恋ダンス」は、今や大ブームになっていますが、新垣結衣さんと星野源さん御本人たちが「恋ダンス」を踊った「武道の道場」というのは、世界で唯一、うちだけではないかとちょっと自慢です・・・。
そんなご縁があったので、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は、毎週欠かさず視ていました。
正直に申しまして、民放の連続ドラマを毎週欠かさず視ることは、自分でも何年振りか判りません・・・。
そしてドラマを初回から視ていく中で、今回はどうも、もっと深い意味での特別な「ご縁」があったのではないか(?)、と驚かされると同時に、そう確信せざるを得なくなりました。
それはちょっと不思議系、スピリチュアル系のお話になってしまいます・・・。
私の母は、3年前(平成25年8月)に亡くなったのですが、今回、星野源さんは、天国の母からのサプライズとして(?)、ある意味、目に見えない不思議な力に導かれて(?)練心館に来られたのではないか、と思われてならないのです。
母は、30年前に最初の「くも膜下出血」で倒れ、開頭手術を受けました。
しかし、その時は奇跡的に回復し、お陰様でその後20年以上、特に後遺症もなく元気に過ごしていました。
平成24(2012)年4月。
母は再び「くも膜下出血」で倒れ、その後、2度にわたる開頭手術の末、何とか一命は取り留めたものの、植物状態である「遷延性意識障害」となってしまいました。
実は、私には「氣」のエネルギーを使ったヒーリングができる、という特技があります。
詳しく言うと、野口整体の「愉気」と心身統一合氣道の「氣圧療法」を自分なりに融合させたものでした。
更に、母が倒れて後、これもまた運命的に神沢瑞至先生の「気療」に触れる機会に恵まれ、お陰様で自分でも技術が随分向上したと思っています。
昏睡状態になってしまった母にヒーリングを行うと、奇跡的にその時だけは両目をパッチリと開けて、しっかりと物を見てくれるという現象が起きました。
そのうち、毎週病院に行っては、ヒーリングをしながら母が好きだったドラマのDVDを見せてあげる、ということをやっていました。
最初に見せてあげたドラマのDVDがNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で、星野源さんが松下奈緒さん演じる主人公の弟役を好演していました。
そんな頃、星野源さんが31歳の若さで、母と同じ「くも膜下出血」で緊急搬送されたというニュースを聞き、大変ショックを受けたのです。
そして翌年、平成25(2013)年の6月。
母が亡くなる2カ月程前に、星野源さんがまた入院、そして再手術をするというニュースを聞き、その時は、自分の中で星野源さんと母の姿が完全に重なってしまい、本当に気の毒で胸が痛みました。
その頃、寺社仏閣へ参拝し、母の病気平癒を祈る時は、何となく一緒に、星野源さんの回復もよく祈ったものです。
(※実はその頃の自分は、星野源さんはてっきり重症で、後遺障害に苦しみ、もうミュージシャンや俳優として復帰するのは相当難しいのではないか?、と勝手に思っていました。)
そんなこともあって、昨年の大晦日、NHK紅白歌合戦に星野源さんが初出場し、元気な姿を見せてくれた時は、目頭が熱くなったのを覚えています。
それは、星野源さんがここまで元気に回復した、ということに感無量の思いだっただけではなく、ヒット曲「SUN」の歌詞が、自分には、病から回復しようと頑張る人々への応援歌であると同時に、回復せず亡くなった人々への鎮魂歌にも聞こえ、闘病中の母のことも色々と懐かしく思い出されたからだろうと思います。
話をドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のことに戻します。
初回放送を視て、先ずは「面白い偶然もあるんだなぁ・・・」と驚きました。
星野源さん演じる「津崎平匡」の住むマンションの住所が、私の実家の住所と、ほとんど一緒だったのです。
その後しばらくは、「津崎平匡」のマンションが画面に映るたびに、小道具として電柱に括り付けられた「住所表示の青いプレート」にいつも目が釘付けになっていました。
もちろん、ドラマに登場するのは、横浜市の実在する市、区、町をランダムに組み合わせて作ったであろう架空の住所です。
しかし、横浜市民で地元の人ならすぐに解かると思います。
ここで具体的に書くのは控えますが、ドラマに出てくる住所は、番地が若干違うだけで、何と、私の実家と誤差20m以内の場所でした。
第2話を視て、「これはもしかしたら、ただの偶然ではなく、目に見えない世界のご縁や導きがあるのでは?・・・」と気になり始めました。
この「津崎平匡」の住むマンションの最寄り駅という設定のロケ地が、3年前に、約1年もの間、母が人生最期の時を過ごさせて頂いた「療養型医療施設」の最寄り駅である、相鉄いずみ野線の「南万騎が原駅」でした・・・。
そして第3話を視て、「一連の不思議なシンクロはただの偶然ではなく、天国の母からのサプライズか、あるいは、それこそ薬師如来様から頂いたご縁に違いない」と確信するに至りました。
話の内容は、皆で山梨県の勝沼にドライブに出掛けるというものでした。
そして甲州市勝沼町にある古刹、大善寺(葡萄薬師)が、ドラマ上大切なシーンで登場した時は、さすがに仰天しました。
実は、平成24(2012)年に母が「くも膜下出血」で倒れて後、ずっと病気平癒の願掛けをしていたのが、この大善寺(葡萄薬師)だったのです。
翌年8月、母が亡くなった直後にもお参りさせて頂きましたし、それ以降もちょくちょく大善寺(葡萄薬師)には参拝しており、今年も8月に行って参りました。
大善寺(葡萄薬師)の御本尊である薬師三尊像(薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像)は秘仏で、5年に1度10月初めの2週間だけ御開帳されます。
平成25(2013)年10月、母の納骨を済ませてから1週間後、勝沼まで行き御本尊の薬師三尊像を直接、拝ませて頂くことができました。
その時は、「母が無事に三途の川を渡れますように」ということと、「せめて星野源さんが元気に回復できますように」とお願いしたのです・・・。
所で、このドラマのエンディングは、毎回、出演者の方々が揃って踊る、通称「恋ダンス」で、最後は必ず新垣結衣さんの「合掌」した姿で締め括られていました。
そんな不思議な「ご縁」を感じていた自分にとっては、その姿が「衆生を救うために浄土から降臨された菩薩様」に見えて仕方ありませんでした。
まさに「月光菩薩」ならぬ「ガッキー菩薩」とでも言うべき有難い御姿で、思わずこちらもそれに応えて、度々「合掌」してしまったものです。
そう考えると、星野源さんは「SUN」に懸けて「日光菩薩」ということになるのかも知れません・・・。
「恋ダンス」を振付されたMIKIKOさんは、この「合掌」を、恐らくはヨガのポーズや民族舞踊からインスパイアされて採り入れられたのだろう?と思われますが、「恋ダンス」がここまで人々に受け入れられたのも、「合掌」を多用した振付が、もしかしたら仏教的な祈りや救済を人々に連想させたからなのかも(?)知れません(我ながら『ぶっちゃけ寺』に出てくるお坊さんみたいですね・・・)。
そんな訳で、今年はドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のお陰で、忘れられない年となりました。
しかし来年こそは、本業の「合氣道」で「今年最大の良いニュース」が語れるような、そんな年にしたいものです。
今年も残り僅かとなって参りました。
それでは皆様、よいお年を。
合氣道に限らず、武術・武道や芸事の道を修行する上で、まず目指さなくてはならない境地とは何か。
それはちょっと妙な譬えになりますが・・・、「自身の中に埋もれていた、今までは自分でも気付いていなかった、いずれ自分が克服し、乗り越えなくてはならない『壁』の存在に気付く」ということではないかと思いました。
これは言い換えるならば、「過去の経験を通して、知らず知らずのうちに自らの心身に染み付いてしまった『癖』に気付く」とも言えるのでしょうが、稽古・修行が進み、実力が上がるに連れて、単なる「癖」が、立ちはだかる大きな「壁」になってくるようです。
ロシア武術「システマ」では上達の秘訣として、「汝自身を知れ」という教えを大切にしているそうですが、同じようなことではないか?・・・と思います。
そしてこの「自身の中に埋もれていた克服すべき『壁』」の代表的なものが、「力み癖」「姿勢の歪み」「殻に閉じ籠ろうとする心」の3つだと言えます。
練心館の大人クラスに入門して稽古を続ける中で、自らの心身にこういった「癖」が染み付いてしまっていたことを痛感させられた人も多いのではないかと思います。
そう考えると、また手前味噌な言い方になりますが、練心館での稽古が、「汝自身を知る」ための大切な気付きの場になっているのだと思います。
「力み癖」は、特に大人の男性に多いようです。
競争社会の中で、生真面目に「強くなければならない」「勝たねばならない」と肩肘張って生きて行かざるを得なかったせいでしょうか・・・。
そもそも、我々男性は女性に較べたら、本来、総じて繊細で傷付きやすく、弱虫であると言えます。そして弱虫であればある程、その反動で、「舐められたくない」「喧嘩が強いと思われたい」等とくだらないことを考え、無駄に粋がりたくなるものです。
その結果、更に悪循環に陥り、肩に力が入り、身体を強張らせ、無駄な力みを助長させてしまうこともあるようです。
また世間一般では、「武道」というものは、「激しくぶつかり合って争い、強い者が相手を捻じ伏せて倒し勝つものだ」という完全に誤った認識が浸透してしまっているのも、この傾向を助長しているのではないかと思います。
こういった人は、「武道」とは本来、「心を穏やかにして、リラックスと脱力を学ぶものなのである」と発想の転換をして、ひたすら力を抜いて動く練習を心掛けなくてはいけません。
「姿勢の歪み」は、ある意味、文明にどっぷり浸かった現代人の典型的な姿というべきで、若い頃からあまり運動をしていなかったり、体を鍛えていなかった人に多いと言えます。
具体的には、骨盤が後方に傾き、猫背になり、両肩が前に出て、首が前方に突き出ているような姿勢になっている場合がほとんどです。
子どもの頃から受験競争に晒され、勉強疲れを癒すための気分転換には、今度はゲーム機で遊び、大人になったらデスクワークで一日中パソコンと向かい合う、といった生活をしている人は、武道の上達以前に、自身の健康のためにも要注意です。
普段から、骨盤を起こし背筋を真っ直ぐに伸ばすことを心掛けなくてはいけないのはもちろんですが、正しい姿勢を保つための必要最低限の筋力を付けることと、深い呼吸を心掛けること、そして後は、股関節と肩甲骨の「動きの中での柔軟性」が上達の鍵となります。
稀に、初めから良い具合に力が抜けていて、武術・武道に必要な、微妙で繊細な身体操作を難なくこなしてしまう人もいます。
生まれつき感性・感覚の鋭い、ある意味、天才的なタイプの人だと言えるのでしょうが、こういったタイプの人に限って、今度は「心を自分の殻に閉じ籠らせがち」な傾向があると言えます。
このタイプの人は、稽古中も常に、自身の身体の状態をつぶさに観察しています。そして少しでも身体操作に乱れが生じると、誰よりも真っ先にその異変に気付くことができます。
それは決して悪い事ではなく、むしろ上達するためには本当に恵まれた、類稀なる才能を持っているといえますが、どうしても意識や感覚が自身の内部、内部へと籠りがちになる傾向は否めません。
「身体操作」というものを何よりも重視されている武術家の中には、研ぎ澄まされた感覚を以て、閉じられた自己の内的世界をいかに充実させるか、ということをテーマに日々ひたすら研鑽されている方も、結構いらっしゃるように見受けられます。
しかし、合氣道は、根本的な部分でそういったものとはちょっと違っています。
合氣道において一番大切なことは「氣を出す」ということであり、殻を破り、心を開き、明るく積極的な氣を出すことが何よりも肝要なのです。
このタイプの人は、もともと才能には恵まれているので、後は心の持ち方の問題です。
常に明るく積極的な愛の心を持って、心を開き、エネルギーを外に向け、氣を出すことさえ心掛ければ良いでしょう。
これらの「自身の中に埋もれていた克服しなければならない『壁』」を打破して、乗り越えることができた時、人間は真に「変わる」ことができるのだと思います。
つまりそれは、それまでの自分とは「価値観」や「世界観」そのものが大きく変化してしまう、ということであり、仏教で言うところの「回心(えしん/※俗世に塗れた心を改めて仏道に帰依すること)」や、キリスト教での「回心(かいしん/不信や迷信を悔い改めて真の信仰に生きること)」にも通じる、「生きながらにして生まれ変わる」ということだと言えます。
ところで、合氣道師範としても有名な哲学者・思想家の内田樹先生は、教育論を語る中でことある毎に、「学び」とは、自身の「価値観」そのものが揺らぎ、変容し、拡張することであると仰られています。
そういった意味では、真に物事を「学ぶ」ということも、すなわち「生きながらにして生まれ変わる」ことであると言えるのではないかと思います。
「学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味や意義が事後的に考量される、そのようなダイナミックなプロセスのことです。学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命なのです。」
(『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』内田樹 著 より)
やはり、武術・武道や、芸事などの修行の道は、「生きながらにして生まれ変わる」ための道だと言えるのではないでしょうか。
それは譬えるならば、パソコンやスマートフォンに、役に立ちそうなソフトウェアや、面白そうなアプリケーションをダウンロードする作業などでは決してなく、基本OS(Operating System)そのものを書き換える作業であると言えます。
「MS-DOS」で日々何不自由なく物事を感じ、考え、行動している者にとっては、様々な「ゲームソフト」や「ワープロソフト」、「表計算ソフト」等が何の役に立つか、その有用性は理解できると思います。
しかし、基本OSを「Windows」に書き換えることの意味や有用性にまでは、今一つピンと来ないことでしょう。
それでも、ひとたび基本OSが「Windows」に書き換わってしまったならば、それまでとは根本的に「価値観」や「世界観」が変容してしまっていることを知るはずです。
内田樹先生は、以前、ブログでこうも述べられていました。
「不思議なもので、確率的に言うと、はっきりしたモチベーションを持って入門した人と、『何となく』入門した人では、『何となく』の方が長続きするのである。」
(ブログ『内田樹の研究室』 「なんとなく」の効用 2010.4.4 より)
※参照 http://blog.tatsuru.com/2010/04/04_1155.php
これは、合氣道を「明確な有用性」を伴った面白そうなアプリだと捉え、それをダウンロードするつもりで入門してみたものの、実際は基本OSそのものを未知のものに書き換える作業なので面食らってしまった、ということと、何となく興味を惹かれて入門しコツコツ続けていく中で、自身の「価値観」や「世界観」が徐々に変わって行くことに新鮮な感動を覚え、どんどん夢中になって行く、ということの違いだろうと思われます。
私たち合氣道修行者は、常に進化し、進歩し続けるためにも「生きながらにして生まれ変わる」ことを止めてはいけないのだと思います。
それは、以前このブログにも書いた「※ありのままの自分には努力して『なる』もの」であることにも通じるのではないかと思います。
※参照 http://jp.bloguru.com/renshinkan/240642/2015-05-27
約二か月振りの投稿になってしまいました。
内容は、前回の続編です。
合氣道は「争い」の道ではなく、「愛」と「調和」、つまり「平和」への修行の道である、とは今更説明するまでもないかも知れません。
ところで、心身統一合氣道創始者であられる藤平光一先生の教えに「争わざるの理」というものがありました。
「相対的観念から脱却し絶対的境地に至り、絶対的天地の理を実行すれば、争うことなく、誰もが真の成功の道を歩むことができる」、というものでした。
これは、藤平先生の数々の教えの中でも代表的なものの一つだと言えますが、現実社会の中で、我々のような凡人が、この「争わざるの理」を以て具体的にどう生きるか、となると、一筋縄ではいかない問題です。
熾烈な競争社会は今後もまだ続くような気配です。
子どもたちは常に点数を付けられ数値化され、偏差値を上げることの競争に、そして大人たちは、より大きな金銭的成果を上げることの競争に、相も変わらず汲々としているように見受けられます。
かつて、国民的人気グループSMAPが歌う「世界で一つだけの花」という曲が大ヒットしました。もう、十年以上前のことだと思うと、妙に感慨深いものがあります・・・。
ナンバーワンではなくとも、誰もが皆、生まれながらにしてオンリーワンであるということに自信と誇りを持つべきで、それ故、あらゆる存在は皆、生得的に尊いのだ、といった歌詞の内容で、「相対的観念から脱却し、絶対的境地に至る」という合氣道の教えにぴったり合致するものでした。
しかしこの歌の中でも、人間はなかなか「花」のように割り切って生きることができず、すぐに「較べたがり」「競いたがる」ものだと嘆かれています。
どうして人間は「花」のように、「較べず」「競わず」、「絶対的境地」で生きることが難しいのか?
その根源的な理由として、自分なりに思い至ったのが、急に仏教的な話に飛躍した感はありますが、「花」に代表される植物と違って、人間を含む動物は、より多くの「業(ごう)」を背負わされ、運命付けられている存在だからではないか・・・?、ということでした。
つまり、植物は基本的に他の命を犠牲にしなくても生きられる存在であるのに対して、人間を含む動物は、争って他の命を奪い犠牲にしなければ、自らの命そのものを保つことができない、罪深く「業」の深い存在である、ということです。
そこで大脳の発達した人間だけが、「それならば争いに勝ち、より多く奪い、犠牲にし、所有することができたならば、自らの生存性もより高まるであろう」、と考えるようになったのではないか・・・?、と思われます。
大体、人間の、勝ち負けや順位に拘る「相対的観念」の始まりは、そんな所にあるのではないか・・・?、と考えます。
宮沢賢治は、この「他の命を奪い、犠牲にしなければ生きられない」という「業」を真正面から捉え、しばしば作品の重要なモチーフとして描いています。
「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。」
(『よだかの星』より)
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。」
(『銀河鉄道の夜』より)
藤平光一先生は仰います。
「絶対的天地に争いはなく、相対的世界にのみ争いは生ず。」
我々が日々生きているこの世界が、争いの絶えない「相対的世界」だとするならば、争いのない「絶対的天地」とは一体どこに存在するのか?。
多くの人が疑問に思うところです。
真実は、この宇宙には本来「絶対的天地」のみが存在し、「相対的世界」とは、人間の観念が勝手に作り出したもの、ということだと思います。
そして言い換えるならば、その人が争いのない「絶対的天地」に生きるか、争いの絶えない「相対的世界」を生きるかは、その人の心の持ち方次第ではないか?、ということです。
「相対的観念」に囚われている人は、アフリカのサバンナの草原でライオンがシマウマを襲って食べたり、チーターがガゼルを襲って食べたりする様子を見て、自然界の摂理は「弱肉強食」であり、強い者だけが生き残る権利を有するのだ、と言います。
しかし、これでは全く「木を見て森を見ず」で、本当の天地宇宙の摂理・真理を、見落としているといえます。
昔、理科の教科書に食物連鎖の三角形のピラミッド構造がよく載っていましたが、自然界は、圧倒的多数の植物を生かし、それを捕食するやや少数の草食動物を生かし、そしてそれら草食動物を捕食する更に少数の肉食動物を生かしています。
そして肉食動物が常に、生きるために最小限の、一定数の草食動物を捕食してくれるおかげで、草食動物が増え過ぎて、草原の草を全て食べ尽してしまうことを防止してくれています。
サバンナの美しい緑の草原を維持するためには、肉食動物の活動も欠かせない訳です。
よってライオンがシマウマを襲って食べている姿は「弱肉強食」を表しているのではなく、むしろ(ちょっと残酷に見えますが)大自然の美しい「調和」の姿を表しているのだと捉える・・・。
これが「絶対的境地」でものを見る、ということではないかと思います。
そもそも、食物連鎖の頂点に君臨しているからといって、ライオンを「百獣の王」などと称するのも、「相対的観念」に囚われた人間の勝手な思い込みではないでしょうか?。
天地宇宙から見れば、「植物よりも草食動物の方が偉くて、更にそれよりも肉食動物の方がより偉い」などといった考え方は、見当違いも甚だしい戯言だといえます。
それぞれの生き物に、それぞれ代え難い、大切な役割が天から与えられており、それぞれがその役目を全うすることで、天地宇宙と大自然の「調和」はより美しく達成されるのです。
合氣道開祖、植芝盛平先生は、「処(ところ)を得さしむ」という言葉を使ってこれを表現されていました。
「森羅万象すべてに、虫けらまでにもその処を得さしめ、そして各々の道を守り、生成化育の大道を明らかにするのが合気道の道であります。」
(『武産合氣』P38~39)
「草木、虫、魚、獣類の各々にその処を得さしめて、楽土を建設してゆくのです。」
(『武産合氣』P73)
「山川草木、禽獣魚虫類にまで、その処を得さしめ、共に楽しむのが合気道であります。」
(『武産合氣』P80)
「争わざるの理」を以て、人間はいかに生きるのか?
恐らく、外面的にはそれ程変わるところはないのではないかと思います。
受験生は合格目指して毎日必死で勉強し、就活生は内定目指して日々全力で活動し、ビジネスパーソンは少しでも業績を上げるために、毎日身を粉にして働く。
それ意外にないでしょう。
しかし、内面的、精神的には、随分変わるのではないかと思います。
目標に向って全力で努力することは何よりも尊いことですが、天地宇宙の摂理・真理である「絶対的境地」から見れば、その結果には本来、「勝ち」も「負け」も存在しません。
「勝つ」とは「負ける」に対するただの「概念」であり、これらは単に、常に両者が一対となっていなくては成り立たないただの「概念」です。
本来、天地宇宙には「勝ち」も「負け」も存在しないのですが、何者かを「勝ち」に指定すれば自動的に他の何者かが「負け」のレッテルを貼られてしまうのは必定です。
その逆も然りで、何者かを「負け」とすれば自動的に他の何者かが「勝ち」のレッテルを貼られるだけのことです。
また、この「勝ち」「負け」というのも甚だ頼りないもので、短期的に見れば「負け」に見えていたものが、長期的に見たら大きなプラスの財産となったり、逆に、短期的には「勝ち」に見えていたものが、長期的には取り返しのつかないマイナス要因となってしまったりと、人生ではよくあることです。
「争わざるの理」を以て生きるとは、詰まる所、各人の心の持ち方の問題であり、せめてより具体的に言うならば、
*「己が信じる『天から己に与えられた使命』を全力で全うし、世界、延いては天地宇宙の平和と生成発展に少しでも寄与する。」
*「他人といちいち較べない。」
という以外にないのではないかと思います。
これが真に達成できた時、「相対的観念」を超越した魂の絶対的勝利を得ることができる。
つまり、合氣道開祖、植芝盛平先生が仰った「正勝吾勝勝速日(まさかつあがつかちはやび)の道」とはこのことだと思われます。
また、スピリチュアリストの江原啓之さんは以前、「素材と料理」という言葉を使って、このことをもっと解かり易く説明されていました。
「鶏肉」「豚肉」「米」「トウモロコシ」「トマト」「ジャガイモ」「リンゴ」「バナナ」。これらは皆「素材」です。
人間も皆、生まれながらにして様々な「素材(個性)」を持って生まれてきており、これは変えることのできない「宿命」なのだそうです。
しかし、「運命」は自らの努力で切り拓き、変えていくことができる。
それが、自らの「素材」をどう美味しく「料理」するか?ということなのだそうです。
確かに、安価で素朴な素材でも、料理の仕方によってはそれを極上の逸品に変えることも可能です。
それに、世界中には様々な「食材」と「料理」がありますが、それらの「素材」と「料理」には、人間の勝手な都合で付いてしまった、単なる価格の「高い」「安い」があるだけで、本来、そこには「勝ち」も「負け」も存在しません。
同じ様に、サバンナの草原でも、ライオンはライオンの「宿命」を背負って生きる以外なく、シマウマはシマウマの「宿命」を背負って生きる以外ありません。
ライオンを「幸福な勝ち組」、シマウマを「不幸な負け組」だと勝手に決め付けて、それこそ「弱者を救ってやるのだ」という「善意(偽善?)」から、シマウマに、自分より小さな動物を襲って殺させ、その生肉を食べるように強制したとしても、シマウマは喜ぶ筈もありません。
繰り返しますが、ライオンを「百獣の王」などと呼ぶのは、そもそもが「相対的観念」に囚われた人間の勝手な思い込みです。
それぞれの動植物が、それぞれの天から与えられた大切な役割を全うしているだけで、そこには「勝ち」「負け」などなく、大自然、延いては天地宇宙の美しい「調和」があるだけなのです。
ところで、話はまた少々飛躍しますが、自分は、旧約聖書「創世記」第3章の、人間の「堕罪」と「楽園喪失」の物語を、人間が「相対的観念」に囚われ「絶対的境地」を見失う、つまりは、「絶対的天地」を離れ「相対的世界」へと埋没する切っ掛けの物語ではないか?と、勝手に読んでいます。
「エデン」とはヘブル語で「喜び」の意味だそうで、もともと人間の祖先であるアダムとエバは神に祝福された楽園「エデンの園」で喜びに満ちた生活をしていました。
ところが、蛇に誘惑され、神の禁令を破り、善悪の知識の木の果実を食べてしまいました。
「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」(5節)と旧約聖書にはありますが、飽くまでもこれは、「神を真似たように善悪を知る」ということであり、「神と全く同じように善悪を知る」ということでは決してないと思います。
もしも天地宇宙の絶対的真実・真理としての「善悪」があるとすれば、それは到底人間には判断できず、神のみぞ知るものでしょう。
しかし、禁断の果実を食べてしまった人間は、人間の勝手な都合で「善悪」「勝ち負け」と何事も「分断」せずにはいられなくなり、それに拘らずにはものを見れなくなってしまった、ということではないかと思います。
つまりそれは、「相対的観念」の囚われ人となってしまった、ということを意味するのだと思います。
その結果、二人は「エデンの園」を追放され、
*産みの苦しみ(生まれて来る希望は同時に原罪を背負う苦しみでもあり、そして必ず痛みを伴う。)
*女は夫を慕い夫に隷属する苦しみ(延いては、力の強い者が勝ち、弱い者を支配するという、「力の論理」を意味するのか?)
*飢えの苦しみ(足るを知ることの難しさ。仏教における六道の思想に譬えれば、「餓鬼道」に近いものか?)
*労働の苦しみ(もともとエデンの園では、それはむしろ喜びであった筈ではないのか?)
*死の苦しみ(悲惨な死によってしかこれらの苦しみから逃れられない。)
といった神の罰を与えられました。
しかし、これらの罰が人間にとって「苦しみ」となってしまうのは、いうなれば皆「相対的観念」に囚われてしまった結果ではないか(?)とも考えます。
もしかしたら、本当は神は人間に罰など与えてはおらず、神の禁令を破り、勝手に「相対的観念」の囚われ人となった人間が、自分勝手に様々な「苦しみ」を生み出しているだけなのかも知れません。
そう考えると、神は人間を「エデンの園」から追放などしておらず、この天地宇宙は今も昔も変わらず「楽園」であるのに、「相対的観念」に囚われてしまった人間が、勝手に、苦しみと争いに満ちた「相対的世界」を作り上げてしまっているだけなのだ、といえるのかも知れません(飽くまでも自分の勝手な解釈ですが・・・)。
もしも人間が、真に「相対的観念」から脱却し、完全に「絶対的境地」で生きることができたとしたら・・・、この世は争いのない「絶対的天地」となり、そこはまさに「エデンの園」のような、苦しみすらない「楽園」になるのではないだろうか?・・・。
色々と空想は止みません。
今から30年以上前の話です。
当時、実心館道場の子どもクラスで村山實先生から、合氣道にはどうして試合が無いのか、二つの理由を教わりました。
その時は、小学生でも解かる易しい言葉でお話されていましたが、内容はざっと以下のようなものでした。
一つは、命を懸けた真剣勝負にはルールも審判も制限時間もないということでした。
スポーツ化してしまい、限定されたルールの中でいかに相手に勝つか、という練習ばかりすることが、逆に、想定外の事態に直面した時に臨機応変な対応を妨げてしまうこともあり得るのだ、と。
本来、想定外の事態に対して冷静に臨機応変に対処することができるか、ということが武術としての「護身」の神髄であり、それ故、合氣道には実戦のシミュレーションとしてのゲーム(試合)は存在しない、ということでした。
もう一つは、試合に勝つことばかりを追い求めるようになると、武道修行の根本の部分が見失われがちになる、ということでした。
人間は勝ち負けに執着するようになると、勝った者はついつい天狗になり、己を過信し、敗者を侮り、見下すようになりがちであり、一方で、負けた者は卑屈になったり、勝者を素直に祝福してやるどころか、却って妬むようになったりしがちである、と。
己を過信し、他人を侮り見下したり、他人の成功を妬んだり、本来、武道とはそういった人間の浅ましい心、醜い心を戒めるためのものである。
武道の修行を通して、己を過信し人を侮ったり妬んだりすることを学習してしまうようでは本末転倒である。
それ故、合氣道に試合はないのだ、と。
前者が極めて「武術」的な理由だとするならば、後者はまさに「武道」としての理由だと言えるでしょう。
長じて後に、本来、伝統的な武術・武道はひたすら形稽古を通して技と心を磨いていくものであり、試合の導入、及びその普及は、明治維新の西洋を手本とした近代国家化と、戦後のGHQによる武道禁止令解除のための働きかけの結果、やむなくその内容を変質(スポーツ化)せざるを得なかった事情から来ているのだと知りました。
そして更に、そもそも伝統的な日本剣術の形稽古における「打ち太刀(受け)」と「仕太刀(取り)」では、師範や上位者がより積極的に「打ち太刀」を務めることで、後進の者を育てていくものなのだと知りました。
つまり、実力者(強者)が未熟な者(弱者)に繰り返し何度も負けてあげることで、人間を育てていくというシステムです。
古流剣術の世界では、これを「打ち太刀の心」といい、この「打ち太刀の心」こそが日本武道の神髄であると仰る先生も居られます。
以前このブログで紹介した、鹿島神傳直心影流のマイケル・ハドソン先生の名言、「日本武道の神髄は思いやりの心である」にも深く通じるものがあると思います。
さて、ここまでの話は実は前置きで、これから改めて、本題である、「今の時代に合氣道を修行することの意味」について書きたいと思います。
最近、少し嬉しかったことがありました。
「大人クラス」の稽古後に数人でのんびりと談笑している中で、幼稚園の頃から十年コツコツと通い続けていて、今年から高校生になった男の子が、普段感じていることや思っていることを何気なく話してくれたのですが、いつの間にやら、こちらが考えている以上に人間としても立派に成長していたんだなぁ・・・と気付かされ、大変喜ばしく、何やら少し誇らしいような思いがしました。
その場に居合わせた別の生徒さん(四十代後半のサラリーマンの男性)も、「いつもマイペースな感じの〇〇君だけど、あんなにしっかりとした考えを持っていたんですね」と、頻りに感心されているようでした。
結局は手前味噌な話になって恐縮ですが、彼は、練心館の「子どもクラス」で最も大切にしている「教育方針」を、きちんと自身の人間形成に活かしてくれていたのだと思っています。
その「教育方針」とは、ズバリ「真の自信を持つ」「真の自信を持たせる」というものです。
しかし今の時代、本当の意味での「自信」を子どもたちに持ってもらうことが、いかに困難なことか、日々痛感しています。
これは飽くまでも私が個人的に思っていることですが、「子どもに自信を付けさせる」の名の下に、様々な塾や習い事、教育機関があれこれと手の込んだ教育プログラムを提唱していますが、その多くが、本当の「自信」ではなく、何かしらの安易な「優越感」を味わせることで子どものモチベーションを維持させる、といった方法論をとっているように見受けられるのです。
そして今や、子どもたちを取り巻く環境も、あらゆるものが高度にシステム化されて、子どもたち自身もいつの間にやらその中に組み込まれ、序列化され、数値化され、常に「競争原理」に煽られながら、心に余裕のないまま「目標達成」を強いられている、といった傾向が強まっているように感じられます。
更に多くの大人たちが、子どもに「他人に勝つ」経験をさせ、「他人より良い点を取る」経験をさせることで、子どもに自己肯定感を味わせ「自信」を付けさせてやるのだ、と仰いますが、他人を打ち負かし勝利することで得られるある種の「快感」は、本当の「自信」ではなく、ただの「優越感」と言うべきです。
私自身、過去の学校教育現場での経験も踏まえて学ばせてもらった人間の真実の一つとして、「他人と較べての『優越感』を『自信』だと履き違えて育ってしまった子は却って弱い」ということがありました。
他人と較べての「優越感」を「自信」だと勘違いしている人間は、必ず壁にぶつかります。理由は簡単です。
広い世界には自分よりも優秀な人間など、あらゆる分野で、掃いて捨てる程存在するからです。
そんな優れた人間を目の当たりにする度に、さもしい「優越感」は卑屈な「劣等感」に瞬時に早変わりする訳です。
近頃、由々しき社会問題となっているヘイトスピーチなども、むしろ日本の文化や伝統の美しさや奥深さを知らずに、日本人としての揺るぎない「自信」が持てず、一方で、日々やり場のない「劣等感」に苛まれているような人たちが、「日本はアジアの先進国の筆頭である!」という安直な「優越感」を心の拠り所とすることで、その結果、「劣等感」と「優越感」という対極の間を絶え間なく行き来する無限のメビウスの輪の中に陥り、苦しんでいる姿なのかも知れません。
私は、「競争原理」というものは本質的に人間教育にはそぐわないものであると認識しています。
もちろん、短期的に見て、人間集団が、限定された時間内に最大の効果を発揮して最高の成果を出すためには、全員を熾烈に競わせて、勝った者にだけ称賛と褒美を与え、負けた者には恥辱と罰を与えるといった方法も非常に有効である、ということには異存はありません。
しかし、「競争原理」によって鼓舞されるモチベーションとは、詰まる所、人間の「我」と「欲」に準拠しているという点が問題であり、人間教育という分野には本質的に馴染まないものであると思うのです。
練心館の子どもクラスでは、上達した者に対しては、「更に自分が上達することも大事だけれど、他の子を上達させてあげることに全力を注ぎなさい」と教えられます。
まれに、「もっと自分が上達するための練習がしたいのに、運悪く、物覚えの悪い子に教えなきゃいけない羽目になってしまった・・・」と不本意さを丸出しにする子もいますが、そういった時はいつも「自分が上達することよりも、他人を上達させてあげられる人間の方が遥かに立派で偉いことなんだよ!」とお説教が始まります。
これは自分としては、「人の上に立つ者(リーダー)の正しい振舞い方」を教育する、という信念のもとに行っています。
教育現場における競争原理の最大の弊害は、努力も勝利も効果も成果も、最終的には本人の自己利益に帰結する、という点でしょう。
そのようにして自己利益のために熾烈な競争を勝ち抜いた人間が、結果としてエリートとなり、国を動かす官僚となり、政治家となり、財界人となった時、果たして国民は幸福になれるのかどうか・・・?、そんなことは火を見るより明らかであるといえます。
「自信」とは、読んで字の如く「自分を信じる」と書きます。
自分で自分を信じられるようになるためには、先ずは他人と競争して、他人を打ち負かし、他人に対して自己を勝ち誇る、といったプロセスを経過しなければいけないのでしょうか?
私は、そういった人間を「精神上の他人の奴隷」というのだと思います。
自分で自分を信じるために、何故に「他人様の認証」が必要なのでしょうか?
世間ではよく「根拠のない自信」が云々~などという言い方がされることがありますが、この「根拠のない自信」という言葉は、個人的になかなか味わい深いものがあると思っています。
本来、「自信」とは、須く「根拠のないもの」であって、それでも根拠を求めてしつこく食い下がり、「何故自分を信じることが出来るのか?」と訊かれれば、それは強いて言えば、「神仏や天がきっと自分を見守っていて下さるから」といった、極めて宗教的な情操に根差したものであると思うのです。
合氣道に、勝負、優劣を競う試合はありません。
かつて藤平光一先生は、合氣道修行の目的の一つとして、「相対的観念から脱却し、絶対的境地に至る」ことであると仰っていました。
この言葉は、言い換えるならば、「『優越感』と『劣等感』の迷執から脱却し、『自信』の境地に至る」ことであると言えると思います。
現代において、古武道の様式を守り、試合を行わない合氣道を修行することの意味とは何か。
もちろん一言で簡単に片付けられる問題ではありませんが、その一つとして、「優越感」でも「劣等感」でもない、本当の「自信」を身に付けること、というのが言えるのではないかと思います。
そんな訳で最後にまた繰り返します。
自分で自分を信じるために、他人と較べる必要はありません。
稽古を重ねて自己の内に構築すべき「本質的感覚」、いわゆる「心身統一」や「丹田」や「氣」の感覚といったものは、自身の計画通りに、稽古をすればした分だけ養われていく、といったような甘いものでは決してありません。
間違ったやり方(我々の世界では、「力む」「争う」「ぶつかる」というのが三大悪業だと言えます)で百回稽古をすれば、百回分間違った悪い癖がつくだけだというのが現実です。
私たちは細心の注意を払い、緻密に身体を操作しながら(しかしこれに偏り過ぎると肝心な「氣を出す」ということが疎かになります)、同時に、伸び伸びと心を開放して元氣よく稽古しなければなりません。
その中で徐々に、この「本質的感覚」は養われていきます。
この「本質的感覚」こそが所謂「実力」と呼ぶべきもので、今までの自分の経験と照らし合わせてみても、「実力」とは、決して自らの行為で造り上げていけるようなものではなく、人事を尽くした者に対して天が与えてくれるもの、といった方がより正確なものに感じます。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうか。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は、南宋初期の儒学者、胡寅(こいん)の『読史管見(とくしかんけん)』から来たそうですが、元々は「天命を待つ」ではなく「天命に聴(まか)す」だったそうです。
意味としてはさほど変わらないので、より一般的に使われる「天命を待つ」で統一しますが、この「人事を尽くして天命を待つ」という言葉、個人的にも好きな言葉の一つで、仕事をする上でも学問を究める上でも、もちろん諸芸を身に付ける上でも、人生全般に通じる真理ではないかと思います。
それと関連していつも思い出すのが、今から30年近く前、やはり代々木ゼミナールの帆糸満先生が講義で繰り返し仰っていたことです。
英語の主語には六種類がある。
1、行為者(Agentive) 2、受動者(Recipient) 3、道具(Instrumental)
4、時間(Temporal) 5、場所(Locative) 6、出来事(Eventive)
動詞「know」には大きく二つの意味がある。
①意志の有無に関わらず物事が理解記憶されること。
②行為を示すもので、judge,distinguish,と同じ働きをする。
「know」が①のような知覚の動詞として使われる時、主語は行為者(Agentive)ではなく受動者(Recipient)である。
よってその受動態では、行為者(Agentive)を表す「by」ではなく、受動者(Recipient)を示す前置詞「to」が使われる。
(例)Everybody knows it. / It is known ( to ) everybody.
そして帆糸満先生は仰いました。
「人間にとって『know(知る)』とは、行為ではない。むしろ、神が与えることである。」
合氣道の形を繰り返し「行って」稽古することは「行為」かも知れません。
しかし、合氣道を(その本質を)「知る」ことは決して「行為」ではありません。
それはやはり天から与えられることであり、言い換えるならば、後天的なものとは言え、それはまさに「天賦」のものと言えるのではないでしょうか。
そして合氣道のみならず、諸芸全般はもちろん、仕事や勉強の場面でも、「『知る』とは天から与えられることである」ということは、人生万般に通じる真理ではないかと思います。
以前、思想家・哲学者で合氣道家の内田樹先生が、「天賦の才能」ということについてブログで素晴らしい文章を書かれていました。
自分は深く胸を打たれたものなので、以下、一部を引用させて頂きます。
天賦の才能というものがある。
(中略)
「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。
外部からの贈り物である。
私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。
才能は「贈り物」である。
外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。
それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。
どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。
私はそのように考えている。
才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。
私がこれまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。
「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。
そこまで内面化した才能はもう揺るがない。
でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。
才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から「疎遠」なものとなってゆく。
他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。
(ブログ『内田樹の研究室』、「才能の枯渇について」 2010.12.26 より)
※参照 http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php
最近改めて思うことがあります。
それは、私たち凡人が持っているようなほんのささやかな能力・才能であっても、それらも全て、天が与えてくれた「天賦」のものだと考えるべきではないか?・・・、ということです。
そして「天才」とは、本当は、凡人と比較して何かしらずば抜けた才能を持った者を指す言葉ではなく、自身のささやかな才能でさえも、それは天が無償で与えて下さったかけがえのないものであると信じ、そのささやかな才能をも、自己利益のためではなく、いかにして世のため人のために活かすか、常に模索しながら人生を生きる者を指す言葉ではないか、と思うのです。
そう考えると、考え方次第で、誰もが「天才」として目覚めることができ、誰もが「天才」として生きることも出来るのではないかと思うのです。
「天才」も心ひとつの置きどころ。
少なくとも自分はそう考えて、「天才」として生きて行けたら素晴らしいな・・・と思っています。
約一カ月振りの投稿です。
先ずは、熊本の大地震で亡くなられた方の御冥福をお祈りすると共に、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、先月3月28日(月)に都内某私立高等学校にて、久し振りに出張体験講習会を行なって参りました。
当初、お問い合わせ下さった先生のお話では、C君というベルギーから来た留学生が、高校では剣道部と弓道部に在籍しながら、趣味で尺八も習っているという程の日本文化フリークだそうで、そんなC君に、是非とも日本武道の集大成とも言われている合氣道を体験させてあげたい、ということでした。
当日のメンバーは、ベルギー人留学生のC君、クラスメイトのA君、国語科のK先生、F先生、英語科のI先生、理科で剣道部顧問のT先生、と少人数で、むしろ教職員の方々の方が多いといった状況だったので、先生方の了解を頂き、私の個人的な趣味も兼ねて、思い切って内容を、「武術・武道の極意としての本質的(身体)感覚」とさせてもらいました。
以前、某高等学校のカナダ人留学生に体験講習を行った時は、若い男の子が少しでも興味を持って楽しんでくれるようにと、「受身」の練習から始め、「一教」、「小手返し」、「短刀取り」、といった合氣道の具体的な技(形)を練習しましたが、今回は内容的にはやや高度でマニアックなものとなりそうなので、果たして皆ついて来てくれるか、一抹の不安を抱きながらも、何とか、半ば強引に最後までやり通しました。
具体的には、「体軸の養成法」、「脱力と臍下丹田による腹式呼吸法」、「腹直筋を弛緩させることにより腹(臍下丹田)で全てを吸収する」、「腹圧を利用して臍下丹田の強大な力を使う(※発勁)」、「『気』を漲らせることと『氣』を出すことの違い」、「体結び(※練心館独自の用語で武術的『魄(はく)』の合気)で一体化して相手を制する」、「氣結び(※合氣道としては理想的な『魂(こん)』の合氣)で一体化して相手を導く」、といった感じで、恐らくは、かなり専門的に何かしらの武術・武道をやっている人でなければ、言っている意味すらよく解からないのではないかと思います。
自分としても、「ちょっとマニアックに走り過ぎてしまったか・・・?」と、終了後頻りと反省したのですが、参加された先生方から、「特に留学生のC君は終始目を輝かせて本当に楽しそうにしていました!」と言って頂き、「それぞれ皆、多少は何かしら感じ取って、掴み取ってくれたのかな・・・?」とこちらも胸を撫で下ろしました。
体験講習会終了後、参加された先生のうちの一人の方が、率直な感想を仰られたのですが、それが非常に的確に本質を衝かれたものだったので、思わず「良く解かっていらっしゃる、素晴らしい!」と妙に感心してしまいました。
その先生は、「こんな言い方をしたら、もしかしたら失礼なのかも知れませんが・・・」と前置きをされながら、「『氣結び』で相手を導くという方法、つまり『氣』で相手に働きかけ、『氣』で相手に技を掛けるといったものは、催眠術にすごく似ているのでは?と感じました」と仰られたのですが、こちらとしてはもう「素晴らしい!正解です。全く以てその通りです!」としか言い様がありませんでした。
「氣」は、科学では解明されていない存在なので、中には頭ごなしに否定する人もいます。
驚いたことに、「合気道」という名前で人に技を教えたりしている人の中にも、「氣」の存在を否定する人もいたりするので、本当に可笑しな話です。
本当は、そういった人は、せめて「合気道」という名前でやるのは止めるべきではないかと、個人的には思います。
一方で、世間では様々な「氣」のパフォーマンスを見せて人々を驚かせたり、楽しませたり、時には「氣」で病気や怪我で苦しむ人を癒してあげたり、中には悪質なインチキを行なう輩も居たりと、まさに玉石混交な感があります。
しかし、一つだけ確実に言えるのは、「『氣』とは、決して物理的な力ではない」ということです。
今から二十年以上前でしょうか?
師匠が「氣」でお弟子さんを豪快に吹っ飛ばしてしまう、純粋に武術・武道ともいえない、ある独特の流派が、世間で大きく話題になったことがありました。
それに対して、当時から超常現象バスターとしてメディアで活躍していた早稲田大学の大槻義彦先生は、「氣」の力が実在するかどうかは簡単な実験で証明できる、と主張されていました。
それは、お弟子さんを台車の上に載せて、先生の気合と共に、お弟子さんが台車ごと後方に吹っ飛ばされて行けば「氣」の力の実在が証明できる、というのです。
これを聞いた時、当時既に合氣道経験者だった自分は、「やはり大槻先生は何にも解かってないんだなぁ・・・」と呆れ果ててしまいました。
「台車ごと動けば『氣』の力が証明される」という考え方は、譬えて言うならば、「電波の力は、どこまで重たい物を押して動かせるのか実験して証明する」と言ってラジコンカーに重りを載せていくようなものです。
どこまで重たい物を動かせるのかどうかは、コントローラーから発する電波の力の強弱の問題などでは決してなく、むしろ車体に搭載されたモーターがどこまで耐えられるかの問題です。
「氣」によって豪快に吹っ飛ばされているお弟子さんの、全身の筋肉に電極を付けて実験すればすぐに判ることですが、あれは自分の足腰の筋肉の収縮を使って、自分でジャンプして跳んでいます。
ということは、「氣」で吹っ飛ばされるようなパフォーマンスは、全て「やらせ」の「演技」なのである、と逆に決め付けてしまうのも、実は早計です。
「物理的には、本人の足腰の筋肉の収縮でジャンプして跳んでいるのに、心理的には、自ら意図的にジャンプしようなどとは微塵も考えていない」
これこそが「氣」の技の真相です。
これは、催眠術などによって、本人の意図とは正反対に体が反応する様子などに、本当によく似ていると言えます。
催眠術などでよく見掛ける「床に付いた手が離れなくなってしまう」というパフォーマンスは、必死になって床から手を引き剥がそうとしているように見えても、実際の本人の筋肉の働き方、作用としては、渾身の力で床に手を押し付けているのだそうです(飽くまでも本人にその自覚はありませんが・・・)。
「氣」の技とは、人間の脳神経系統に直接働き掛けて、相手を導いたり、場合によってはそこにエラーを生じさせて、相手をコントロールしてしまうようなものです。
この事象を、ある武術の先生は「脳波を同調させる」と言って説明されていました。
果たしてその説明が、科学的に妥当なものなのかはよく判りませんが、私自身の実感としても、「脳波の同調」というのは感覚として言い得て妙だと思います。
或いは、横断歩道の信号はまだ赤なのに、隣の人が歩き出すとつい「釣られて」身体が前に出てしまう、といった経験が誰でもあるかと思いますが、難しい言葉で説明などしなくても、この「思わず釣られてしまう」というケースなどは、原理は紛れもなく「氣」の技そのものであると言えます。
古来、武術でもそれを究極の奥義としてきたようですが、非常に高度な技法であるが故に、それ自体にはむしろ、制圧力や殺傷力はありません。
ましてや、「氣」の修行を積んだ感覚の鋭敏な者に対しては面白いように掛かることもしばしばですが、「掛かるまい」と意地になって心を閉じた者に対しては、それ程の効果は見出せません。
恐らくはそれでも、「何となく重心が浮く」とか、「何となく誘われる」といったような感覚が、命を賭した真剣勝負では生死を分けてしまうということもあったのでしょう。
飽くまでも、純粋な「武術」ではなく、「武術」を土台としてその上に人間修行の道として創始された、「武道」である私たちの合氣道に於いては、この「氣結び」こそが、争いを否定し、お互いが愛と調和の心を以て、相手と一体化するという、理想の姿だと言えます。
ところで、話が急に変な方向へ行くかもしれませんが、こういったことを踏まえて考えると、幽霊を見るのも、幻覚を見るのも、人間の視聴覚神経という脳神経系に何かしらの作用やエラーが生じた結果であると考えられないでしょうか?。
そういった意味では、幽霊を見るのも、幻覚を見るのも、「氣結び」による「合氣」の技が掛かる時と、原理的にはあまり変わらないのではないかと個人的には考えます。
そこに存在しないものが見えてしまったり、そこに存在しない音が聞こえてしまったり、といった時、多くの場合、精神的な疾患が原因だったり、薬物の使用が原因だったりするのでしょうが、最近では電磁波が人間の脳神経系統にエラーを生じさせるということも判ってきたそうです。
よって、所謂本物の「幽霊」というものが出現したとしても、それは少なくとも外界における物理現象ではない、とだけは言えるのではないかと思います。
以前にもお話した通り、自分は「霊魂」などの存在に関しては決して頭ごなしの否定派ではありません。しかし、もしも実際に「幽霊」を見ている人の脳内の働きをリアルタイムで科学的に分析することができたとしたら、「幻覚」を見ている状態と何ら変わりはないのではないか、と思います。
ですから、「幽霊」の本質とは、「人間の視聴覚神経系統に何らかのエラーを生じさせて、物理的には存在しないものを見たかのように錯覚させてしまう働き」であり、あるいは、「そういった働きを誘発させる何かしらの作用、エネルギー」ということではないかと思います。
現在、それは科学的には、ある種の電磁波の一種ではないか、と考えられているみたいですが、果たしてそれで正しいのかどうかは判りません。
ただ、人によってはそれを「地縛霊」と呼んだり、「未浄化霊」と呼んだり、または「残留思念」などと言ったりしているのでしょう。
話が急にオカルト的な方向に行ってしまいすみません。
4月上旬、子どもの頃から練心館に通っていて、現在は地方の大学に進学したため休会中ですが、大学では合気道部に所属しているという青年が帰省中で、久し振りにお稽古に参加してくれました。
彼は高校時代、他団体の合気道部部長をしながら、練心館にも通い続けていました。
彼にはよく冗談で、部活の合気道は学校の授業、練心館での稽古は大学受験予備校の特進クラスの授業だと思ってやればいい、などと言っていました。
彼には本当に久し振りに、「力任せの素人にはむしろ低次元な体結びによる魄(はく)の合氣が有効である」、「心身統一体のできた実力者にはむしろ氣結びによる魂(こん)の合氣を優しく掛けた方が良い」等々、手を取って色々と実演を交ぜながらレクチャーしました。
「やっぱり練心館はレベルが相当高い!」と言って楽しそうに稽古してくれました(※すみません、はっきり言ってこれは自慢です)。
稽古後に彼から「先生はどうしてもっと実力をアピールして宣伝しないのですか?」と訊かれましたが、理由としては思う所が色々ありました。
一つは、今の自分の実力が自分のピークなどではないと常に思えるからです。五十代になった時に四十代の自分の未熟さが恥ずかしくなるだろうし、六十代になった時には五十代の自分の未熟さがきっと恥ずかしいものになることが明らかだろうと思われます。
三十代の頃、自身の体得した武術的には大きな殺傷力・制圧力を持った「勁力」こそが奥義であると信じていましたが、後に、殺傷力・制圧力といったものが前面に出てしまうことこそが、そもそも合氣道家としては未熟さの表れなのだと気付かされ、心底反省させられました。
あの経験は「天の神様から受けた啓示」のように衝撃的で、未だに自分への大きな戒めとなっています。
合氣道の実力は、安易な武術としての殺傷力や戦闘力で量れるものでは決してありません。
そしてもう一つは、武術・武道の世界では、やたらと派手にアピールして宣伝し、商売として成功している者もいる一方で、相当な実力者でありながら派手にアピールしたり宣伝したり一切せず、地道に修行を続けておられる方もいらっしゃる、という現実です。
どちらが武道家として本当に格好良い生き様かと訊かれたら、断然後者だと思うのです。
しかし私も、今回は別の意味で少し反省しました。
「恥ずかしい」とか「格好良い」とか、結局自分は、ただ格好付けているだけなのかも知れません。
だから今日は、恥じらいを捨ててこうして少しアピールさせて頂くことにしました。
合氣道だけに限定しません。
広く、古典芸能、伝統武術・武道に通じる、「氣」や「丹田」といったその道の極意と呼ばれているような、本質的な(身体)感覚を解かり易く出張指導致します。
過去には、全国制覇もした、空手界では名門の、強豪空手道部にも指導させて頂きました。
少しでも興味を持たれた方は、お気軽に「合氣道練心館」にお問い合わせ下さい。
お待ちして居ります。
約一か月半振りの投稿です。
昨年の十月に、NHK・Eテレ「100分de名著」という番組で『菜根譚』が採り上げられており、その中で、『菜根譚』後集九四の文について、解説の湯浅邦弘先生(大阪大学教授、中国哲学)が非常に心に残る言葉を仰られていました。
この話はいつかブログにも書いてみようと、ずっと思っていましたが、気が付いたら既に五か月も経ってしまいました・・・。
『菜根譚』は、中国の明朝後期(16世紀末)に洪自誠(洪応明)によって書かれた処世訓集で、東洋の代表的な思想・哲学である、儒家、道家、仏教、の三要素を併せ持ち、「三教合一の思想」とも評されています。
江戸時代後期には日本にも広まり、多くの人に読み継がれて来ました。
また、政財界やスポーツ界の大物と呼ばれるような人達の多くが愛読書にしていたと言われ、合氣道の世界でも、藤平光一先生が愛読されていたと聞き及びます。
では早速、話を本題に進めましょう。
「文は拙を以て進み、道は拙を以て成る。一の拙の字、無限の意味あり。(後略)」(『菜根譚』後集九四)
(現代語訳)「文を作る修業は拙を守ることで進歩し、道を行なう修業は拙を守ることで成就する。この拙の一字に限りない意味が含まれている。(後略)」
「拙」とは、一般的に、「下手である、劣っている、愚かである、不運・不遇である」などの意味に解されることが多いですが、湯浅邦弘先生は、『菜根譚』のこの条項で言うところの「拙」とは、「過剰な装飾・技巧を排したもの」であり、「飾らない素朴さ」であるとしています。
そして、純朴なもの、素朴なもの、つまり「拙」にこそ逆に力があるのだと解説されていました。
また、「拙」の反対は「巧」。
しかし「巧」、すなわち「たくみ」の境地にいる間は、人間は本当の意味で自分自身の心となかなか向き合うことができないものである。
そんな時こそ、むしろ「巧(たくみ)」という自分の鎧を脱ぎ去って、つまり「拙」という原点に回帰することで自身の心と対峙してみる、それによって大切なことに気付かされることもあるはずである、とも仰っていました。
「素朴な『拙』にこそ逆に力があるのだ」と聞き、自分が真っ先に思い出したのは、合氣道のみならず、武術・武道界に伝説となっているような、一昔前の名人・達人の姿でした。
以前、「『造花』と『天然の花』」と題してこのブログにも書かせて頂きましたが、私自身も含めて現代の武術・武道修行者は、やや技術・技巧ばかりに走り過ぎているきらいがあるのではないかと思い至り、自省の念も込めてそれらを「造花」に譬えました。
一方で、一昔前の、今や武術・武道界では伝説的名人・達人とされている先生方の古い映像を視ていつも思うのは、意外と地味だったり、表面的な技巧が粗削りだったりすることでした。
しかし、それらの技は紛れもなく生命の通った、まさに妙技であり、それらを「天然の花」に譬えさせてもらいました。
戦後、現在に至るまで、合氣道の世界では、日頃の稽古の成果を「演武」という形で示すという伝統が作られてしまいましたが、「巧(たくみ)」の境地を去り、「拙」の原点に回帰し、稽古を通してしっかりと自身の心と向き合えるようでいられるためにも、日々の稽古とは、人前で格好良く「演武」を成功させるためにやっている訳ではない、ということを、我々は決して忘れてはならないと思います。
飽くまでも、合氣道の本番は「生まれて死ぬまで」であり(これも以前、ブログのタイトルにしました・・・)、「演武」は単なる「楽しみ」でしか過ぎない、ということを我々は肝に銘じるべきです。
また私自身、三十代の頃は、自分の体得した「技術・技巧」としての武術的な勁力(トンとやるだけで相手をふっ飛ばしてしまったりするものです)や「技術・技巧」としての魄の合気(相手を金縛りに掛けたようにして無力化してしまうものです)こそが奥義であると信じて疑いませんでした。
その頃の自分を湯浅邦弘先生の言葉で言うならば、まさに「『巧(たくみ)』の境地にいて、本当の意味で、未だ自身の心と向き合えていなかった」のだ、と今になって反省しています。
しかし運良く、万生館合氣道の教えに再び触れる機会があり、それまで自分が奥義だと信じていた武術的には非常に有効な「技術・技巧」が、実はそれこそが開祖・植芝盛平先生が「魄は捨て去れ」と仰っていた「魄」そのものであると気付かされました。
そして、合氣道の本当の理想の姿は「氣結び」であり、そのためには、己の纏った鎧を脱ぎ去るように、武術的な「魄」を捨て去る必要があることを知りました。
更には、「氣結び」の技を上手く成立させるためには、自身の心の状態が大きく影響するということを思い知らされ、稽古を通して、自身の心と向き合うことの大切さに今更ながら気付かされもしました。
「素朴なもの、つまり『拙』にこそ逆に力があるのである。」
「道は拙を以て成る。」
「道を行なう修養は拙を守ることで成就する。」
合氣道修行の極意として記憶すべき言葉だと思いました。
以下、「後集九四」以外に、この「道は拙を以て成る」の教えにも通じる条項で、個人的に気に入ったものを二つばかり引用したいと思います。
「真廉は廉名なし。名を立つる者は、正に貪となす所以なり。大巧は巧術なし。術を用うる者は、乃ち拙となす所以なり。」(『菜根譚』前集六二)
(現代語訳)「真に清廉なる者には、清廉という評判は立たない。清廉という評判が立っている人は、実はそれを手段とする欲ばりな人である。また、真に巧妙な術を体得した者は、巧妙な術などは見られない。巧妙な術を用いる人は、実はそれがまだ板につかない全く拙劣な人である。」
「醲肥辛甘は真味にあらず、真味は只だ是れ淡なり。神奇卓異は至人にあらず、至人はただ是れ常なり。」(『菜根譚』前集七)
(現代語訳)「濃い酒や肥えた肉、辛いものや甘いものなど、すべて濃厚な味の類は、ほんものの味ではない。ほんものの味というものは、(水や空気のように)ただ淡白な味のものである。(これと同じく)、神妙不可思議で、奇異な才能を発揮する人は、至人(道に達した人)ではない。至人というものは、ただ世間並みな尋常の人である。」
※今回、『菜根譚』の書下し文、及び現代語訳については、全て「『菜根譚』今井宇三郎 訳注、岩波文庫」より引用させて頂きました。
練心館では毎年、鏡開きの時に「館長年頭挨拶」として、新年に当たり、その年の「子どもクラス」のテーマ・方針を保護者の方々に向けてお話してきました。
今年の鏡開きは、1月17日(日)に無事執り行われましたが、その時の話の内容をここに記そうと思います。
毎年、原稿は用意せず、頭の中にある大体の内容を、その場の勢いで語っているだけなので、当日とは多少違う所もあるかもしれません。
また、今年は「子どもクラス」に限定せず、「大人一般クラス」「女性クラス」を含む、練心館全体のテーマ・方針というという内容になりました。
皆様、新年明けましておめでとうございます。
お陰様で、今年で練心館が創立して34年目となり、私が二代目館長を継いでから12年目となりました。
練心館は今や恐らく、専門武道場としては横浜市都筑区で一番歴史のある道場ではないかと思われます。
これも偏に、支えて下さっている皆々様のお陰であると、改めて、心より感謝申し上げます。
さて、毎年、この場を借りて、練心館「子どもクラス」の「今年のテーマ・方針」についてお話させて頂いておりますが、今年はある意味「原点回帰」致しまして、合氣道開祖、植芝盛平先生の教えを、そのまま今年の練心館のテーマ・方針に掲げよう、という思いに至りました。
したがって、今年のテーマ・方針は、「子どもクラス」だけに限定致しません。「大人一般クラス」、「女性クラス」も含めて、全部これで行こうと心に決めました。
練心館の今年のテーマ・方針は、ずばり、「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」であります。
植芝盛平先生の思想、延いては合氣道を理解しようとする上で、この、「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題は、決して無視できない重要なものだと言えます。
仏教思想では一般的に、「魄(はく)」とは、同じ「たましい」でも肉体を司るもので、死後、大地へと帰って行くものであり、「魂(こん)」とは、同じ「たましい」でも精神を司るもので、死後、天へと昇って行くものであるといいます。
それでは開祖の説かれる「魄(はく)」と「魂(こん)」とは、いったいどのような意味を持っているのか、私なりの解説は以下の通りです。
「魄(はく)」とは、目に見える物、形のある物、勝ち負けの着けられるもの、数値に置き換えて比較考量できるもの、金額に換算して比較考量できるもの。
つまり、多くの現代人がそれに囚われて一喜一憂しているもの、例えば、勝ち負け、点数、偏差値、お金、これらは全て、魄(はく)だといえます。
一方で、「魂(こん)」とは、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けの着けられないもの、数値に置き換えられないもの、金額に換算できないもの。
つまり、これらは全て人間の「心」の問題です。我々はこういったものの重要性を、あまりに当たり前過ぎてついつい忘れがちですが、いつの時代でも、どんな世の中でも、人間が一番大切にしているものは、こちら側のものだといえます。
「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。それで合気道がこの世に立派な魂の花を咲かせ、魂の実を結ぶのである。」
(『合気神髄』P13)
「現代は物質、魄の世界である。しかし魂の花が咲き、魂の実を結べば世界は変わる。いまや精神が上に現われようとしている。精神が表に立たねばこの世はだめである。物質の花がいまや開いているが、その上に魂の花、魂の実を結べばもっとよい世界が生まれる。」
(『合気神髄』P13)
「体を通して、形のあるものは魄である。物の霊を魄というのであるが、我々は魂の学びを学ぶのである。現代は魄を中心としているが、魂魄阿吽でゆかなければいけない。魂が魄を使うのでなければいけない。
いま世の中は、魂の和合へと進んでいる。毎日これで進んでいる。我々は精神科学の実在である。自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ。魄力はいきづまるからである。つまっているからである。
いまや世界は、魂の救いを求めるようになってきている。日本は、ぐずぐずしていてはいけない。いま、我々は各所に与えなければならない役割がある。」
(『合気神髄』P18)
「これまでの武道はまだ充分ではありません。今までのものは魄の時代であり、土台固めであったのです。すべてのものを目にみえる世界ばかり追うといけません。それはいつまでたっても争いが絶えないことになるからです。目に見えざる世界を明らかにして、この世に和合をもたらす。それこそ真の武道の完成であります。今までは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台としまして、全てを忘れ、そのうえに自分の魂をのせなければなりません。」
(『合気神髄』P154)
現代人は、大人も子どもも、いつも何かに追い立てられ、熾烈な競争に晒され、目に見える物、「魄(はく)」ばかりを追い求めているようにも見受けられます。
勉強しても常に点数と偏差値を追い求めさせられ、仕事をすれば常に成果と売り上げを追い求めさせられ、ニュースを視れば株価の変動に一喜一憂し、試しにスポーツに気分転換を求めても、そこでは勝つことを要求され、関心は順位と獲得した金メダルの数ばかり・・・。
しかし、先程も申しましたが、そんな「魄(はく)」ばかりの世の中で生きている我々にとっても、本当に大切なことは、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けや数字、お金で評価できないものである、ということを決して忘れてはいけないと思います。
我々はそのことを、あまりにも当たり前のこと過ぎて、ついつい忘れてしまいがちなだけだと言えます。
子どもたちには、このことについて、改めて考えてもらうために、私はしばしば稽古の前にちょっと意地悪な質問をすることがあります。
「もしも、日本中のお母さん全員に『全国一斉お母さん試験』というのを受けさせて、『どれだけ優しいか』とか、『お洒落か』とか、『お料理の腕前はどうか』とか、全て点数を付けて順位を付けたとするよ。」
「もしも、今のお母さんよりも何十点も点数の高い、別の優秀なお母さんと取り換えてくれるって言ったら嬉しい?」
そう訊くと、子どもたちは一斉に「いやだー!」と叫びます。
ちょっと意地悪が過ぎますが、更に訊くのは、「どうして?、今のお母さんよりずっと優しいかもしれないよ?、お料理だってプロ級の腕前かも知れないよ?」
それでも子どもたちは「ぜったいに、いやだー!」と叫びます。
なぜ「いや」なのか?。そこにはもっともらしい理由など必要ありません。
子どもたちだって解かっています。日本中探せば、自分の母親よりも、もっと大らかで優しく、そんなにガミガミ怒ったりしないお母さんはいくらでもいるでしょうし、料理の腕前がずっと上のお母さんだっていくらでもいるでしょう。
しかし、そんなことは、「人間にとって本当に一番大切なもの」の前では何の意味もありません。
いつの時代も、どんな世の中でも、人間にとって一番大切なものは、目に見える物や勝ち負けや、数字や金額に置き換えられない所にあるのであり、合氣道開祖、植芝盛平先生はそれを「魂(こん)の花を咲かせる」と表現されたのだと言えます。
開祖はまた、この「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題を、別の言葉でも表現されていました。それが、「物質科学」と「精神科学(霊科学)」です。
「物質科学」とは世間一般でいう物理学や化学のことではなく、まさに開祖の言葉で言うところの「魄(はく)」を意味していると考えられ、「精神科学(霊科学)」というのも、決して心理学や精神医学のことではなく、開祖の説かれた「魂(こん)」を指すものだと考えられます。
「合気道は、精神(霊)科学であります。」
(『武産合氣』P74)
「世界中の人々が平和を望み、平和を願っているのに、この世は依然として争いあい憎みあっています。
それは物質科学と精神科学(霊科学)とが調和していないからであります。
今や物質科学はその頂点に達した観があります。ところが精神科学はなおざりにされていたのであります。
今迄は魄(肉体的)物質の世界でありましたが、これから魂(精神的)と魄とが一つにならなければなりません。物質と精神との世界に長短があってはなりません。
人間は霊ばかりでは駄目で、肉体がなければ働けません。また肉体ばかりでは本当に働けません。肉と霊が両々相まって働く時、真実の働きが出るのであります。」
(『武産合氣』P75~76)
「物と心の調和した世界を造ればよいのである。どちらにかた寄ってもいけない、物と心は一つのものである。
現在、物資科学は大いなる進歩をとげているが、反対に精神科学の実在はまだである。人の世は物質科学と精神科学との正しい調和と天地万有の気によって、人の整いし世となれば、この世の争いはなく和平の世となる。それには我々の合気道も天の運化におくれず、また身体の武のみでは、これを達成することは至難である。世を乱すのは、一元の本を忘れるからで、一元は、精神の本と物質の本の二元を生み出し、複雑微妙な理法をつくる。」
(『合気神髄』P116~117)
合氣道開祖、植芝盛平先生が説かれた「精神科学(霊科学)」とは、同じく開祖の説かれた「魂(こん)」とほぼ同義であると思われますが、誤解を恐れずに、それを更に言い換えるならば、それは「スピリチュアリズム」のことであると言っていいと思います。
江原啓之さんが世に出て以降、「スピリチュアル」なる言葉は完全に市民権を得て現在に至っておりますが、その後、「スピリチュアル」で金儲けをするとか、「スピリチュアル」で出世するとか、本来、形や数字に現せない「魂(こん)」の問題として取り扱うべきものを、人間の我と欲に結び付けて喧伝する有象無象が、残念ながら余りにも増えてしまいました。
これは飽くまでも私の個人的な見解ですが、我々のような所謂「霊能者」でも何でもない普通の人間にとって、「スピリチュアリズム」の神髄とは、「前世」でも「霊界」でも「守護霊様」でもなく、日々の当たり前の生活の中で、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けの着かないもの、数値や金額に換算して比較考量できないもの、を大切にすること、だと思います。
誤解を恐れずに言いますが、私は個人的には、「霊」などの問題に関しては決して頭ごなしの否定派ではありません。それ故に、「スピリチュアル」を金銭欲や出世欲などの人間の我と欲に結ぶことで、以前ブログに書いたような「禅病」「偏差」と同等の、心身への悪影響が生じないか、憂慮するのです。
話は変わりますが、昨年の大晦日は、何年振りかでテレビで格闘技のイベントを放送していました。
以前の私は「武術志向」が強く、格闘技なども大好きでしたので、懐かしさからついつい録画して視てしまいました。
録画した格闘技の試合を視ていると、変な話ですが、唐突に、何の脈絡もなく、新約聖書の中のイエス・キリストの言葉が頭に浮かんできました。
それは、イエスが十二使徒を遣わす場面です。
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
(新共同訳・マタイによる福音書10:28)
世の中には、「実戦武術」や「最強格闘技」を標榜して、いかにして相手により大きなダメージを与え、より酷く傷付け、より迅速に殺傷するかと、躍起になっているような人たちもいます。
しかし、そのような人たちも、考え方によっては、「所詮は体は殺すことができても、魂には傷一つ付けられない人たち」と言えるのかも知れません。
そう考えると、合氣道は、「体を殺すことは出来ずとも、魂も体もこの世で祓い清めることのできる武道」と言えるのではないかと思います。
開祖は、「合氣道は禊である」とも仰っていました。
合氣道を「恐れる」必要は全くありませんが、真に「畏れる」べき武道とは何か?と問われれば、それは合氣道であると答えて間違いないと思います。
それも、合氣道が「精神科学(霊科学)」であり、「魂(こん)の花を咲かせる」ものであるからだと言えるでしょう。
「我国には、本来西洋のようなスポーツというものはない。日本の武道がスポーツとなって盛んになった、と喜んでいる人がいるが、日本の武道を知らぬも甚しいものである。
スポーツとは、遊技であり遊戯である。魂の抜けた遊技である。魄(肉体)のみの競いであり、魂の競いではない。つまりざれごとの競争である。
日本の武道とは、すべてを和合させ守護する、そしてこの世を栄えさせる愛の実行の競争なのである。」
(『武産合氣』P50)
「魄の世界を魂のひれぶりに直すことである。ものを悉く魂を上にして現すことである。
今迄はもの一方だった。あの人は魄力が強いとかいった。今日はなりゆきで魄力の世界である。だから世の中の争いは絶えない。
スポーツも魄である。スポーツでは日本は充分ではない。魄力だからである。魄力でやってゆく国は、最後はうまくゆかない。阿吽の呼吸でやってゆくこと、あくまで魂を表に出すことである。魂の力をもって、自分を整え、日本を整え、神を表に出して神代を整え祭政一致の本義に則ることである。
合気はみそぎであり、神のなさる世直しの姿である。
魄力が強いということは(世の剣聖といわれる人も魄力は強かったが)それでは戦争が、いつまでたってもなくならないということである。争いよりぬけるよう、大神様のみ心に復帰すべきである。( 後 略 )
( 中 略 )
武とはすべての生成化育を守る愛である。でなければ合気道は真の武にならぬ。合気道は勝ち負けをあらそう武とは違う。」
(『武産合氣』P165~166)
「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」
我々にとって、目に見える物、形のある物、数字や金額に置き換えて比較考量できるものなども、それはそれで必要なものです。
我々は決して霊界に住んでいる霊の集団などではなく、目に見える形のある肉体を持ち、物質世界を生きる人間なのですから・・・。
しかし、それらは全て「魄(はく)」であって、単なる土台に過ぎません。
美しい容姿や逞しい肉体、立派な学歴や収入など、それはそれで素晴らしいものですが、それを人生の最終目標にしてしまったら、その人は、土台だけ作って置きながら、何一つ人間として本来やるべきことを果たさなかったと言われてしまいます。
立派な土台を作ったなら、その上に、目に見えない、形のない、勝ち負けや数字や金額では計れない、愛や友情、優しさや思いやり、誠実さや気高さなどの、精神的な美しさともいうべき、「魂(こん)の花」を咲かせなければなりません。
また、開祖が仰るように、「魄(はく)」ばかり追い求めていると、いつまで経ってもこの世から、つまらない喧嘩や争い、悲惨な戦争がなくなりません。
この世のありとあらゆる争いは、全て、目に見える物、形のある物、勝ち負けの着くもの、数字や金額で計れるものの、奪い合いが原因で起こっています。
合氣道を始めるに当たって、それぞれの人はそれぞれの目的で始めるのでしょうが、そもそも合氣道には、合氣道がこの世に出現した固有の目的があるのだ、ということを忘れてはいけません。
それは、「この世からつまらない喧嘩や争い、悲惨な戦争などを少しでもなくすこと」であり、いずれはこの世に「地上天国を実現すること」であるといわれます。
そのためにも、我々は、「魄(はく)」は飽くまでも土台に過ぎず、その上に、如何にして「魂(こん)の花」を咲かせるか、真剣に考えなければなりません。
最後に、実は、「魂(こん)の花を咲かせる」ことの重要性を説かれたのは、何も植芝盛平先生だけではない、ということを、文学というジャンルの中から少しだけご紹介したいと思います。
フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの書いた世界的名作『星の王子さま』を貫く最重要テーマは、「肝心なことは目に見えない」という言葉に尽きるのではないかと思います。
これなどはまさに、「魂(こん)の花を咲かせる」ということに通じるものだと言えましょう。
「『さよなら』と、キツネがいいました。『さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ』
『かんじんなことは、目には見えない』と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。」
(『星の王子さま』 サン=テグジュペリ 作、内藤濯 訳、岩波書店)
そして近代日本でも、「目には見えない肝心なこと」を生涯、詩や童話に描き続けた作家の代表として、宮沢賢治の名が挙げられると思います。
宮沢賢治が、「魂(こん)の花を咲かせる」ことを書いた名文として、大正13(1924)年に童話集として生前唯一刊行された、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の序文があります。
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
( 中 略 )
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」
(『注文の多い料理店』 宮沢賢治 著 新潮文庫)
今年の練心館のテーマ・方針は、合氣道の原点とも言うべき、開祖、植芝盛平先生の教えに帰って、「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」で行こうと思います。
宮沢賢治の言葉を借りれば、ここ練心館で学び、稽古する合氣道が、お終い、私たちの「すきとおったほんとうのたべもの」になることを、私も願ってやみません。
本年も、皆様からの温かなご理解、ご支援を賜りたく、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
『徒然草』 第百五十段
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
(独自超訳)
合氣道を稽古する人の中には、「下手くそなうちは、なまじっか人に知られないようによう。こっそりと練習して十分上手くなってから、堂々と人前にも出るようにした方が、その方が粋だし格好いいじゃないか。」などと言う人もいるようだけれども、そんなふうに言う人は、結局は何も身に付かないだろう。
下手くそな初心者のうちから、上手な人達の中に交じって、時には手厳しく間違いを指摘されたり、笑われたりしても恥ずかしがらず、マイペースでコツコツと努力が続けられる人は、天性の才能などなくても、飽きることなく、目先の合理性や実戦性に惑わされて自分勝手な自己流に陥ることもなく、修行の年月を過ごせば、才能があってもそれに甘んじて努力を怠っている者よりは、最終的には達人の境地に至り、いつの間にやら人徳や品格も備わり、人々に認められて、名声までをも得ることになるのである。
天下の名人とされるような人であっても、初めのうちは、「才能が無い」などと噂されたり、大失敗をしたり、大恥をかいたりと、色々あったものなのである。けれども、その人が、その道の「理」を守り、基礎・基本を重んじて、自分勝手な自己流に陥ることをしなければ、いずれはその道の大家となって、多くの人々の師となることは、全ての道において変わらないのである。
自分が、練心館初代館長、藤野進先生に師事していた期間は、実はたったの5年間でした。
しかしその間、自分で言うのも何ですが、私は結構「優等生」な弟子だったと思います。
短い間でしたが、自分のことを心底信頼して、認めて下さっているのだなぁ・・・、と感じたことは数限りなくありました。
練心館20周年記念式典の時は、藤野先生による「館長模範演武」の「受け」を務めさせて頂きましたし、「齋藤君をただの弟子だとは思っていない。むしろ同志であり、ライバルだとも思っている。」と言って頂いたこともありました。
また、「齋藤君の(合氣道家としての)実力は、もう十分私を超えているよ。」と言って頂いたこともありましたし、先生亡き後、人づてに聞いた話では、「私が何十年掛けて苦労して身に付けた技を、齋藤君は言った側から、いとも簡単に体現してしまうんだ・・・。」とも仰っていたそうです(もういい加減に自慢話はやめます)。
そんな藤野先生は、平成16年の秋頃から急激に体調を崩され、12月末の緊急入院後、たったの9日で帰らぬ人となってしまったのでした。
入院されてすぐに、病院のベッドの上で先生は、「齋藤君、私の後、練心館を継いでくれないか?」と仰られました。その時は、「先生がいない間、練心館のために自分ができることは最大限します。それは必ずお約束します。だからそんなことは仰らずに、早く元気になって下さい。」と答えました。
結局は、「練心館のために出来ることは最大限する」という約束が、先生の仰られた通りに、「練心館二代目館長を継ぐ」という結果になった訳です。
当初は、「たった5年しか師事していないような者が(その5年の間に、諸先輩方を差し置いて、実質、自分が一番弟子扱いになっていました)後継者に指名されるなんて、生意気だ」ということで、本当に色々ありました・・・。
藤野先生にとっては結構「優等生」な弟子だったであろう私ですが、そんな私は、合氣道を始めた時からずっと「優等生」な弟子だったかと訊かれれば、それは全く違いました。
以前、ブログにも少し書いたかと思いますが、私に最初の合氣道の手解きをしてくれた師匠は、現・実心館合氣道会会長(当時は、心身統一合氣道、実心館道場館長)の村山實先生です。
中高生時代の私にとって、村山實先生は、圧倒的な厳父のような存在でした。
当時、村山先生には、精神的にも技術的にも、数多くの愛を込めた叱咤激励と、厳しい「ダメ出し」を頂きました。
お陰様で、その頃、村山先生から受けた教えは、現在の練心館での指導にも大変活かされています。
精神的なものを言えば、子どもたちへの躾と情操教育に村山先生の教えは随分活用させて頂いています。
また技術的には、例えば、最初に習う「片手取り転換呼吸投げ」の「受け」は、できるだけ小股で、上下運動を小さくして滑るように付いて行く、という、私自身幾度も注意されたものがありましたが、現在、練心館ではこれを「摺足歩法」と銘打って、丹田から滑るように移動する歩法の稽古として採用しています。
その他、今でもよく覚えているのは、「正面打ち」や「横面打ち」を打ち込もうとする時や、相手を氣で導こうとする時、思わず自分の顎が上がってしまう悪い癖を、「それでは自身の統一体が崩れてしまう」と何度も注意されました。
更に思い出深いエピソードとしては、高校の合氣道部部長時代、当時、捜真女学校合氣道部顧問で師範の佐藤先生という方が演武を行う、ということで、村山先生からその「受け」を取るように仰せ付かったことがありました。
まだ高校生だった自分にとっては、これは大変名誉なことだと意気込んで、県立武道館まで出稽古に行きました。しかし当の佐藤先生から、「齋藤君ではどうもまだ未熟で物足りない」と、それこそ「ダメ出し」されてしまい、結局佐藤先生の「受け」は、当時実心館青年部のリーダーだった松田さんという方が代わりに取られた、ということもありました。
この時は、「自分のどこがいけないのだろう?」と随分悩んでしまいました。
当時の自分は、豪快な「飛び受身」などは誰にも負けない自信がありました。そして未熟な自分は、演武の「受け」などは、とにかく大きく派手に跳べば良いのだろうと考えていました。
その後、村山先生から、己の「我」を完全に消し去って「無」になれた時、完全に「投げ」と調和し一体化した理想の「受け」が完成するのだと教えられ、「我」を消す「受身」の特訓をして頂きました。
今でも練心館では、たまにこの、「我」を消す「受身」の練習をしています。
そんなふうに、青春の全てのエネルギーを合氣道に捧げるような日々を過ごしていましたが、私の合氣道修行は、高校3年生の時に一度大きな挫折をします。
稽古で余りにも激しく投げられたのが原因で、右の肺が破れてしまい(気胸というやつです)、入院、即手術となってしまいました。
そして医師から、「レントゲン写真を見ると、左の肺もいつ破れてもおかしくない危険な状態だ」と告げられ、「自分はもう、一生、激しい運動のできない体になってしまった?!・・・」と、深く絶望してしまいました。
若さ故とは言え、今となっては随分思い込みが激しかったものだと、変に感心してしまいます。
しかし「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、前回のブログにも書きましたが、合氣道を挫折したお陰で、本気になって大学進学を目指そうと、頭の中を切り替えることができ、受験勉強にも集中できたのではないかと、今となってはこれも「運命」だったのだなぁ・・・と思っています。
その後、約10年の間、道場の畳の上でドタンバタンと稽古することからは、一切離れた生活を送っていました。
しかしその間、自分なりにずっと考えていたことがありました。
それは「臍下丹田の感覚とは本当はどういうものなのだろうか?」、「相手を氣で導くとは本当はどういうことだろうか?」、「心身統一とは本当は何なんだろうか?」といったことです。
「心身統一体ができていれば、押されてもグラつかないのだ」と教わり、「統一体のテスト」と称して色々やってはいましたが、高校生だった自分にとっては、「本当にこれで良いのだろうか?」という確信のなさ、覚束なさはどうしても払拭できないままでいました。
しかし不思議なことに、道場での稽古を離れていたこの10年の間に、この「覚束なさ」は、段々と自分の中で、「つまりこういうことだったのか・・・」という「確固たる確信」へと変化していったのです。
ですから、「心身統一と氣の原理」という合氣道の本質的な部分に関しては、自分の場合は、畳の上での稽古を一切しなかったこの10年の間が、一番実力が向上した、と今でも思っています。
「合氣道はある程度年齢が上がらないと本物は解からない」というのは、間違いのない真実であると言えます。
その後、高校教員になって後、結果的に自分の人生を左右するような運命的な出会いがありました。
担任したクラスの生徒のお父様が、万生館合氣道師範の宇野司先生でした。
そしてこれもまた運命的に、宇野先生から合氣道を指導して頂く機会が与えられたのでした。
それは今でも忘れません。万生館合氣道に伝わる「呼吸力の養成法」というものだったと思います。
こちらは宇野先生の両手を取り、宇野先生はその両手を柔らかく手前にスーと引くだけの、見た目は単純な動作でした。
しかしその瞬間、「神の啓示」を受けたかのような、不思議な衝撃を受けました。
まるで、心も身体も完全に一つに溶け合って、無限の宇宙に吸い込まれていくような感覚でした。
気付くと、自分は宇野先生の引かれた手に、当たり前のように付いて行っていました。
この時、自分は、「また本気で合氣道の修行を始めよう」と決心したのでした。
そして、当時は格闘技がブームで、自分も夢中になってテレビで応援したりしていましたが、「合氣道は『格闘技』でもなければ『護身術』でもない、思慮分別のある大人が、一生涯を賭けて探究する価値のある、高度な教養であり、高尚な精神文化、伝統文化としての『武道』である」と確信したのでした。
宇野先生との運命的な出会いがあってから2年後、稽古時間や曜日、交通の便を考慮して、たまたま一番通い易かった道場に入門しました。
それが、藤野進先生が館長・師範をされていた、合氣道練心館道場でした。
藤野進先生は、「世知辛い現代社会に、まだこんなにも大らかな方がいらっしゃったんだ・・・」と思わせてくれるような、俗世間を超越したような、不思議な人間的魅力に溢れた方でした。
稽古内容も比較的自由で、自分が探究したいテーマを、とことん研究させてもらえました。
武道の上達ということに関しては、明確な指針を持っていた自分のようなタイプの弟子にとっては、まさに水を得た魚のように伸び伸びと向上させてもらえた、素晴らしい環境だったと思います。
しかし、最近になって多少未練が残るのは、江上茂先生の「松濤會空手」を、もう少しきちんと正式に伝授してもらえば良かったな・・・、ということがあります。
藤野先生は合氣道に転向する以前、江上茂先生門下、「日本空手道松濤會 東急道場」にて松濤會空手を最高段位まで修めておられました。
たまたま最新号の月刊『秘伝』2016年1月号の誌面にて、スペインで松濤會空手を指導されている昼間厚雄先生という方が紹介されていましたが、長い間、自分の研究テーマである、合氣道開祖・植芝盛平先生の説かれる「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題において、「魄」の当身というのが、いわゆる武術的身体操作と丹田の爆発力を使った「発勁」だとするならば、「魂」の当身というものは当初、存在しないのではないか?、と考えていました。
しかし、いつの頃からか、松濤會空手の脱力して全身を伸びやかに使う独特の突き、「スー突き」こそが、実体のない「心」に深く作用する「魂」の当身というべきものに近いのではないか、と思い至るようになり、更にこれを極小の動きにした、当身としての一つの完成形が、ロシア武術「システマ」の「ストライク」ではないか、という結論に至りました。
この問題は、引き続き自分の研究テーマの一つですが、もしも藤野先生が生きておられたら、是非とも色々とご意見を伺いたいところです・・・。
そしてこの頃、自分の「武道観」に多大なる影響を与えてくれた、もう一つの運命的な出会いがありました。
職場で同僚のオーラルイングリッシュの教員に、イギリス人のマイケル・ハドソン先生という方がいらっしゃいました。
ハドソン先生は、幕末の英雄、勝海舟の流儀として有名な「鹿島神傳直心影流剣術」を熱心に修行しておられ、今や直心影流の師範として、ご自身の会派、「硯舟会」を主宰されています。
ハドソン先生と色々と親しくお話させて頂く中で、ハドソン先生の日本文化に対する敬意とその造詣の深さに感銘を受け、また先生の「日本の武道」というものに対する考え方に、非常に深く共感するものがありました。
ハドソン先生はいつも、「日本武道の神髄は、思いやりの心である。」と、仰られていました。
元々は、イギリスで合氣道の修行に励んでおられ、来日後、それこそ運命的に鹿島神傳直心影流と邂逅し、すぐさまそちらに転向されたというハドソン先生ですが、その「日本武道の神髄は、思いやりの心である」という考え方は、合氣道開祖、植芝盛平先生の思想にも通じるものがあります。
「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。」(『武産合氣』P18)
「合気は全部みそぎになっているのです。(中略)日本武道のはじめはここに基いています。
それを知らずして、ただ強ければよい、負けなければよい、と力と力で争い、弱いもの小さいものをあなどり、それを乗り取ろうとする侵略主義になろうとしている、その魔を切り払い、地上天国建設精神にご奉公をするのが、合気の根本の目的なのであります。」(『武産合氣』P110~111)
「ある人は軍備撤廃を叫んでいる。そして合気道も軍備ではないかといった人がいる。しかしそれは間違っている。
合気は、軍備の心を起さずに和合の道に進ませるのである。」(『武産合氣』P139)
「愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。
宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。
真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである。それは、殺し争うことでなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。愛とはすべての守り本尊であり、愛なくばすべては成り立たない。合気の道こそ愛の現われなのである。
だから武技を争って勝ったり、負けたりするのは真の武ではない。
真の武は、(中略)いかなる場合にも絶対不敗である。すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己れの心の中の『争う心』に打ち勝つことである。」(『合気神髄』P34~35)
「日本の武は、決して、戦さや、闘いや、争いの道ではないのであります。」(『合気神髄』P48)
「喧嘩争いをおこさんようにするには、喧嘩争いの前に、先におさえる。これが日本の武道です。愛の道が肝心です。愛の道がこの世の力、この世の命です。」(『合気神髄』P100)
「我が国における古よりの武道に対する立法は、殺すなかれ、破るなかれであった。我が国の真の武道は大きく和するの道であり、身心の禊である。天の規則を地上に打ち立て、人が行なってまず自己をこしらえ、万物を守るのが武の掟である。しかるに今どきの武を講ずる人は往々にして日本の真武を知らず、中古よりの覇道的武道におちいっていることを悲しむ。」(『合気神髄』P161~162)
ごく稀に、日本人で、「日本武道こそが世界最強であり、どんな強い敵でも必殺で斃すことができるのだ!」、などと嘯く方がいらっしゃるようですが、そういったタイプの人を見てしまうと、自分は情けなくて暗澹たる気持になってしまいます。
冷静になって客観的に観れば、「実戦武術」という観点からも、中国や東南アジアの武術の方が、圧倒的に躊躇なく人体を破壊し、相手を殺傷する技術の宝庫だといえます。
一方で、「スポーツ格闘技」という観点から観れば、欧米のボクシングやレスリングの方が、遥かに合理的で洗練された技術を持っているといえます。
このことは、かつて格闘技がブームだった頃、K-1選手はパンチのテクニックを磨きに、皆ボクシングジムに通っていたし、総合格闘技に転向した選手はグラップリングテクニックを磨きに、皆レスリングジムに通っていたという事実からも理解できると思います。
はっきり申し上げて、日本武道は、「実戦武術」にも「スポーツ格闘技」にも余り向いていないと思います。
今時流行りの功利・実利主義の人間から見たら、日本武道などは、いかにも時代遅れの過去の遺物のように映るのかも知れません。
しかし、日本武道は、未だに海外で多くの人を惹き付けています。海外で日本武道の魅力に取り憑かれている人の多くは、「実戦武術」にも「スポーツ格闘技」にもない、深い「精神性」にこそ魅力を感じるのだと、口を揃えて言うのだそうです。
そしてこの、「日本武道の精神性」を突き詰めれば、それは、ハドソン先生が仰るように、「日本武道の神髄は、思いやりの心である」という結論に至るのではないかと思うのです。
今後未来に向けて、日本武道が世界に貢献できる役割があるとするならば、「日本武道の神髄」としての「思いやりの心」を世界に発信することで、少しでも世界平和に貢献することではないかと思います。
残念なことに、今もって尚、世界の多くの部分は「力による支配」で動いているといえるでしょう。
軍事力、経済力、そしてそれらに裏打ちされた国力、政治力、支配力。
そして歴史上、この「力による支配」というものを最も強く推し進めてきたのが、欧米の白人たちによる科学と合理主義の文化だといえます。
カリフォルニア大学教授で生物地理学者のジャレド・ダイアモンド先生は、著書『銃・病原菌・鉄』の中において、結果的に欧米の白人たちの創った文化が世界を席巻したのも、元を辿れば自然環境などの単なる地理的な要因からであって、この地球上に本来、人種や民族による優劣などは存在しないのだと訴え、1998年にピューリッツァー賞を受賞されました。
今後未来に向けて、日本武道が世界に発信すべきメッセージとは何か。
それは、「この世界で真に価値あるものとは、ただ力を行使して、弱きものを征服し、支配できるもの、だけなのであろうか?。徒に力を行使することなく、和を以てお互いを結ぶ日本武道の中には、今後未来に向けて、争いのない持続可能な社会を形成するためのヒントとなる、実践的な知恵がふんだんに含まれている筈である。」というものだと思います。
イギリスという国は、かつて、17世紀初頭にはもう既に、世界を席巻するグローバル企業を設立していました。
そして18世紀半ばには、世界に先駆けて技術革新に成功し、産業革命を成し遂げました。
更に19世紀には、地上最強の「大英帝国」として、七つの海を支配する程に強大になりました。
何も、ハドソン先生が「白人代表」で「イギリス人代表」な訳では決してありませんが、そんな「力による支配」の大先輩である国から、遥々この極東の島国、日本にやって来て、日本の伝統文化の繊細な優しさに最大限の敬意を持たれ、日本武道の神髄を誰よりも正しく理解されている・・・。
そして今や、当の日本人すらも忘れつつある、「日本武道の神髄としての思いやりの心」を、次代に継承し、啓蒙することに生涯を賭けて下さっている・・・。
一人の日本人として、これ程までに嬉しいことはなく、日本武道の未来についても、明るい希望が持てるような気がするのです。
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