十年前 父と富士山を登った 二十年後 私が父と同じ歳になる 果たしてその頃に 私は頂上へたどり着くのだろうか その前に生きていることが前提だけど そうだな これをひとつの目標にして あのゴツゴツした長き連なる山道を どんな景色に見えるのだろう どんな自分に会えるだろうか
息子がまだ泥だらけになり遊んでいた頃 誰よりも自由を手に入れた顔して 走り転んでも痛みをすぐに忘れる 遊びの天才になり 青空は君のためにあるのか なんて思うくらい飛び回っていた 小学校も高学年になると 社会性を持つように学校でも厳しくなる 授業で必要な道具を忘れた息子は 「忘れ物について何か書きなさい」と先生にいわれ クラスでひとり違う課題を与えられた 書き上げた文章は詩であった 子どもはみんな詩人だと思っていたが 息子も同じように自分を表現していた 忘れ物 ぼくは変だ 遊ぶやくそくは覚えているが 学校の宿題は十分くらいで 忘れてしまう ぼくは変だ 遊ぶ持ち物は覚えているが 学校の持ち物は五分くらいで 忘れてしまう ぼくは変だ 連絡帳に書いたものも 一分ぐらいで 忘れてしまう ぼくは変だ だから 学校を勉強するところと 忘れないようにしよう この詩がなぜかクラスだよりに載って 初めて目にするのであった 自分がどんな性格かを考え 学校という社会と照らし合わせながら 子どもらしいユーモアもあり 反省していることが書かれ驚いてしまった 子どもが大人になるため 社会性を持つことは大切であり 親としてはそれが嬉しくもあって あの自由を手に入れた息子の顔 目に浮かべると寂しくもある 「忘れ物」の詩には「忘れない物」があり 強く生きるためのユーモアは誰にも奪われず 自由な力となり逞しさを忘れやしない
遠くから聞こえる犬の鳴き声 開いたままの本が 風でページをめくる音 実家の静けさの中で 懐かしく透明に響いてくる 動くことを遠ざけた身体は 余計に硬くなってしまうから そろそろ立ち上がろう、と 線香の匂いが流れ パイプ椅子を運び入れ 昨日、テレビで紹介していた ストレッチに汗をかく すでに休み明けの勤務を想像して なんとか来週もやっていける、と この怠さを前向きに考えている そしてまた横になり 母親の不安話しと幸せ話しを聞く まったりと時間が過ぎてくる ああ、俺はここで育ったんだな 母ちゃん、腹へったよ
頭の中は宇宙で 自由にその空間も操れる あっと言う間に 月だって行けるし 彗星を追いかけることも 簡単にやってのける 僕らはそんな自由を知っている 誰かの自由も知っている 言葉にのせて表現すれば 不可能が消えていく 僕らは生まれた時から そんな人間元素を持っているのさ
ひとりでは たいしたことはなく たいしたことのないを 知りつつも燃やしていく それしかなくて それがあればを垂らし ひとりのちりちりにも 微笑んでいたい そして ひとりのちりちりが ふたつになり、みっつになり それぞれの ひとりが集まれば こんなに心強いことはない ひとりでは たいしたことはなく たいしたことのないが 和になり励みを垂らし それしかなくて それがあればを微笑んで
嫌いな人がいる 許せない人がいる ジョンレノンの イマジンのような世界感を どうしたら持てるだろう 今のところ 少し距離を置いたり 同じ土俵に立たないとか 姑息なところで治める 人間だもん? 人間とは を考えてみる
頬の汗を手で拭い 刺さっている鉄片に触る サンダーで削れば弧を描く火花 押し付けた力に手が痺れ 缶コーヒーの中身が揺れていた 腰巻を斜めに付け ハンマー、ペンチ、ドライバー 最初はそれがカッコいいと感じていた 室内での工事 電気屋が座り込み昼メシを食っている 俺はひとりゴンドラの棚を組み立て続けた おっさんらがこっちを睨んでくる メシの時間だからホコリたてるなよ そう言いたいのだろう 俺は十八歳、おっさんには負けねえ 売られた喧嘩は買ってやる しかし、売られもしない喧嘩 陰険なクソ野郎だ 夜になり電気屋は配線を外し 電気を消して行きやがった 俺は窓からの月あかりに目を擦り 感を働かせてハンマーで叩き サンダーで鉄柱を切る クソ野郎が、みんなクソ野郎だ 最後の一本を切り終え 誰かが忘れた缶コーヒーを握った