『遺言』という被災地のドキュメンタリーDVD。福島での詩の朗読会へ行く前に妻から勧められて観る。現地の方は、「見えない敵と戦争をしている」、「原発さえなければ」と命をたつ方もいた。そして、今でも被災は続いている。悔しさがやまない。現地の声を聴きに行こう。
この日が来たのね やさしいあなたの笑顔や悲しい顔を わたしはいつも見てきたから この二十二年という年月をふり返ると とても感慨深いものがあるわ ちいさい時からきちょう面で わたしを隅から隅まできれいに 拭いてくれたあなた お陰でわたしは心地よく 家族のみんなを映すことができたの 鏡として生まれてきたことに 幸せを感じていたのよ お母さん、わたしが今度 家へ帰ってきた時に 鏡が汚れていたらゆるさないわよ はいはい、わかりました 大丈夫ですよ ずっと大事にしていたのを 知っていますからね わたしもできることなら 一度でいいからあなたのように 涙をながしてみたいそんな気持ちよ 旅立つあなたへ 二十二年間、幸せをありがとうね そしてあなたの幸せをずっと願って わたしはここにいますから さあ、いってらっしゃい 涙を拭いて
詩の締めきりに追われ、やっと詩作から逃げることができた。逃げるといったら詩が嫌いなんじゃないかと思われてしまうか。 でもそこっ、今風(死語?)に言うと微妙って感じなんだよな。縛られる感じで詩を書くのも悪くない。 絞り出せ、絞り出せ、そして頭の回転に歪みが出てきて、それをなんとか軸を真っ直ぐに立たせながら組み立ててゆく。 ちょっと作業? いや、創作、創作と言っておこう。なっ、わけで締め切りから解放されたら何をするかと言うと、やはり詩作をしてしまう。 馬鹿のひとつ覚え、そう詩沢山の日々なんだよなあ。ああ、幸せ。これ、幸せ。それなあ、幸せ。 ♫ 詩作は詩を書く、コツコツコツ、コツコツコツ 詩作〜、詩作〜
先日、埼玉詩人会の詩祭において高校生の朗読を拝聴する機会がありました。学生の表情と声から緊張がとっても伝わってきて、おっさんの私は頑張れと心の中で応援していましたね。 でも学生から言葉の強さが伝わってきます。詩の趣きは日々において模索しながらも進んでいる、といった学生たちの共通した険しい感情を聴くことができ、たいへん刺激を受けました。 詩はやはりどれだけ気持ちが言葉にのっているかだなあ、なんて学生の朗読を聴きながらあらためて感じたわけです。詩を書くという行為より、自分の思いをどれだけ強く持っているかが、詩が活かされる条件であることを気づかせてくれましたね。 詩に慣れてはいけない、ってことでしょうか、反省している私でした。ああ、でも戻れないんだよなあ……(複雑なおっさん心・笑っ)
自分を主人公にするより、他者を主人公にしての語り口の詩作が向いているとある詩人からアドバイスをいただく。自分を一歩下げることにより、私らしさが自然に出るとご指導を受ける。確かに自分を主人公として詩を書くと、余計な力が入っている気がする。それは、読者からすると窮屈なモノになっているのかもしれない。ジャンル、表現の仕方を問わず詩を書いて行こうとは思うが、これからは読者の方に少しでも喜んでいただけるように精進しよう。「客観的にしゃべらす」と言った手法で詩をまとめてみたいと思ったのである。有難いアドバイスに感謝だ。
さてさて、コチコチになった身体を伸ばしに運動公園へ。と、向かおうとすると我が家の紫陽花が色付いた一番青。そして、よしゃよしゃ、てんとう虫が特別ゲストだ! 今日はなんかいい。握力の回復、痺れ解消、ストレッチ、筋力をつけムキムキマンへ! あっイタタっ、無理はしないようにしよう、と。
なかなか詩に関わる活動が重なって、詩が書けていない。これは詩まみれな日々なのだから充実しているといえよう。さあ、ぼちぼちこの詩を書きたい気持ちを爆発させよう。とは言っても、生活のための仕事も待っている。時間が足りないほど生きている感がます。詩は元気のもと、やったるぜ、と朝から盛り上がってしまいました。失礼。
こちらのブログ『詩は元気です ☆ 』も掲載始めてから 一年と五ヶ月となりました。 みなさまのご訪問、ご拝読を嬉しく思っております。 心より感謝申し上げます。 アクセス数が二十万となり、 これはただの数字でなく、みなさまの貴重な時間を こちらのブログで費やされたデータでもあり 私にとって大変な励みとなるものです。 今後も詩を書き続けていきます。 何卒、これからも『詩は元気です ☆ 』を よろしくお願い致します。