今宵は映画 布団へ入りタブレットを横に 気分にあったストーリーのものを選ぶ これにしようか、いやこっちにしようか 満足できそうな時間や充実を探す 二本の邦画 とくに派手な場面もなく どこにでもありそうな日常 誰にでもある感情を俳優が表現 地味な喜怒哀楽 時間と場所とひとが重なる 感じたことのある空気を感じ 言葉にならない感情を楽しみ ゆっくりと流れていった あのひとは何を考え 何を思っているのだろう 自分の中にもある他人の自分 入ったり抜けたりする映像 どんな映画を見たんだい? そう言われて困るような 映画を二本 記憶からすぐに消えそうな それでいて満足を得た映画を
タイ国は夏だった。 鼻の頭が日に焼けて帰って来たら、やはり日本は冬。 島では、小学生が木の伐採や仏像を掘って仕事をしてる。 ちっとも可哀想なんて思わない。 みんな目が輝いている。 幸せは比べられないが、日本は先進国と言いながらも 住みやすい国なのだろうか……
若き頃 浅草の知らぬ寿司屋に入った カウンターに座り玉子焼きの握りを頼む 玉(ぎょく・出汁と魚のすり身が入っている)ください へい、お待ち かなり厚めの玉子焼きだった んん、美味しくて安い また玉子焼きの握りを頼む へい、お待ち んん、美味しい 玉ください へい、お待ち そして、また玉子焼きを頼もうとした時 板さんがしびれを切らしたのか こちらに新鮮なネタがありますよ ネタケースを指さし言った でも、なんだか高そうだな 俺は玉子焼きの握りを十貫ぐらい食べて この店を出ようとしていた なんせ玉子焼きが好きなんだ まあ、でも板さんの顔をたてて ひとつ刺身を握ってもらうか ブリだかハマチだかわからなかったので これっ、ください そう言うと板さんが あいよ、ガァ〜ラスね じゃあ、そのガァ〜ラス お客さん、ガラスは握れませんよ ネタケースのガラスをガァ〜ラス とか言って、冗談をかましてきた これがまさにネタケースのネタだ おっと、完全に舐められている 俺が若造で玉子焼きしか頼まないからだ いやいや、それでも客だぞ そんなわけでまた玉子焼きを頼む すると板さんが このお客さんに上がり一丁 と、もうひとりの板さんに言う おいおい、俺は玉子焼きを頼んだのに そんな隠語を使うなよっ、たくっ 上がりじゃねえよ 玉だよ お客さん、もうおあいそなしでいいから 出て行ってくれ きたっ、完全にケンカを売られている けど、そこに俺はまったくプライドはない そう、じゃあご馳走さん 明日、また玉を食べにくるから あれれっ、毎度ありなしかよ そして次の日、また暖簾をくぐる 玉を握ってくれ あいよっ お客さんには負けましたよ へいっ、お待ち
今年の投稿したブログ記事を再読する。詩は元気です、なんて言いながら不安や体調の悪さを詩にしていることに気づく。去年からくらべて特に調子悪いというわけでないのに、どうしたことだろう。はちゃめちゃにぶっ飛んだ詩もなく、サービス精神の欠いた表現ばかりだ。 でも、なんとなくわかってはいる。たぶん、小説を書いているからだ。文学はスポーツではないが、詩が短距離走だとすると小説は長距離走に近い気がする。子どもの頃から短距離走で負けた記憶はほとんどないが、長距離走になるとさほど速く走れるわけでもない。持久力が乏しいのだろう。 詩の場合、文のブラッシングを外せば五分から三十分くらいでカタチになる。その後、何日かは寝かしたて再読し校正をしたり、しなかったりする。書いていてフィニッシュがなかなか見えない小説は、せっかちな私にはあまり向いていないかもしれない。小説でのストレスが詩に影響している気がする。 でも小説を書かなくてはいけないと強く思っている。それは、自分で言うのも変な話だが、いい小説が書けそう、とかなり勘違いだろう前向き思考があるからだ。どこからその自信がでてくるんだよ、って自分ツッコミしながらもニヤニヤして。まあ、自分にとって面白い小説であって人さまが読んだら時化たものかもしれないが。たぶん一年くらいはこんな心持ちで詩を書いたり、小説を書いているのだろう。 小説を書くことで詩が根暗になっていることは、どうにかしなくてはいけない。わざわざ計画的にこんな詩を書こう、と思ってはいなかったが、ブロクで人さまが読まれるものにしょぼくれた詩ばかりではいけない。めちゃくちゃ楽しい詩を書かなくては。詩は元気なんだろ、自分。そうそう、詩は元気でなければならない。私は元気だし、詩も元気。いくぞ、元気玉だ! くらえっ、これでどうだ! ん〜、今年も変な私だ。それでいい、それでいいってことにしよう。。。
水の飲み方も忘れてしまったのだろうか 気管の方へ流れ込んではむせる ごほんっ、とすれば喉に 暫くは違和感が続く 年齢的なものだろうか 頚椎を手術したからだろうか よくわからないが 水が上手く飲めないっていうのは とても笑い流せることではない 今まで出来ていたことが出来なくなる 確実に降っていることを認識 人間は口から食べれなくなれば やはり身体は衰えてくる 最近はむせることが多くなった 入院患者が誤嚥性肺炎を起こすように 自分の良くない映像を回してしまう 水を飲むのも怖くなる こんな筈ではない身体になっていく これも私にとっては自然なこととして もう諦めた方がよいみたいだ それなら慎重に水を飲むだけのことさ 今までとは違う水の飲み方 水の量や温度 喉の角度 精神の緊張度やリラックス感 個人的な生きてゆく知恵を使い 水の飲み方を考えてゆこう 全身に潤う水に対して有り難みをもち 水を飲む時には集中し 上手く飲めた幸せを知り 胸に手をあてて生きてゆこう
自分の老後なんて考えていられない 子どもらを一人前にするまでは 何がなんでも身を粉にして 我武者羅に進んでいかなければ 日本の家庭で 学業に関わる費用は莫大だ どうしてこんなに高額なんだろう 親が働き 子どももアルバイトして それでも学費が払えず 高校や大学を中退する学生が 増えているということだ 奨学金もさほど期待できず 就職後に返済が十年以上も待っている もはや 日本の子どもの貧困は六人に一人 学校に行けなかったり 学校に行けたとしても 修学旅行などが行けなかったり 学費が納められず 卒業証書がもらえなかったり だから 親が自分の老後なんて 考えている余地などない 貧困はどうにか我が未来へ 先送りするために 組めるローンは惜しみなく あの手この手で進むだけだ はて この捨て身でどうにかなるのだろうか?
ネオンの真ん中 疎らな時刻表の数字 冷たいベンチ 指先、足先から凍る もう痛みなどない 精神が身体の嘆きを消した 今この時 朽ちる全てを許容 終わるものなら 終わってみやがれ だからって 俺は死にたい訳でもない 生にしがみつく訳でもなく 違う次元に入り込んだ そこには超越感 しかし まだ無の一歩手前に座っている この寒さでは 俺を心身ともに 凍らすことはできない やはり時化た屑な時間 とっても残念だ そこまでか、お前の冬の力は ああ、もうバスが来ちまったぜ