この建物は、何かに(バス停とか)使われているのですか???
いえいえ、そうではありません。 この門を潜って中に入ると、上級武士の屋敷となります 現在は当主は住んでおりませんが、保存されて 見学が出来るようになっています 確か「若林家」と云ったと思いました この城の城主は「内藤」と云い、江戸屋敷は 今の首相官邸が増築された所にありました。
家の門ですか・・・わかりました。
きわめてよく保存してありますね。 補強のため釘でうちつけたりしているものもありますが、 やはりそのままの保存が一番だと思います。 こういう武家のもんというのはかなり階級によっても違いがあるので、 興味深いですねぇ・・・。 この門構えでどのくらいの地位の武士だったんでしょうか・・・???
ある本からの知識です 中下級武士 武士の身分は細かく分類されており、知行米と扶持米を 支給される武士に分かれるそうです 前者は知行地の年貢米を貰い受け、扶持米は一定量の 米を支給されるそうです しかし、時代が進むと米から現金支給が多くなったそうです 中級武士の呼称は藩によって異なり、知行武士は家中 士分・侍など色々と呼ばれ 扶持取り武士は給人・足軽手廻りなどと呼ばれたそうです この屋敷の主は多分、家老の下の地位ではないかと 思いますが、調べて見ないと分かりません 明日、この屋敷の一部をお見せします
googleで検索しましたら 若林家は村上 内藤豊前守の家臣総数731人の家臣 のうち、上から五十四番目 代々物頭などの役を務めました。内藤家中では、 中級上位の家柄と考えられます 若林家は百五十石「知行百五十石」のことで実収入は ずっと少ないものでした。 以上参考まで
Posted at 2008-09-24 17:02
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Posted at 2008-09-25 02:43
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