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良寛遠望-2

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良寛遠望-2
昨日、アップした松の木

直接、良寛禅師には関係ありませんが現在の松の木の
脇に歌碑があります。これに因んで
江戸末にこの松と思しき画があります
参考までに、このような存在感のある「松」でした

但し、この土地の「字 あざ」は『石瀬』
遺された本の画に書かれている地名は『石地』です
近隣を尋ねてこの違いを確認していますが、今の所
この違いは検証されていません

『石地の松』にはお伊勢参りの女性の話が伝わり
その女性は「松の精」であったそうです」
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2009-01-10 17:23

この絵が描かれてからずっと同じ場所にある松なんですね・・・。


歴史的松なんですね・・・(-。-)y-゜゜゜

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2009-01-11 10:44

この画が描かれた紀行文は安政二年(1855)です

今から154年前

その当時は、街道筋に生えていたから、恐らく
目印になっていた事でしょう

お伊勢参りで路銀を借りた女性「お松」が、この地名を
名乗り、後で伊勢の御師が尋ねてきたら松の木に
お金がぶら下がっていた
それ故、「お松」はこの松の精であった伝えられています

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KUMA
Commented by KUMA
Posted at 2009-01-11 11:59

伊勢の御師が出ましたね。

伊勢講は御師(おし)が広めた旅行スタイルですが、研究するとその素晴らしさに驚愕します。

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2009-01-12 01:34

明治以前の文書に暦が十干十二支で表記されて

います
この暦も「御師」が全国に配ったようですね
「金森敦子」女史の本やその当時の各地の旅行見聞記
には必ずこの「御師」が出てきます

ところで、「江戸の転勤族」高橋章則著では
福島の片田舎「桑折」(コウリ)の代官所から
飛騨高山や若狭本保、越後水原や豊後日田への
移動が書かれています
当時は今考えているよりずーっとネットワークや
行動・移動があったようです

当地も天保に「上知」となり、14年に奉行が着任
それに伴い、配下の役人25人程(家族を連れて)が
江戸から配置されています

全国各地でこのように転配属が盛んに行なわれた
と思いますが、あまり歴史には語られていません

文献史学の弊害の一つでしょうか

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