Nov
9,
2013
叛逆のろれつ_11《半世紀前》
ちょうど50年前、東海道・横須賀線・貨物線で大事故が起こった。
「1963年11月9日21時51分頃、東海道線鶴見~新子安間(3複線区間)を新鶴見操車場を4分延発(横浜市内で11月6日に発生したガス・水道管事故の影響で貨物列車の遅延が続いていた)した下り貨物列車(EF15+貨車45両・換算102両)が時速約60㎞で運転中、前から43両目の貨車(ビール麦積載)が進行左側(横須賀線上り旅客線側)に脱線して、架線柱に衝突した。続く貨車2両も脱線して、隣接の同旅客線側に大きく傾く格好で同線側を塞いでしまった。
この時、脱線した貨物列車のすぐ後を並走していた横須賀線下り電車(久里浜行き12両編成)は、前方の架線異常を確認し非常停止。また、この脱線による列車分離で貨物列車は、後部の非常ブレーキ作動を感知した機関士の非常ブレーキ操作で、約400㍍進行して停止したのだが。。。この2列車(下り貨物列車、下り電車)に挟まれた間には上りの旅客線が通っており、脱線した貨車はこの上り線上に傾く格好で脱線していた。貨車が脱線したとき、下り貨物列車に対向して隣接の上り東海道線電車(東京行き12両編成)が、時速90㎞前後の速度で脱線していた貨車に衝突した。
衝突の衝撃で上り電車は前部3両が脱線し、先頭車両は横向きになった状態で隣の下り線上に非常停止していた久里浜行き電車の4両目側面に衝突、大破。続く5両目も強い衝撃を受け、4両目同様に大破した。この二重衝突事故により、死者161人・重軽傷者120人を出すという大惨事となった・・・」
あの事故の翌日、高校の修学旅行で紀伊半島・奈良・京都に出かける所だった(横須賀市内の高校に通っていた)。当日・生徒間の連絡・学校よりの連絡もなく、集合場所の国鉄駅(JR)に行ってみると全員揃っているとのことで東海道線の大船駅まで行ったのだが、下り線は団体専用車ではなく熱海まですし詰めだったのを覚えている。初日は
目的地まで夜遅くたどり着いたが、二日目からは順調に見学、旅行は終わった。
最近、鉄道の不祥事が多々あるようだ。近代化しても??? 扱うのは、人間。
驕り高ぶってはいけない、と改めて思うのである。
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