少数部族(血族)が今も尚、存在する・・・『遊牧の民「BEDOUIN」』。
古くは、農耕の民が不毛な土地に家畜を連れて移動したのが、ベドウィンであった。
ベドウィンを往古より「アラブ」と呼んでいたらしい。コーランの「アラブ」はベドウィンを指す。
ベドウィンの言葉が、正統的なアラビア語とも言われ、最も純粋なアラビア語とも言われる。
ベドウィン社会は、血縁関係を尊重し、多くの小部族が、複雑に絡み合っていた。
部族主義を排除し、唯一の神「アッラー」による共同体を目論んだのが「イスラム」の原点。
イスラム原理主義、禁欲主義・連帯意識と言った価値観はベドウィンによって培われてきた。
地域領土の「領有権争い」、宗教哲理に基づくとは乖離した争いが昨今の中東ではないか。
相対する双方、どちらにもくみするものではないが・・・(正直、わからないのが本音)。
先般のISLE組織の蛮行は、狂気の沙汰でしょうに。
ISLE組織側の主張、シャリーア(イスラム法)を基に活動してると主張しているが、
イスラム教徒からすれば、「イスラム教を詐称しての犯罪集団」と憤慨されるはもっともな事だ。
山賊・・海賊・・を大きくした集団・組織の様に見える。。。!
扨、さて・・、今回の「報道」を垣間見ていて疑問に思う事がある。
邦人のお二人が、「拘束」されてる姿ばかりが報道されていた。
テロリストに拘束されている、見れば分かることだが、
何故にこのお二人が、危険な紛争地に足を踏み入れたか、しっかりと解説されていない。
而して斯様な事件が起きると、被害者として美談で終わってしまう。チョット不可思議だ。
報道機関(新聞・雑誌・放送機関)所属の記者とフリージャーナリストの差異。
フリーと言えどもなんでも許される(潜入取材)ものでもあるまい。
更には、報道の自由を謳って、取材に出かけたいとする人も現われた。
今件は、外務省が旅券(パスポート)の返納を命じ、渡航は出来なくて幸いであった。
今回のような取材者は、従軍取材とは違って勝手にどこへでも入り込む。
「危険」を通り越して「無謀」としか思えない。売名行為的といわれても仕方あるまい。
国の対処、予防措置を講じた行政機関は、批判されるものでは断じてない。
又、他方では、政治の場で野党の質問内容の低次元・的外れさには呆れ驚く。
枝葉末節なことばかりで本質を突いていない。
報道機関や政治家の質が落ちているとしか思えない。
かつての戦場ジャーナリストは、従軍報道であった。それ故、ある部分護られていた。
今回の様に、敵陣に潜入!?!し報道することは、無謀としか言い様がない。
今事件では、邦人お二方が「捕虜」として利用された、無分別・無差別テロ組織に。
「報道機関」ってなんだろう?? 大手メディア・下請けフリージャーナリスト。
こんな縦位置関係が、多いのではないか、と想像してしまう。
然るにご都合的に編集作業で真実と乖離した報道がなされるようになってしまった。
事件報道が、バラエティー番組の延長的に映るが、偏見だろうか???
外交・国際社会、身近な隣国の関係にしても報道の仕方がどこかおかしい!?!
領有権争い、勝てば官軍・・負ければ賊軍、歴史がものがたっているではないか。
戦後・半世紀にわたって「平和主義国家」を標榜してきた日本。
右翼・左翼・・中道、個々人の主義主張は自由に発せられてきた。
敗戦国からの出発、半世紀を以って「憲法論議」ができるところまで来た。
それと相俟って、隣国との領有権問題、「一触即発」状態の今である。
日本は、法治国家、民主主義国家である。
だがしかし、非論理・非合理的に・・・脅威に晒されている時、
傍観・傍観、耐え忍び、されるがままで良いのか??って思う。
この半世紀、隣国とは、折にふれて謙虚に対処きたではないか??
その上で、負い目的に耐えに耐えてきた。我慢の限界である。
是は是、非は非でしっかりと主張しなくてはいけない時が来た。
与野党問わず、もっと真摯に審議しろって、言いたくなる。
現象面ばかり報道するメディア、「過去の歴史認識」をもはっきりと声を出すべきだ。
「戦争」とは、武力に寄るものだけではない。
行政者(官僚)、国政者、マスメディアも。。。!!
本質をしっかり提言する役目担っていることを忘れんでほしい!!
1月31日誌「1月の出来事」
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