Oct
3,
2006
見る瞬間、思う瞬間!?!
無意識に、ぼ〜〜っと海面を見ていると、一瞬、不可思議な模様とであった。偶然の産物だが、なんとも面白い。単に、画像を見ているだけではどんな場面か分からないかもしれない。説明あっての理解。日々の生活の中でも気にとめないと社会の様々な出来事が通り過ぎていってしまう。事象は時間と共に忘れ去られていく。
この所、裁判で、解せない判決が相次いでいる。先日、又も考えさせられる民事法上の決定があった。
自分にとって関係ないこと、社会での既存・一般的倫理の中で、一個人の考えであっても思考してみたい。
そんな自己主張が容易に出来るのがブログであろう。法の判断は、専門家だけが出来るのでもない。
社会的コンセンサスも重要な判断要素、である。
法的判断は、狭義の法・条文解釈だけでではない。
社会通念として、要件妥当とする内容であれば、
法・条文解釈を拡大できるとする判例が出始めた。
現行法をも活用・・・できる事である。
現行法における限界、とする判断が相次いだが、
今度は、「法の前に人間」それを問うているやであった。
「生きた法律」!!硬直した判断が、司法では、よくみられるが・・・。
先日、画期的な判例が出た。
「代理出産」 を容認する・・判断基準を定義するべくな判決。世に不妊で悩む夫婦は、多いであろう。
欧米で言われる「生殖補助医療技術」を一個の人間として真摯に考えて見ることも大切である、と海面の模様を見ながら思った。日本の医学会は、容認していないかもしれない!?!
更には、養子ではなく実子として出生届を出したいのは当事者・子供が欲しい親の身勝手なことか??
而して、「出産した女性だけを母とする」法解釈ははたして??現代社会において正論か??
生殖補助医療技術の確立・法制化が検討されている時期だが、生命倫理に基づいた真摯な分析・検討、既成概念に捕われず、東京高裁の判断・決定が示すように、真摯・慎重にではあるが、国民、一人一人が、思考すべき時が、今、と感じる。
高裁の決定書にある「わが国の民法は、生殖補助医療技術が存在しなかった時代に制定されたが、現在はこうした技術で人為的な操作による妊娠や出産が可能になっている」「法制定時に想定されていなかったからといって、人為的な操作による出生が、わが国の法秩序の中に受け入れられない理由とはならない」
但し、ケースバイケースであることは確かで、慎重な判断、医療実施に際しての基準・規定を早急に国として策定して欲しい。
現実問題として、向井さんの場合のように既存の問題を、国の審議会の答申で「代理出産禁止」と言う法律が出来ようとした前に、東京高裁という場で出た決定は、物議をかもすことは確かだが、
『誰のための法か!?!』と言う点で、まさに当事者の立場にたった、慎重に審議された真摯な決定、人道的な決定と、賛意を表したい。
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