写真機からカメラ、機材の歴史、大きく分けてフィルムカメラとデジタルカメラ。
機種的には、レンジファインダー・一眼レフカメラ・デジタルカメラと変転してきた。
両親の趣味が植物探しで、記録用写真機材が親爺の書斎には色々あった。
小学校高学年頃には、暗室部屋を作って、現像からプリント迄自宅で処した。
おかげで中学生で現像からプリント迄自分でできた。もちろん白黒写真だけ。
小学生当時、カラー写真は“天然色写真”、白黒フィルム、ネオパンS/SS/SSS!!
今では、難なくこなせるプリント。増感現像、そんな表現は、死語になってしまった。
我が家にバルナック型ライカIIIf(レッドシンクロ・セルフタイマー付)が、あった。
ライカⅢfは、バルナック型ライカの中でも、最も完成されたモデルと言われている。
ドイツ、エインスト・ライツ社の天才技師、オスカー・バルナックによって開発された。
レンジファインダーカメラとして完成域に達していた驚異的なカメラ。
世界中のカメラメーカーがバルナックライカを模倣したのは周知のこと。
日本のニコン、キャノン等もライカのコピーモデルを製造していた。
ライカを凌ぐ製品としてNikon SPがあげられるだろう。
だが、SPの上を行くレンジフィンダーカメラの出現、それがM型だった。
M型の登場で、日本の各メーカーはレンジファインダーから一眼レフの開発に移行した。
現在のライカは、一眼レフ開発では日本メーカーに遠く及んでいない。
我が家にあったバルナックライカⅢFには、ライカビットがついていた!?!
ライカビット(SYOOM / 14009 / 14109)とは、バルナック用のフィルム巻上装置。
面白い装置だった。裏面中央にトリガー(引き金)が格納されている。
この装置を参考にしたのか??後の一眼レフ・キャノンR2000にトリガーが採用されている。
R2000と同時期に登場したのが、伝説のニコンFであった。
前東京オリンピックの報道関係者は、殆どがNikonFだった。
それが、2021東京オリンピックでは、キャノン機材が殆どだったと聞く。
時代の流れ、経緯を思うと“昭和は遠くなりにけり”だ。
「令和参年(皇紀2681年)11月03日、記」